7話目
「……いったたた……!」
朝食を取るため、私は必死に足を動かしながら階段を降りた。
まるで鉛のように重たい足。
筋肉痛がひどすぎて、一歩進むごとに全身が悲鳴を上げる。
(ダンス、恐るべし……!!)
元・王太子妃として多少の舞踏経験はあったけれど、まさか五曲連続で踊るなんて想定していなかった。
普通の貴族令嬢だったら、途中で倒れてるレベルよね……。
手すりにしがみつきながら、なんとか食堂にたどり着いた。
扉を開けると――。
家族全員が、異様な目線で私を見ていた。
「……え?」
いつもなら、朝食は穏やかな雰囲気の中で進む。
だけど、今日の空気は違う。
みんなの視線が、まるで尋問でもするかのように私に向けられていた。
父、母、姉のシェリルア――。
さらには使用人たちまでもが、微妙な表情でこちらを見ている。
(な、なにこの雰囲気……!?)
すると、父が重々しく口を開いた。
「ミシェリア……」
「は、はいっ!?」
「昨夜のことだが――」
ズシン、と空気が重くなる。
「なぜ、あの失声症のラヴェルノワ公爵と一緒だったのか?」
「…………」
「本当に、ダンスを五曲も連続で踊ったのか?」
「…………」
父の真剣な目が私に向けられる。
(新聞で知ったのね……!!)
当然かもしれない。
今朝の新聞の大見出しには、私とラヴェルノワ公爵の"求愛のダンス"が大々的に書かれていた。
あんな記事を見れば、家族が驚くのも無理はない。
私はゴクリと喉を鳴らし、ゆっくりと答えた。
「え、ええと……その……本当です……。」
食堂に微妙な沈黙が落ちる。
母は口を押さえ、姉のシェリルアは呆れたようにため息をついた。
(……ええと、これ、どう弁明すればいいのかしら。)
しかし、言い訳を考える間もなく、執事が部屋に入ってきた。
「旦那様、こちらが本日早朝に届いたお手紙です。」
執事が分厚い封筒を手に持ち、父の前に差し出した。
(なにこれ……妙に重厚な手紙……)
父は眉をひそめながらそれを受け取ると、封を開き、中の書状を広げた。
そして――
父の顔色が、一瞬で変わった。
「なっ……!?」
血相を変え、手紙を握る指がピクリと震える。
「これは……っ!!」
「お、父様……?」
私が恐る恐る声をかけると、父は手紙をぎゅっと握りしめ、深いため息をついた。
「……まさか、こんなことになるとは……」
「え、何が……?」
父は無言で私を見つめ――、
そして、次の瞬間、衝撃的な言葉を口にした。
「……ラヴェルノワ公爵から、正式な求婚状が届いた……!!!」
「……………………」
(え。)
食堂に、静寂が落ちた。
私は固まったまま、父の手に握られた手紙を見つめた。
――本当に、来たの!?!? 求婚状!!!
(いやいや、ちょっと待って!? 早すぎない!?)
驚きのあまり、私は固まったまま父の手に握られた手紙を見つめるしかなかった。
これは……まごうことなき正式な求婚状。
ヴィヴィエン、本当に送ったの!?
あの場のノリとか冗談じゃなかったの!?
(いや、彼はそういうことをする人じゃない……むしろ、ものすごく真剣だった……!!)
でも、それでも早すぎる!!
昨夜の舞踏会で婚約の話をしたばかりなのに、まさか翌朝には正式な求婚状が届くなんて……。
「ミーシャは……お前は、言っていたじゃないか。」
父が重いため息をつきながら、口を開いた。
「母親が大好きすぎて嫌だとか、お金にしか見ていないだとか、潔癖症すぎて嫌だとか、伯爵家以上は気が引けるだとか……」
「…………」
「それなのに、よりにもよって公爵家で失声症の相手だぞ。本当にいいのか?」
(うっ……)
言われてみれば、私は昔から結婚相手にいろいろ注文をつけていた気がする。
いや、だって、好きでもない相手と一生を共にするのだから、それくらい慎重になって当然でしょう!?
「……いや、これが届いた以上、受けないわけにはいかないのだが……」
父は深く考え込むように、求婚状を睨みつける。
「そうですね。それに、五曲連続のダンスはやりすぎよ……。」
母が嘆くように肩を落とした。
(私の体が一番嘆いているわよ……!!!)
足も腕も、まだ悲鳴を上げている。
今も動くたびに筋肉痛がズキズキと主張してくる。
「それにしても……」
姉のシェリルアが、驚いたように呟いた。
「私より先に婚約者を見つけてしまうなんて!」
「…………」
(ごめんなさい、お姉様。)
12歳の時、私は姉の結婚をぶち壊した。
未来で不幸になると分かっていたから、ダーリルとの婚約を阻止した。
その私が、姉よりも先に婚約を決めるなんて……!!
(こんなはずじゃ……!!)
申し訳なさそうに視線を逸らすと、父が深刻な表情のまま、求婚状を指でトントンと叩いた。
「で、どうなんだ。」
「え?」
「早急に返事を出していいんだな?」
「……あ、はい。構いません。」
(もうここまで来たら引き返せないし!!)
父は「ふむ……」と納得しながらも、まだ少し考え込むような顔をしていた。
「いったい、どういう馴れ初めだったんだ?」
父が慎重に尋ねる。
(馴れ初め……馴れ初め……)
未来の彼なら、私のすぐそばにいたような気がする。
王妃だった頃、常に護衛の数が多すぎてあまり気にしていなかったけれど……。
でも、毒を飲んだあの日だけは、最後まで私を護衛すると言っていた。
それなのに、私は彼に「おつかい」を頼んで席を外させた……。
(……まぁ、今の私にとっては数年前のことだから、そんな細かいことは覚えてないけどね!!)
とりあえず、適当に説明するしかない。
「あの……」
私は家族の前で口を開く。
「壁の花になって泣いていた公爵様に………」
「………………?」
家族全員が、一瞬きょとんとした。
「公爵様に?」
「……ハンカチでごしごし涙を拭いてやったんです!」
「…………」
シーーーーーン。
次の瞬間――
「あほかーーーーー!! 不敬罪だーーーー!!」
父、母、姉の怒号が食堂に響いた。
「公爵様の涙を……ごしごし……?」
母は頭を抱え、信じられないものを見るような顔をしている。
「それ、本当に公爵相手にやったのか?」
父は驚きと呆れが混じった声で言う。
「あのラヴェルノワ公爵に、不敬罪で捕らえられなかったのが奇跡だぞ!?」
「え、でも……すごく驚いてたけど、怒ってはなかったし……!」
「そりゃ驚くわよ!! 普通の貴族令嬢なら、そんなことできないんだから!!」
「むしろ、それでどうして求婚状が届いたのかしら……?」
姉が遠い目をしながら呟いた。
「……本当に、どうしてこんなことになったのかしらね……」
家族全員が頭を抱え、ため息をつく。
(いや、私が一番知りたいから!!)
そんな中、父が求婚状の続きを黙々と読み進めていた。
「……」
何やら難しい顔をしながら、手紙の最後の部分に目を走らせる。
「……なんだこれは……」
父の声が低くなる。
「え?」
「ラヴェルノワ公爵本人が、返事を受け取りに明日の午後、直接訪問するそうだ。」
「……………………」
一瞬、食堂に静寂が訪れた。
「……え?」
私が間抜けな声を出す。
「つまり、明日、公爵様がここに来るの?」
「そういうことだ。」
「…………」
(はやい!! 早すぎる!!)
普通、求婚状への返事は数日、もしくは数週間かけてやり取りをするのが一般的だ。
それなのに、もう明日には直接受け取りに来る!?
(なんでそんなに急いでるのよ!!)
「……本当に、公爵はお前との婚約を決める気のようだな。」
父が神妙な顔でそう呟いた。
母も姉も、驚きながら顔を見合わせる。
(い、いやいや、なんでこんな展開になってるの!?)