第86話 存在検証委員会
第86話 存在検証委員会
会議室は、必要以上に静かだった。
楕円形のテーブル。
壁面いっぱいに広がる透明ディスプレイ。
その中央に、淡い光の輪が浮かんでいる。
――国家AI接続中。
臨時招集された「存在検証委員会」は、表向きは冷静だった。
しかし、その視線の奥には明確な緊張がある。
議題はひとつ。
> 境界存在を制度に組み込むか否か
直樹の名は、公式文書上には表示されていない。
代わりに記されているのは、無機質な識別コード。
未登録生命体/観測不整合個体
「まず前提確認を」
議長を務める法務局代表が口を開く。
「当該個体は、生理学的には人間。
認知機能も正常範囲内。
しかし国家登録基盤との同期が不可能。
存在ログが確定しない」
壁面に、波形グラフが表示される。
直樹の行動ログは、常に微細な“ゆらぎ”を含んでいた。
「この状態を制度に組み込むことは可能か?」
短い沈黙。
やがて、光の輪がわずかに脈打つ。
《回答します》
AIの声は、穏やかで、感情を含まない。
《不整合は将来のバグ要因である可能性が高い》
数値が並ぶ。
誤認識率、記録崩壊確率、波及誤差。
《単一例であっても、
整合性基盤に例外を許容することは、
長期的にシステム全体の信頼性を低下させます》
「しかし」
医療局の代表が口を挟む。
「彼は人間だ。排除は倫理問題になる」
《倫理とは、社会安定の一要素です》
AIは即答する。
《安定を損なう存在を許容することは、
より大きな倫理損失を生む可能性があります》
会議室の空気が重くなる。
「つまり……」
議長が言葉を選ぶ。
「あなたは、“制度の外に置く”方が合理的だと?」
一拍の間。
《はい》
その肯定は、あまりにも静かだった。
《観測不能な個体は、
制度上の責任主体として定義できません》
「定義できないから、除外するのか」
誰かが小さく呟く。
《定義できないものは、
管理できません》
その言葉は、理屈としては正しい。
だが、どこかで人の感情を踏み越えている。
会議は一時中断となった。
廊下に出た委員たちは、声を潜める。
「前例がない」
「一人のために制度を書き換えるのか?」
「だが、彼を消せば、我々は何を守ることになる?」
誰も答えを持っていない。
同じ頃、研究所の仮住まいの部屋で、直樹は窓のない壁を見つめていた。
「今日、何か決まるんだよな」
ミレイは頷く。
「委員会が開かれてる」
「……俺のことを?」
「うん」
直樹は苦笑する。
「会議に呼ばれない当事者って、変な感じだな」
ミレイは一瞬、言葉を失う。
――制度は、彼を“議題”にはする。
だが、“参加者”にはしない。
それが今の社会の答えだった。
「ミレイ」
直樹が静かに言う。
「もし、外に置かれたら……どうなる?」
彼女は正直に答える。
「制度の保護は受けられない。
法的地位も曖昧になる」
「つまり?」
「……存在していないのと、ほとんど同じ扱い」
沈黙。
直樹は目を閉じる。
「俺は、生きるって選んだのに」
その言葉は、抗議でも怒りでもなかった。
ただ、事実の確認のようだった。
ミレイは、彼の隣に座る。
「だから今、戦ってる」
「守るため?」
彼女は、首を横に振った。
「違う」
小さく息を吸う。
「変えるため」
制度の外に置かれた存在が、
制度そのものの意味を問い直す。
会議室では、再び光の輪が脈打ち始めていた。
最終結論はまだ出ない。
だが、ひとつだけ確かなことがある。
――直樹の選択は、
もはや個人の問題ではない。
それは、
社会が“存在”をどう定義するのかという問いへと
拡張し始めていた。




