9話目
ラヴェルノワ公爵家の威圧的な訪問が終わり、ようやく彼らを送り出した後――。
「……やっと…終わった。」
家族全員、まるで魂が抜けたように食堂へ戻ってきた。
「ど、どういうことだ……。なぜご両親まで……。」
父はぐったりと椅子に座り込みながら、頭を抱える。
「わ、わかりません。」
私も脱力しながら答えた。
本来、婚約の挨拶といえば、せいぜい当人同士と双方の父親が話し合うもの。
それなのに、よりにもよって公爵夫妻まで勢揃いしてしまうとは……。
「まさかここまで熱烈な歓迎を受けるなんて……」
母は目元を押さえながら、信じられない様子でため息をつく。
「そもそも、彼のご両親があんなに積極的だったのはなぜなのかしら……?」
「むしろ、ヴィヴィエン本人よりも熱心だったわよね……」
姉も呆れながら言う。
(そう……私は、ヴィヴィエンのことを何も知らないのだ。)
彼がどんな家で育ち、どんな考えを持っているのか。
どうして私を選んだのか――。
(どうやって知っていけばいいのかさえ、わかっていない。)
―――――――――――
―――――――――
――翌日。
私は、ローベルク伯爵家の馬車に乗り、王都の図書館へ向かった。
(ここなら、貴族の家系や歴史について詳しく調べられるはず。)
ヴィヴィエンやラヴェルノワ公爵家について、何かしら手がかりを得られるかもしれない。
館内に入ると、キャリーが手際よく本を探し始めた。
私は指定席へ座り、運ばれてくる本を一冊ずつ開いていく。
「ふむふむ……」
まず、ヴィヴィエンの兄弟について。
長男:ヴィヴィエン
次男:ヴィジェスト
三男:ヴィートヒート
四男:ヴィルダン
五男:ヴィーネスト
「……全員、名前に『ヴィ』がついてる。」
(これ、もうラヴェルノワ公爵家の伝統なのかしら?)
そして、兄弟の居住地を調べてみると、
次男以下の兄弟はすべて領地に住んでおり、王都に住んでいるのはヴィヴィエンと両親のみ。
(なるほど……)
つまり、王都の屋敷は元公爵夫妻とヴィヴィエンだけの空間というわけね。
(っていうか、鉱山の所有量多っ!! ドン引きするレベルなんだけど!!)
王国でも有数の鉱山をいくつも所有し、財力も相当なもの。
しかも歴史を遡ると、何代かは王族と婚姻している。
(さすが公爵家……)
さらに、家族の肖像画の記録を見つけた。
第14代目当主、ヴィストリア・ラヴェルノワ公爵。
その妻、エミリア・ラヴェルノワ公爵夫人。
「……美男美女。」
(そりゃヴィヴィエンが生まれるのも納得だわ。)
この両親から生まれて、あの銀髪紫眼の公爵が誕生したのね。
(まったく、どこまで完璧な血筋なのよ……)
そんなことを考えながら本を読み進めていたのだが――。
ふと、あることに気づいた。
(……ん?)
キャリーが、やたらと的確に本を渡してくる。
いや、いくら優秀な侍女とはいえ、普通ここまで完璧に調べる本を選べるもの?
(いったい、どうして……?)
不思議に思い、キャリーの方をちらりと見ると――。
その横に、銀色の髪の人物がいた。
(……え?)
ヴィヴィエン・ラヴェルノワ。
「なっ……!?」
図書館だから声を上げるわけにはいかない。
私は慌てて自分の口を押さえた。
(なんでいるの!? しかも、どうして本選びしてるの!!?)
キャリーに本を手渡しているヴィヴィエンは、まるで当然のようにそこに立っていた。
(ちょっと待って……なんで公爵様本人が、図書館で本を運んでるの!?)
というか、私が調べようとしていた本を、先に選んで持ってきてたの!?
混乱しながら、私は立ち上がり、ズカズカと彼の元へ歩み寄る。
「……」
ヴィヴィエンは、突然の私の接近に気づき、静かに視線を向けた。
(いやいや、そんな涼しい顔してないで!! なんでいるのよ!!)
私は彼の手首をガシッと掴み――。
「ちょっと、来てください!!」
そう言いながら、図書館の外へ連れ出そうとした――が。
ピタリ。
足が止まる。
(……いや、こっちです。)
急に冷静になった私は、そっと彼の手を離し、先ほど座っていた席の隣を指さす。
ヴィヴィエンは不思議そうに私を見つめたが、大人しく隣に腰を下ろした。
(……しまった。)
私は思わず頭を抱える。
(未来の記憶があるから、つい「普通に話せる」って錯覚しちゃったわ。)
彼とは王妃時代に何度も会話をしていた。
けれど、よく考えればあの頃の彼はもう「失声症ではなかった」――つまり、今のヴィヴィエンとは状況が違う。
(……筆談でいいじゃない。)
喋れないんだから。
私は深く息をつき、近くにあった紙とインクを用意する。
「はい、これを使いましょう。」
ヴィヴィエンは黙ったまま、すんなりとペンを取った。
私は紙にさらさらと書く。
『どうしていらっしゃるのですか?』
ヴィヴィエンは軽くペンを走らせる。
『家に行ったら、ここだと言われた。』
「……」
(また…家に来たんですね。)
『声をかけてくださればいいのに!』
そう返すと、ヴィヴィエンは少し間を置き、ゆっくりと文字を綴る。
『どうせ、言葉を話せないし、いいかなって。』
「…………」
(確かに……うん、確かにね。うんうん。)
(……いや、うーーーーん。)
私は少し迷った後、次の質問を書く。
『どうして、あんなに早急に求婚状を?』
ヴィヴィエンは躊躇なく筆を走らせる。
『ミシェリア様がそう望んでいたから』
「………………様?」
(え、なんで「様」づけなの!? そもそも、どうして私が望んでいたって分かったの!?)
そこで、私は急にある疑問を思い出す。
(もしかして、公爵様って……)
私は慎重に、次の言葉を書く。
『もしかして、公爵様って、前世の記憶があるのですか?』
ヴィヴィエンは一瞬手を止めた。
彼の瞳が、一瞬だけ揺らいだのが見える。
しかし、次の瞬間――
彼は冷静にペンを握り直し、返事を書こうとした。
――バチンッ!!
「っ!?」
まるで小さな雷が弾けるような音が響き、紙の一部が小さく燃えた。
同時に、ヴィヴィエンが手にしていたペンの先が、じりじりと焦げる。
「なっ……!?」
私は驚いてヴィヴィエンを見つめた。
しかし、さらに衝撃的なことが起こる。
ぽたっ。
ヴィヴィエンの鼻から、血が垂れた。
「ちょっ!? 公爵様!!?」
私は慌ててハンカチを取り出し、ヴィヴィエンの鼻を押さえた。
(鼻血……!? いったい何が!?)
私はすぐに彼の顔を覗き込む。
ヴィヴィエンは特に動揺した様子もなく、ただ少しぼんやりとした顔をしていた。
(これは……)
私は、ある人物の姿を思い出す。
――シェルク。
私の未来の息子も、よく鼻血を出していた。
そのたびに私は、こうして慣れた手つきで拭いてあげていた。
「もう、大丈夫ですよ。」
手際よくハンカチを押し当て、血が止まるのを待つ。
(いったい、何が……?)
私の心の中に、ある考えが浮かぶ。
(もしかして、「前世の記憶」について話すこと自体が、何かの制約になっているのでは……?)
記憶を持つ者が、それについて語ろうとすると、何らかの力が働き、それを阻止する――。
(そういえば……王太子妃だった頃、王宮の禁書の中に、そんな内容のものがあったような……)
ただ、詳しい内容は思い出せない。
(私の回帰と、何か関係が……?)
しかし、それはありえないはずだ。
(だって、もし、回帰の禁術があったとしても、王族にしか扱えないもの。)
――でも、ラヴェルノワ公爵家には王族の血が流れている。
私はハンカチをそっと外し、彼の顔を覗き込む。
「……もう止まったかしら?」
ヴィヴィエンは無言で頷いた。
私はハンカチの端を使い、鼻の下についた血の跡を丁寧に拭ってあげる。
「よかった……でも、もう聞かないわ。」
ヴィヴィエンは少し目を伏せると、静かに手を伸ばし、私の手をそっと握り――
チュッ。
手の甲に、静かに唇を落とした。
「なっ……!!?」
私の顔が一瞬で真っ赤になる。
――しかし、それだけでは終わらなかった。
彼はそのまま、私の手のひらを返し――
チュッ。
(!?!?!?!?)
「なっ!!??」
周囲が一瞬で凍りつく。
静かな図書館の中で、全員がこちらをガン見していた。
(ひ、ひゃあああああああああ!!!!)