第59話 「観察者の決裂」
第59話 「観察者の決裂」
〈監視網・第三区 異常値検出〉
〈対象:リセッター=結城直樹 状態:観測固定〉
――その報告が、未来都市の中枢“アーカイブ・コア”に響いた瞬間。
監視者たちの沈黙が割れた。
無数のホログラムが交錯する空間。
透明な卓を囲む十数人の影――それが“観察者評議会”と呼ばれる存在だった。
最上位監視官が立ち上がる。
その瞳は無機質で、だが内奥には焦りが滲んでいた。
「リセットの停止は予測外だ。だが、結城直樹の存在は依然として安定している。
我々は観察を継続すべきだ」
その言葉に、別の声が割って入る。
低く、鋭い女性の声――《シグマ》。
「継続? 彼が存在し続ければ、この世界の均衡は崩壊する。
リセットが止まったのは“彼が軸になった”からよ。
このままでは、観察の対象が観察者を上回る」
議場がざわめいた。
その瞬間、天井の投影スクリーンに直樹の映像が浮かぶ。
街を歩き、空を見上げ、誰もいない通りで立ち止まる男。
彼の周囲だけが、光の流れを持っていた。
「……彼を消去すれば、世界はリセットされるのか?」
若い監視者のひとりが問う。
クロノは首を横に振る。
「不明だ。だが、存在の中心を破壊することは、時空そのものを崩す危険がある」
「それでも――放置はできないわ」
シグマが言い切る。
「人間として生きようとする彼の意思こそ、最大の“エラー”。
我々は記録の均衡を守るために存在している」
「記録のために命を消すのか?」
ひとりの中堅監視者が、低く呟いた。
「観察とは、理解のための行為じゃなかったのか?
我々はいつから“神のつもり”でいる?」
会議が静まる。
彼の言葉が、まるで刃のように空気を裂いた。
クロノが目を閉じる。
「……決を採る」
〈議題:結城直樹の存在継続可否〉
〈選択肢:保持/削除〉
透明な票が次々と投じられる。
数秒後、ホログラムが結果を示した。
〈保持:6 削除:6〉
同数。
評議会は、初めて“決定不能”に陥った。
その瞬間、部屋の空気が歪む。
中央のスクリーンに、赤い警告が走った。
〈未承認アクセス検出〉
〈観察領域・第零層――侵入者有り〉
クロノが鋭く顔を上げた。
「誰だ……?」
映像が切り替わる。
そこに映っていたのは――カノンだった。
「やめてください。彼を消すことは、この世界の終わりを意味します」
彼女の声が響いた瞬間、会議場が凍りついた。
なぜなら――彼女はすでに“記録上、存在していない”はずの人物だったからだ。
「記録から消えたはずの個体が……?」
シグマの声が震える。
カノンは一歩、投影の向こうから進み出る。
「私は記録にはいません。でも、彼の記憶の“欠片”に残っている。
あなたたちの世界が切り捨てた“人間の記憶”に」
その言葉に、ルカが目を見開いた。
――“記録されない記憶”。
それこそが、彼女が直樹に託した最後の希望だった。
クロノは静かに言った。
「……カノン。お前の目的は何だ?」
「彼を生かすこと。そして、記録ではなく“想い”が世界を繋ぐことを証明すること」
議場の照明が落ちる。
次の瞬間、全データ回線が遮断された。
誰かが動いた。
内部の誰かが――直樹の“削除計画”を実行しようとしていた。
カノンの映像がかすかに乱れながら言った。
「直樹……聞こえる? あなたを――守る」
通信が途絶える。
そして、評議会の外で、何かが“崩壊する”音が響いた。
時間の均衡が、ついに軋み始めたのだった。
―――
次回、第60話「時間の淵で」では、
崩壊する時空の中で直樹が“存在の選択”を迫られる最終局面。
カノンの記録、監視者たちの決裂、そして――リセッターの真実が明かされます。




