第38話「リセット不能の夜」
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第38話「リセット不能の夜」
その日、直樹は胸の奥に違和感を覚えていた。
繰り返されるはずの一日の光景に、微細な“乱れ”が混じっている。
鳥の羽音が一拍遅れ、カノンが差し出す水の量がわずかに少ない。
それは些細な誤差に過ぎなかったが――直樹には、それが決定的な変化の兆しに思えた。
夜が訪れる。
いつもなら、まぶたを閉じた瞬間に“リセット”の奔流が押し寄せ、次に目を開ければ朝を迎える。
それが、この数十年繰り返されてきた直樹の“日常”だった。
だが、その夜は違った。
いくら待っても、リセットは訪れなかった。
「……来ない」
直樹は息を呑んだ。
時間は確かに“流れ続けている”。
秒針が進む音が、かつてないほど鮮明に耳に響いた。
「直樹……?」
隣で眠っていたカノンが、異変を察したように目を覚ます。
直樹は彼女の手を取り、震える声で言った。
「リセットが……起きないんだ」
カノンの瞳が大きく見開かれる。
彼女にとっても、それは想定外の事態だった。
リセットは直樹の存在を規定する法則のようなもの――それが働かない夜が来るとは、記録のどこにもなかった。
「直樹、これは……」
「もしかしたら……本当に“時間が動き始めた”のかもしれない」
その瞬間、二人の間に沈黙が落ちた。
リセットが訪れないということは、二度と過去に戻れない可能性を意味する。
過ちも、喪失も、すべてが不可逆になる。
それは同時に、初めて“未来”が開かれることでもあった。
やがて、夜明けが近づく。
空がうっすらと白み、鳥の声が響く。
直樹は、その光景を呆然と見つめていた。
「……朝が、来た」
その声は、感嘆と恐怖の入り混じった震えを帯びていた。
これまで無限に繰り返された“朝”とは違う。
もう二度と戻らない、唯一の朝だった。
カノンがそっと微笑んだ。
「直樹……おめでとう。あなたは、ようやく“今”に立ったのね」
涙がこぼれそうになるのを、直樹は必死にこらえた。
しかし心の奥では理解していた。
これは祝福であると同時に――試練の始まりでもある、と。
> 終わらないリセットから解放された今、
直樹の時間は、ようやく彼自身のものとなった。
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次回
第39話「明けない朝の先へ」
初めて訪れた“未来”。
直樹は、進むべき道を選び取らなければならない――。
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