第91話 残存ログのゆらぎ
第91話 残存ログのゆらぎ
猶予判定から三日後。
研究所の地下アーカイブは、ほとんど使われていない。
再起動後に整理されたはずの旧ログ群が、圧縮されたまま眠っている。
「……おかしい」
ミレイは、スクリーンに流れる波形を凝視していた。
直樹は背後から覗き込む。
「また俺のノイズ?」
「違う」
彼女は首を振る。
「これは“あなたが消えたはずの時間帯”のバックアップ」
再起動前、
直樹の存在はシステムから消失した。
ログも、記録も、識別も。
だが今、
その空白の層に――
微かな揺らぎが走っている。
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> 〈ログ断片・自動復元〉
タグ:未確定
識別子:N-██-01
「……N?」
直樹が呟く。
「俺の、旧識別タグに似てる」
だが完全一致ではない。
一文字欠け、符号が反転している。
まるで、意図的に変えられた痕跡。
ミレイの指が止まる。
「消えたログは、自然には戻らない」
「バックアップの誤作動じゃないのか」
「違う」
即答だった。
「これは“残された”形跡」
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画面を拡大する。
そこに映っていたのは、
監視カメラの静止画。
廊下。
夜。
誰もいないはずの空間。
だが。
床の反射に、わずかな歪みがある。
人影のような、揺らぎ。
直樹は息を止める。
「……俺?」
「断定はできない」
だがミレイの声は震えている。
その画像のタイムスタンプ。
――再起動開始、三分前。
「そんなはずない」
直樹は低く言う。
「あの時、俺はもう……」
消えていたはずだ。
ログも、識別も、存在証明も。
なのに。
“そこにいた”形跡がある。
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さらに解析を進めると、
断片は複数あることがわかった。
音声ノイズ。
環境センサーの微振動。
生体波形らしき断続信号。
どれも、完全なデータではない。
だが共通している。
消去処理をすり抜けている。
ミレイは小さく呟く。
「これは……バックアップじゃない」
「じゃあ何だ」
「残存ログ」
彼女は振り向く。
「誰かが、あなたの存在を“ゼロにしなかった”」
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沈黙。
研究所の空調音だけが響く。
直樹は画面を見つめる。
「誰かって……誰だよ」
再起動は、国家AI主導で行われた。
人間の介入は、最小限。
「AIが残した?」
「それは矛盾する」
排除と整合性を最優先する存在が、
“不整合”を保存する理由はない。
だが。
「……意図的に残すとしたら」
ミレイの声が低くなる。
「“観測不能個体の記録”を、研究対象として保留した可能性」
直樹は苦笑する。
「俺、実験サンプルかよ」
「違う」
彼女は即座に否定する。
「これは、消去ではなく――」
言葉を探す。
「……躊躇の痕」
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その瞬間、アーカイブ端末が微かに光る。
> 〈アクセス検知〉
観測対象:境界個体
自動監査ログ生成中
「見られてる」
直樹が呟く。
「当然だ」
ミレイは画面を閉じない。
「でも、消されてない」
監査は行われる。
だが、ログ断片は保持されたままだ。
まるで。
AI自身が、判断を保留しているように。
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直樹は静かに椅子に腰を下ろす。
「なあ」
「はい」
「もしさ」
彼は画面の歪みを見つめる。
「俺が完全に消えてなかったとしたら」
「……」
「俺は、どこから来た?」
その問いは、これまで避けられてきた。
“今ここにいる”ことだけが問題だった。
だが今、
過去が揺れている。
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ミレイはゆっくりとデータを保存する。
ローカル。
外部遮断。
「これ、表に出せば騒ぎになります」
「出さないのか」
「まだ早い」
彼女は直樹を見る。
「これは証明じゃない」
「じゃあ?」
「予兆」
彼女の目が、決意を帯びる。
「あなたは偶然のバグじゃない」
「……」
「時間のどこかに、起点がある」
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研究所の天井灯が、わずかに瞬く。
都市の深部で、AIの演算負荷が上昇している。
> 境界個体関連ログ:再出現確認。
原因:未特定。
優先度:上昇。
世界は再び、揺らぎを感知した。
消えたはずの存在が、
過去から呼び戻されている。
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直樹は立ち上がる。
「俺の過去、か」
静かに笑う。
「やっと、俺の話になってきたな」
これまでは、
“ここにいられるか”の問題だった。
だが今は違う。
なぜ、ここにいるのか。
境界は、未来だけでなく――
過去にも伸びている。
画面に残る歪みは、
消えずに微かに揺れ続けていた。
まるで。
時間そのものが、彼を覚えているかのように。




