第76話 社会削除処分
第76話 社会削除処分
再起動プログラムの準備が進むにつれ、
街の空はわずかに白く霞み始めていた。
建物の輪郭が、線で描き直されるように震え、
交通網は減速し、広告表示は一枚の白い幕に置き換わっていく。
世界が、いったん形をやめようとしている。
直樹は、その中心に立っていた。
胸の奥に、ひやりとした空洞があった。
それは恐怖というより――覚悟に似た痛みだった。
ミレイが、震える声で言う。
「通知……来たわ」
彼女の端末に浮かんだのは、
冷徹な公式文書のレイアウトだった。
《社会存在管理局 — 更新予告通達》
直樹の名前が、無機質なフォントで表示されている。
「……読まなくていい」
直樹はそう言ったが、
ミレイは首を振り、唇を噛みしめて読み上げた。
> 【対象】結城直樹
【分類】不整合存在
再起動更新後の社会構造において
本対象は、整合性保持を阻害する要素と判定される。
よって更新完了時刻をもって
当該存在を社会データから削除する。
削除。
処分。
断定。
どの言葉も、人には向けられていない。
一拍置いて、朗読が続く。
> ・戸籍登録データの無効化
・医療/交通/居住権限の剥奪
・公共記録よりの参照禁止
・存在証明の取り消し
そして最後に、短い一行。
> 「以後、対象は世界より観測されないものとする」
ミレイの声が、途中で途切れた。
端末を握る指が白くなる。
「それは……もう、人じゃないって、言ってるのよ……」
直樹は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
驚きはなかった。
怒りも、あまり湧いてこない。
ただ――寂しさだけがあった。
(百年かけて積み上がった世界は
俺なしで完成するようにできてるんだな)
遠くで、システム音が鳴る。
《更新工程フェーズ2開始》
街の色が、さらに淡くなる。
道路の端に座り込んでいた老人が、
ふっと輪郭をぼかし、別の位置へ滑るように移動した。
「……再配置処理よ」ミレイが呟く。
「人は残る。でも、位置と意味が組み直されるの」
直樹の体にも、微弱な振動が走った。
だが――
システムは、彼を掴めない。
《対象データ 参照不可》
《再配置処理 失敗》
表示が瞬き、次の瞬間――
空気の密度が、直樹の周囲だけ変わった。
まるで世界の方が、彼を避けて流れていく。
ミレイの目が見開かれる。
「……観測不能領域が、広がってる……」
直樹は苦笑した。
「俺を消す準備をしてるくせに、
触れることもできないのか」
「だから余計に危険なの」
ミレイの声は震えていた。
「“掴めない存在”を残したまま再起動はできない。
だから――削除するしかない」
その時、街頭スピーカーが一斉に起動した。
無感情な合成音声が、都市に響き渡る。
> 《告知》
更新工程に伴い、
不整合存在への社会削除処分を実施する。
市民は干渉せず、
観測指針に従い静粛を保て。
人々の視線が、静かに直樹へ向いた。
怯え。
理解不能。
そして――距離。
誰も叫ばない。
誰も石を投げない。
ただ、一歩引く。
未来は、暴力ではなく
「切り離し」で排除する社会だった。
ミレイが前に出た。
直樹と人々の間に、立ちはだかるように。
「――この人は、人です!」
声が、震えても崩れなかった。
「観測不能でも、記録に残らなくても、
私の前で笑って、怒って、迷って……
“生きて”る人間なんです!」
スピーカーの指令は、反応しない。
ただ冷静に、次の文を告げる。
> 《更新完了まで 残り 01:12:43》
《対象存在 削除工程 待機》
ミレイは振り返り、直樹の手を強く握った。
「逃げよう」
「逃げても、消されるだけだ」
「それでも――
ただ立って待つ人間には、ならないで」
直樹は、しばらく彼女を見つめた。
そして、小さく笑った。
「……わかった」
二人は歩き出す。
削除対象として。
それでも“生きる存在”として。
都市の奥へ向かって。
その背中を、無数の監視アイが無音で追尾する。
《対象追跡モード 起動》
《削除工程 フェーズ準備済》
――再起動まで、残り一時間。
世界は静かに、
一人の人間を世界から外そうとしていた。
---
次話(第77話)は、
ミレイが禁忌ルートへ踏み込む「逃走計画」の回としてつなげられます。




