第28話「言葉のない書簡」
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第28話「言葉のない書簡」
その日、直樹とカノンは非記録圏の奥深くにある、かつて宗教施設だったという廃墟を訪れていた。
崩れかけた石造りの建物は、時間の経過と風化の痕跡を色濃く残していた。天井の一部は抜け落ち、壁にはツタが這い回っている。だが、そこに残された静寂には、不思議な敬虔さがあった。
直樹は建物の奥へと足を進めた。
誰も記録していない空間。誰にも監視されていない時間。そこに、自分の存在の意味を問い直すような何かがある気がした。
「こっち、見て」
カノンが、床の一角を指さして呼んだ。
直樹が近づくと、床石の下に小さな空洞があり、そこに古びた金属箱が埋まっていた。二人で慎重に取り出し、蓋を開ける。
中には、紙に包まれた何かが入っていた。
丁寧にほどくと、そこに現れたのは――文字のない書簡だった。
羊皮紙のような手触りのそれには、言葉は書かれていなかった。ただ、幾何学的な紋様や不規則な線が、まるで言葉の代わりに感情を伝えようとしているかのように描かれていた。
「……これは、言語じゃないの?」
「いいえ。これは“記号”……だけど、私には何かが伝わってくる気がする。言葉じゃなく、感覚として」
カノンがそう言って、そっと紙を撫でた。
直樹は、その紙に描かれた渦のような図形に、既視感を覚えた。
――これは、夢で見たものと同じだ。
前夜、夢の中で何度も浮かび上がったあの“赤い石”の表面に刻まれていた紋様と、酷似していた。
「まさか、俺が……この場所を知っていた?」
直樹の声に、カノンは目を細めた。
「あるいは……この書簡は、“あなたに向けたもの”なのかもね。言葉がなくても、届くものってある」
二人は書簡を持ち帰り、非記録圏の小屋で何度もその意味を探った。
直樹の頭の中には、日々のリセットの狭間に現れる“断片的な記憶”が浮かび始めていた。それは過去ではなく、どこかで誰かが自分に託した“感覚の遺産”のようでもあった。
この書簡――言葉を持たないそれは、記録の枠を超えた“人の思い”が宿る証なのかもしれない。
「言葉じゃなくても、伝わる記録がある」
直樹は、そうつぶやいた。
非記録圏で出会ったこの“言葉なき書簡”は、確かに彼の中の何かを揺り動かしていた。
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次は第29話「静かなる反乱」を執筆しましょう。




