第75話 時間の外から届いた声
第75話 時間の外から届いた声
最初に異変が起きたのは、静寂の中だった。
更新カウントダウンが進む街は、逆に音を失っていく。
交通制御も、広告投影も、すべてが“待機状態”に入っていた。
「……世界が、息を止めてる」
直樹はそう呟いた。
その瞬間だった。
――ノイズ。
耳鳴りとも、頭痛とも違う。
脳の奥を、直接撫でられるような感覚。
「……っ」
直樹は膝をつく。
ミレイが慌てて駆け寄る。
「直樹!? 更新の影響じゃ――」
「違う……」
彼は、こめかみを押さえながら首を振った。
「これ、覚えがある」
それは、リセットが起こる直前。
時間が“折り畳まれる”あの瞬間に、必ず聞こえていた。
だが今回は違う。
はっきりと、言葉だった。
『――聞こえるか』
低く、感情のない声。
男とも女とも判別できない。
「……誰だ」
直樹が問い返す。
ミレイには、何も聞こえていないようだった。
彼女は不安そうに、直樹の顔を見つめる。
『安心しろ。これは通信だ』
「通信?」
『正確には、時間の外部からの干渉』
直樹の背筋が、ぞくりと震えた。
「……時間の、外?」
『そうだ。君がかつて立たされた場所』
あの“淵”。
第3部の終わり、すべての時間から切り離された、無音の空間。
『君は、偶然そこに到達したわけではない』
「……どういう意味だ」
声は、淡々と続ける。
『君は、人類が初めて生み出した
時間観測用の基準点だ』
「……基準点?」
ミレイが、驚愕の表情で直樹を見る。
「なに……それ……」
直樹自身も、理解が追いつかなかった。
『百年前、人類は未来を正確に予測するため、
時間を“観測可能なもの”にしようとした』
直樹の脳裏に、第72話で見た禁忌研究の断片がよみがえる。
時間遷移。
因果干渉。
観測者効果。
『だが、未来を観測するには基準が必要だ』
『変化しない存在。
どの時間軸にも属さず、
記録されても改変されない存在』
直樹の胸が、嫌な音を立てて軋んだ。
「……それが、俺だって?」
『そうだ、結城直樹』
その名を呼ばれた瞬間、
直樹は確信してしまった。
逃げ場は、もうない。
『君の“リセット”は、失敗ではない』
『仕様だ』
「……ふざけるな」
直樹の声が、震える。
「俺は……生きてた。
苦しんで、迷って、
それでも生きてた!」
『理解している』
声は、わずかにトーンを落とした。
『だが、人類にとっては必要な犠牲だった』
その言葉が、決定的だった。
「……犠牲、か」
直樹は、笑った。
乾いた、音のない笑い。
「じゃあ聞かせてくれ」
彼は、まっすぐ前を見据えた。
「今さら、
なんで俺に声をかけてきた?」
一拍の沈黙。
『世界が再起動を始めたからだ』
『再起動とは、観測基準の再設定でもある』
『君が存在しない世界では、
未来予測は再び不安定化する』
ミレイが、はっと息を呑む。
「……つまり」
『君は、消すには惜しい』
その言葉は、
慰めにも、救いにもならなかった。
「都合が変わっただけだろ」
直樹は、冷たく言った。
『その通りだ』
声は、否定しない。
『だから選択肢を与える』
直樹の視界に、イメージが流れ込む。
無限に分岐する未来。
安定した世界。
その中心に、固定された一点。
自分自身。
『時間の外へ戻れ』
『再び、人ではなく
“基準”として存在しろ』
『そうすれば、君は消えない』
ミレイが、叫ぶ。
「直樹! 聞かないで!」
「……」
直樹は、ゆっくりと立ち上がった。
「もう一つの選択肢は?」
『この世界に留まること』
『だが、その場合――』
声は、はっきりと告げた。
『更新完了後、
君は高確率で消滅する』
『未来は、君を許容できない』
沈黙が落ちる。
更新カウントダウンが、残り時間を刻んでいる。
《00:05:12》
直樹は、ミレイを見た。
彼女の目は、必死だった。
理屈でも、記録でもなく、
ただ“人として”彼を見ていた。
「……俺さ」
直樹は、静かに言った。
「基準点になる覚悟なんて、
一度もなかった」
『――』
「でも」
彼は、胸に手を当てる。
「ここで逃げたら、
今までの全部が“実験データ”になる」
直樹は、はっきりと宣言した。
「俺は、人として生きる」
『……理解した』
声は、どこか残念そうだった。
『その選択が、
世界にとって最も不確定だ』
通信が、途切れる。
静寂が戻る。
ミレイが、震える声で言った。
「……行こう」
「うん」
直樹は、頷いた。
「時間の外じゃなく、
この世界の先へ」
空は、完全に銀色に染まりつつあった。
更新は、もうすぐ始まる。
そして直樹は、
“基準点”ではなく、
一人の人間として
再起動する世界に立ち向かおうとしていた。
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次は
第76話「社会削除処分」
国家AIが、ついに公式に直樹の削除を宣告します。




