第35話「記録されざる涙」
---
第35話「記録されざる涙」
直樹とカノンは、赤い記録石から得た断片情報をもとに、さらに奥深く封印された記録群へとアクセスを試みていた。
場所はかつて存在した“観察者アーカイブ”の地下領域。
正式な記録ネットワークから切り離され、物理的にもアクセスを拒絶された区域。
そこには、観察者たち自身の“記録されなかった記録”が残されていた。
カノンが光のプレートを起動させると、空間に古びた記録映像が再生された。
> 「……これは、個人的な記録です。正式な保存対象ではありません。
私は“記録されない”という罪を犯しています。けれど、どうしても、残さずにはいられなかった」
映像の中で語っていたのは、若い女性の観察者だった。
その表情には疲弊と痛みが刻まれていた。
「この人……誰?」
直樹が訊ねると、カノンは静かに答えた。
「私の“師”です。正式な記録では、存在していません。
彼女は観察者の中でも、特異な立場にいた――“共感する観察者”でした」
「共感?」
「本来、観察者は対象に感情を持ってはいけない。
でも、彼女は……リセッターだった“ある人物”に、強く心を寄せてしまった」
映像の女性は言葉を続けていた。
> 「私は知っている。彼が何度も苦しみ、何度も消され、それでも立ち上がっていたことを。
記録が彼を追えなくなっても、私は彼の存在を感じていた。
それを誰にも言えないまま、私はただ、見ていた」
女性は最後に、こう締めくくった。
> 「記録されない涙は、消えていく。けれど、それが誰かに届く日があるなら――私は報われる」
映像が終わると、空間には長い沈黙が残った。
カノンの目には、わずかに潤みが浮かんでいた。
「彼女の残した非公式な記録は、記録社会の根底にとって脅威とみなされ、すべて消去された……はずでした。でも、一部がこうして残っていた」
直樹は、胸の奥に重い塊を感じていた。
人知れず見つめていた誰か。
記録にも残らず、ただ一人の人間として、心を通わせた観察者。
「記録されない想いも、確かに存在してたんだな」
「ええ。それがこの社会の“矛盾”なの。
記録だけでは世界を描ききれない。人の感情も、痛みも、そして涙も――
記録されなくても、確かにそこに“在った”ということ」
直樹は深く息を吸った。
そして、静かに言った。
「俺は、この“記録されなかった”ものたちのためにも、前に進むよ。
この涙が、ただの幻にならないように」
カノンはうなずいた。
「それが、私たち観察者が最後に守るべきものなのかもしれないわね。
“記録の外側にあった、確かな存在”」
---
次回:
第36話「観察者狩り」
反乱の気配が広がる中、記録社会の中枢が動き出す。
粛清の波が、カノンたち“共感する観察者”に迫る──。




