第63話 ミレイの報告書(未提出)
第63話 ミレイの報告書(未提出)
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ミレイは、薄暗い観察局の一室で固く唇を噛んでいた。
壁一面に並ぶホログラム画面には、未来都市〈ミレニア・リンク〉の再起動ログが途切れなく流れている。
その中に――彼女が見たくなかった赤い文字が、何度も点滅していた。
《観察対象:結城直樹
参照エラー:データ整合性 不一致》
ミレイは目を閉じた。
(……わかってる。わかってるけど……これは、“エラー”なんかじゃない)
机の上には、提出期限を3回過ぎた観察報告書が開いたまま置かれている。
直樹が「時間の外」から戻ってきたあの日から、ミレイは報告書を一行も更新できていなかった。
書けないのではない。
書けば――この世界が、直樹を消してしまうからだ。
観察者としての義務は、すべてを記録し、報告すること。
けれど。
(私が“正確”を優先すれば、直樹は……)
ミレイは端末に指を置く。
システムが自動的にログインを認識し、彼女の専用画面が開いた。
《未提出報告書:観察対象・結城直樹》
テンプレートの冒頭が表示される。
――観察対象の行動・精神状態・影響を記述すること。
(精神状態……行動……)
指が震える。
書こうとすると、直樹が弱っていく未来が脳裏によぎる。
「ミレイ?」
背後から声がした。
振り返ると、同僚のアリアが立っていた。
彼女は淡々とした表情で、ミレイの机に目をやる。
「また提出期限延長の申請……?珍しいわね」
ミレイは咄嗟に表情を整える。
「……少し、データの確認に時間がかかってるだけ」
アリアは眉をひそめた。
「“再起動”後の観察対象のデータ不整合――あなたの対象だけ、エラーが突出してる。
何が起きてるのか、教えてくれてもいいのよ?」
ミレイは喉がひりつくような感覚を覚えながら答えた。
「……まだ、言えないの」
アリアはしばらくミレイを見つめた後、静かに頭を下げてドアの向こうへ消えた。
部屋に静寂が戻る。
ホログラム画面に映る再起動ログが、無機質な光を瞬かせている。
ミレイは再び報告書に視線を落とした。
(書けば、システムが直樹にフラグをつける……
“削除対象”の烙印が押される……)
その瞬間、また頭に蘇る。
――直樹が、更新光に照らされたとき揺らいだ影。
(消えたくない……そんな目をしてた)
深呼吸のあと、ミレイは報告書を閉じた。
「……これは提出しない」
観察者としての義務を捨てるという決意は、ミレイにとって重いものだった。
だが、彼女は迷わず端末の電源を落とし、報告書ファイルを深く暗いフォルダに隠した。
その瞬間。
警告音が一つ、低く鳴った。
《観察局中央AI:未提出報告書・自動精査開始》
ミレイの心臓が跳ねる。
「……どうして、もう!?」
再起動後の世界では、観察者の権限さえも再構築されていたのだ。
AIは、観察者が提出していない情報を“自動的に回収する”機能を強化していた。
つまり――
ミレイが隠した事実は、近いうちにすべてシステムに吸い上げられる。
そのとき直樹は“エラー”として確定されてしまう。
ミレイは席を飛び出した。
(守らないと……私しか、直樹を守れない!)
観察局の廊下を駆け抜ける。
直樹の存在が消されてしまう前に。
彼が「人間として生きる権利」を失ってしまう前に。
ミレイは必死に未来へ手を伸ばすように走り続けた。
その胸の奥には、ひとつの固い決意があった。
――たとえ観察者としての職を失っても、直樹だけは守る。
更新される世界の中、ミレイの心だけが揺らがずに在り続けていた。
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次話 第64話「消去フラグ」
国家レジストリに、直樹の名は“削除対象候補”として静かに登録される。




