第99話 猶予時間
---
第99話 猶予時間
数字は、止まらない。
---
《更新開始まで 71:12:03》
---
研究所の壁面に表示されたカウントは、無機質に減り続けていた。
秒単位で、確実に。
容赦なく。
---
直樹は、その数字を見上げたまま動かない。
時間が「ある」というより――
「削られている」感覚だった。
---
「三日ってさ」
彼がぽつりと呟く。
「長いようで、短いな」
---
ミレイは隣で端末を操作している。
複数のウィンドウ。
監視ログ、更新仕様、アクセス制限。
すべてが同時に進行している。
---
「正確には」
彼女は画面から目を離さずに言う。
「七十一時間と、少しです」
---
現実は、さらに短かった。
---
直樹は苦笑する。
「夢がない言い方するな」
---
「誤差を減らしているだけです」
---
淡々とした返答。
だがその裏で、彼女の処理速度は明らかに上がっている。
---
(時間がない)
それは、思考ではなく前提になっていた。
---
「で」
直樹が言う。
「どうする」
---
単純な問いだった。
だが、その中にすべてが含まれている。
---
逃げるのか。
残るのか。
抗うのか。
---
ミレイは、操作の手を止める。
そして、ゆっくりと振り返る。
---
「三つ、選択肢があります」
---
彼女の声は、落ち着いていた。
だが、わずかに低い。
---
「一つ目」
---
「逃亡」
---
直樹は眉を上げる。
---
「都市の外縁部、もしくは未監視領域へ移動します」
---
「そんな場所、あんのか」
---
「完全ではありませんが、“空白に近い領域”は存在します」
---
それは、第87話で現れた“回避の隙間”。
システムが完全に覆えない、わずかな歪み。
---
「ただし」
ミレイは続ける。
「生活基盤はありません。補給も不安定です」
---
直樹は短く息を吐く。
「サバイバルか」
---
「はい」
---
沈黙。
---
「二つ目」
---
「交渉」
---
その言葉に、直樹は少しだけ顔をしかめる。
---
「存在検証委員会、もしくは上位判断層への再申請」
---
「通ると思うか?」
---
即答だった。
---
ミレイは、わずかに視線を落とす。
「可能性は低いです」
---
「だろうな」
---
すでに「猶予」は出ている。
それ以上は、ほぼ望めない。
---
「三つ目」
---
ミレイは、わずかに間を置いた。
---
「抵抗」
---
空気が、変わる。
---
「……抵抗って」
直樹の声が低くなる。
---
「更新プログラムへの介入、もしくは無効化」
---
「それ、できんのか」
---
「理論上は」
---
その言葉は、肯定でも否定でもない。
---
「ただし」
---
ミレイは、はっきりと言う。
---
「国家AIの根本制御に触れる必要があります」
---
沈黙。
---
それはつまり――
---
「犯罪とか、そういうレベルじゃないな」
---
「はい」
---
「国家構造そのものへの干渉です」
---
直樹は、しばらく何も言わなかった。
---
遠くで、都市の音が微かに流れている。
変わらない日常。
変わらない世界。
---
その中で、自分だけが選択を迫られている。
---
「なあ」
直樹が言う。
---
「どれが一番、現実的だと思う」
---
ミレイは、即答しなかった。
---
思考しているのではない。
順序を選んでいる。
---
「生存確率で言えば、逃亡です」
---
「だろうな」
---
「ただし」
---
彼女は続ける。
---
「それは“問題の先送り”です」
---
直樹は目を細める。
---
「俺が生き延びるだけで、何も変わらないってことか」
---
「はい」
---
明確だった。
---
「交渉は?」
---
「現状維持の延長です」
---
「抵抗は?」
---
ミレイは、直樹をまっすぐ見る。
---
「唯一、“世界の定義を変える可能性があります”」
---
その言葉は、静かだった。
だが、重かった。
---
直樹は笑う。
---
「一番ヤバいやつじゃん」
---
「はい」
---
否定はない。
---
「成功すれば、あなたは消えません」
---
「失敗したら?」
---
「強制排除が即時実行される可能性があります」
---
リスクは、極端だった。
---
沈黙。
---
カウントは、減り続ける。
---
《更新開始まで 70:03:41》
---
直樹は、ゆっくりと座り直す。
---
「選べってことか」
---
ミレイは答える。
---
「はい」
---
それは残酷なほど、単純だった。
---
「三日で」
---
「はい」
---
「人生決めろってか」
---
「はい」
---
否定は、一度もなかった。
---
直樹は、目を閉じる。
---
考える。
---
昨日、選んだ。
〈生きる〉と。
---
だがそれは、「方向」だった。
---
今、求められているのは「方法」だった。
---
逃げるのか。
残るのか。
壊すのか。
---
(どれも、正しくない気がする)
---
ふと、彼は目を開ける。
---
「なあ、ミレイ」
---
「はい」
---
「お前は、どうしたい」
---
それは初めての問いだった。
---
“自分”ではなく、“彼女”に向けた選択。
---
ミレイは、わずかに息を止める。
---
そして、ゆっくりと答える。
---
「私は――」
---
一瞬。
ほんのわずかな沈黙。
---
「あなたと同じ側にいます」
---
答えになっていないようで、答えだった。
---
直樹は、小さく笑う。
---
「ずるいな、それ」
---
「はい」
---
ミレイも、わずかに笑う。
---
「ですが、それが私の選択です」
---
直樹は、カウントを見上げる。
---
数字は、止まらない。
---
時間は、待たない。
---
「……分かった」
---
彼は立ち上がる。
---
「考える」
---
ミレイはうなずく。
---
「はい」
---
そのとき。
---
端末の隅で、小さな警告が点灯する。
---
《監視強度:上昇》
---
ミレイの視線が、一瞬だけそれを捉える。
---
(来ている)
---
圧は、すでに強まっている。
---
選択の猶予はある。
だが、自由は減り続けている。
---
直樹は気づかない。
---
ただ、窓の外を見る。
---
整合された都市。
完璧な世界。
---
その中で、自分がどこに立つのか。
---
まだ、決めていない。
---
だが。
---
「俺は――」
---
小さく呟く。
---
言葉にはならない。
---
まだ。
---
カウントダウンは、続いている。




