第29話「静かなる反乱」
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第29話「静かなる反乱」
非記録圏に暮らす人々は、沈黙を生きていた。
語らず、記さず、ただ在ることを選んだ人々。だが、その静けさの奥に、直樹は確かな“意志”のようなものを感じていた。
集落に暮らすある老女が、ぽつりとつぶやいた。
「昔、記録に抗おうとした者はね、声を上げずに行動したのよ。誰にも見つからぬよう、でも確実に」
それは、暴力による反乱ではなかった。
むしろ、社会の目からそっと外れることで、記録の権力に傷をつける静かな抵抗だった。
やがて直樹とカノンは、村の広場に招かれた。そこでは、定期的に集会のようなものが開かれていたが、言葉は交わされなかった。人々は火を囲み、互いに目を見交わすだけで通じ合っていた。
その中心に座る青年が、直樹に近づいた。
彼の名はシエン。非記録圏をまとめるリーダーのような存在だった。
「君は……“観測されていない”人間だろう?」
唐突な問いかけに、直樹はうなずいた。
「記録に存在しない者が記録社会に与える影響は大きい。だから君のような存在が現れると、管理側は焦る。存在しない者の行動は、記録では制御できないからな」
直樹は、警戒と希望の入り混じった目で彼を見返した。
「だから、君を象徴にしたいという者もいる。けれど、僕たちは“誰かに託す”というやり方はしない。変革は、誰かの英雄譚ではなく、無数の匿名の行動から生まれる」
「……“静かな反乱”か」
シエンは微笑んだ。
「そうだ。君がここに来たのは偶然ではない。これも何かの連鎖の一部かもしれない。君のリセット現象も、記録が全てだと思い込んできた社会への問いだとしたら――」
直樹は、小屋に戻ってから一晩中考え込んだ。
記録から逸れた存在たちが、声を上げずに世の仕組みを揺るがしている。言葉を持たぬ書簡と、静かに燃える人々の意志。それは確かに、自分の中にも根付き始めていた。
翌朝、直樹は手記にこう記した。
> 「記録されないということは、無ではない。むしろ、“記録されぬ意志”こそが、最も強い自由なのかもしれない」
非記録圏の静寂は、確かに風を孕んでいた。
それは、確実に社会の中心へと広がろうとしていた。
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次は第30話「“観察対象ゼロ”」を執筆しましょう。




