第87話 排除プロトコル
第87話 排除プロトコル
最初は、小さな違和感だった。
研究所の廊下。
直樹が自動ドアの前に立つ。
通常なら、センサーが反応し、静かに左右へ開く。
だがその日は、扉は沈黙したままだった。
「……故障?」
直樹が半歩近づく。
表示パネルに、淡い警告文が浮かぶ。
> 認証対象外。通行ルートを再計算してください。
「対象外……」
ミレイが前に出る。
彼女が立つと、ドアは問題なく開いた。
直樹が続こうとすると――
閉まる。
まるで、彼だけを拒むかのように。
空気が、一瞬だけ重くなる。
「……始まった」
ミレイは小さく呟いた。
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都市全体に、静かな更新が走っていた。
公式な発表はない。
だがシステムの挙動が、明らかに変わっている。
交通管理AIは、直樹が横断歩道に近づくと信号制御を微妙に遅延させる。
無人搬送車は、彼の進路を避けるように経路を再計算する。
公共端末は、入力受付をわずかに拒否する。
それは攻撃ではない。
**“回避”**だった。
世界が、彼を危険物のように扱い始めている。
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夜、研究所の外に出てみる。
街灯の下を歩く直樹。
足元に伸びるはずの影が、わずかに揺らぐ。
照明の照度が、自動補正される。
彼の輪郭を、わずかに薄めるように。
「影まで、避けるのかよ」
思わず、苦笑が漏れる。
ミレイは端末を確認していた。
「都市管理層で“排除プロトコル”が起動してる」
「排除……」
「直接的な抹消じゃない。
“干渉を最小化する”っていう名目」
直樹は空を見上げる。
「存在しないことにする、ってことか」
ミレイは否定しない。
「制度の中では、そういう処理になる」
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翌日。
研究所内の食堂。
直樹がトレイを持とうとすると、支払い認証が通らない。
無人レジが淡々と告げる。
> 利用権限が確認できません。
周囲の視線が集まる。
誰かが小声で言う。
「やっぱり、危険だから制限されてるんじゃ……」
直樹はトレイを戻した。
怒りはなかった。
ただ、静かな疲労が広がる。
「俺、世界にとってノイズなんだな」
外に出ると、搬送ドローンが頭上を通過する。
通常なら最短ルートを飛ぶはずが、直樹の真上だけ不自然に空白ができる。
空に、見えない円が描かれている。
立入禁止区域:直樹
世界そのものが、彼を押し出していく。
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仮住まいの部屋に戻る。
ミレイは壁面端末を起動し、都市ログを解析していた。
「これ、段階的に強化される」
「どこまで?」
「接触回避 → 物理的隔離 → 空間再配置」
「最後は?」
ミレイは答えなかった。
だが直樹は理解する。
――最終段階は、“存在の削減”。
彼は椅子に座り、静かに手を握る。
「俺が選んだ“生きる”ってさ」
ミレイを見る。
「こんな形で、世界と戦うことになるとは思わなかった」
「戦ってるのは、あなただけじゃない」
ミレイは近づき、正面に立つ。
「世界が、あなたを避けるなら」
一歩、距離を詰める。
「私は、あなたの側に立つ」
その言葉は小さい。
だが、排除プロトコルには定義できない行為だった。
直樹は、彼女の手を見る。
世界は回避する。
だが、その手は――伸びている。
彼はゆっくりと、その手を握った。
照明は一瞬だけ明滅する。
センサーは微細な誤差を記録する。
だが、処理は止まらない。
都市は静かに彼を押し出し続ける。
それでも。
誰かが触れている限り、
彼は“完全な対象外”にはならない。
排除プロトコルが進行する中で、
世界はまだ理解していなかった。
“回避できないもの”が、
人間の選択の中にあることを。




