第19話「観察者の涙」
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第19話「観察者の涙」
赤く点滅するホログラムの一点――
そこは“観測不能領域”。
だが、その位置に記されていた名前は、紛れもなく**「結城直樹」**だった。
「……なんだ、これは」
直樹の声がかすれる。
“自分”が存在していたはずの領域が、なぜ「観測不能」とされているのか。
それはこの世界において、“存在していないこと”を意味していた。
「直樹さん、あの領域は“世界の目”から完全に遮断されています。あらゆる記録装置、観測AI、ネットワークからも排除された“無の空間”です」
カノンの声は静かだった。けれど、彼女の瞳には明らかな揺らぎがあった。
「あなたは、あの中にいた。5年間……ずっと」
「記録も、映像も、ないって……本当に?」
「はい。私たち“記録者”でさえ、そこにアクセスすることは許されていません」
「……じゃあ、あの時、俺を見ていたのは……誰だ?」
沈黙が訪れた。
長い、重たい沈黙。
やがて、カノンは言った。
「――私です」
直樹が目を見開いた。
「“観測不能”であっても、“感じ取る”ことはできるんです。私は記録者である前に……あなたの観察者でした」
ホログラムが消え、部屋の照明がゆっくりと落ちる。
「誰にも知られずに過ごす日々……それを、ただ“見ている”だけの存在。
あなたが笑うときも、怒るときも、泣くときも――私は、記録できなかった。けれど……見ていたんです」
その声は震えていた。
直樹が振り返ると、カノンの目には確かに“涙”が光っていた。
「私には、なぜ記録が消されたのかも分かりません。
でも、あなたがそこにいたこと、そこに“生きていた”ことだけは――どうしても、忘れたくなかった」
観察者であるはずの彼女が、記録を超えて“個人としての想い”を抱いていた。
「……ありがとう」
直樹のその一言に、カノンは微笑んだ。
それは人の営みから切り離された、この時代にはあまりに不自然な――けれど、確かに“人間らしい”瞬間だった。
「私は……あの5年間を、あなたが生きていた証として、記憶します。記録されなくても、心に残すことはできるから」
“観察者”の涙は、静かに頬を伝った。
それは、世界の外にいた男と、彼を見守っていた存在が交わした、唯一の記憶だった。
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**第20話「第1部・終幕『存在の意味』」**へと進みます。
いよいよ第1部のラストとなります。




