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声を失った公爵様に嫁ぎます 〜前世の夫から逃げたいのに、なぜか執着されてるんですが!?〜  作者: 無月公主


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69話目

王城を後にし、ラヴェルノワ公爵邸へ向かう馬車は闇の中を走り続けていた。


車内には、馬の蹄が石畳を叩く音と、荒い息遣いだけが響く。


ヴィヴィアンは、ミシェリアの顔をじっと見つめた。


冷たくなった肌。閉じられたままの瞳。


あれほど愛らしく笑っていた彼女が、今はもう、何の反応も示さない。


胸が締めつけられる。


そんな時——


「……あのね、ヴィヴィ……僕、時間を回帰させる!!」


突然、シェルクが強い声で言った。


「……何?」


ヴィヴィアンは耳を疑う。


子どもの世迷言だと、一瞬思った。


「正気ですか?」


「本気だよ」


シェルクは強く言い切った。


幼い手で拳を握りしめ、真っ直ぐな瞳でヴィヴィアンを見つめる。


「王家の禁書庫で見たんだ。ヴィヴィだって、母上に生きてほしいでしょ?」


その言葉に、ヴィヴィアンは息を詰まらせた。


ミシェリアの亡骸を抱きながら、彼は苦悩する。


確かに、彼女が生きていてくれたらと今も願っている。


何度、あの瞬間に…側を離れる前に戻れたらと思っていることか。


だが——


「……ですが、もし本当に時間を戻せたとしても、シェルク様がお生まれにならないかもしれません」


静かに、しかし確かに言った。


シェルクの顔が少し曇る。


けれど——


「ヴィヴィ、これ見て」


シェルクは先ほど禁書庫から持ち出した本をヴィヴィアンに差し出した。


ページをめくると、そこには——


回帰の方法、そして魂の引継ぎ方法が詳細に記されていた。


「……これは……」


ヴィヴィアンの紫の瞳が揺れる。


「本当に?」


「うん。僕のこの指輪と、僕の血があれば儀式は成功するんだ」


幼い指で、シェルクは指輪をそっと撫でた。


しかし、ヴィヴィアンの表情は険しいままだった。


「ですが……この儀式には、大量の人を生贄にせねばなりません」


苦々しく呟く。


大きすぎる代償。


それを受け入れることなど、簡単にできるはずがない。


だが——


「でも!!」


シェルクが声を荒げた。


「母上のいない世界にいても、ヴィヴィには意味がないよね?」


ヴィヴィアンの胸に鋭い痛みが走る。


「……っ」


シェルクは続ける。


「僕、知ってるよ。ヴィヴィ、母上のこと大好きだよね」


「……」


「ヴィヴィ、母上を愛してるよね?」


「それ……は……」


ヴィヴィアンは言葉を詰まらせた。


答えを知っている。


けれど、それを認めることは、これまで許されなかった。


ミシェリアは王太子の妃だった。


決して手を伸ばしてはいけない存在だった。


しかし、それでも。


ヴィヴィアンが彼女を想っていたことだけは、確かな真実だった。


シェルクはそっとヴィヴィアンの手を握る。


「僕ね……ずっと、こう思ってたの」


「……?」


「ヴィヴィが僕の本当の父親だったら良いのに、って」


ヴィヴィアンの呼吸が止まる。


「……シェルク様……」


「ヴィヴィ……僕の本当の父上になって……」


幼い声が、静かに響いた。


ヴィヴィアンの胸の奥が、ぐしゃりと潰れるような感覚に襲われる。


どうして、この子はこんなにも残酷なことを言うのだろう。


だが、同時に、それは願ってもない言葉だった。


「……わかり……ました」


ヴィヴィアンは静かに目を閉じた。


そして、心の奥底に押し込めていた想いを、ゆっくりと解放するように。


運命を変える決断を——した。


◇◆◇◆◇


軋む音とともに、馬車が屋敷の前で止まった。


ヴィヴィアンは迷うことなく、ミシェリアの冷たい体を抱きかかえ、シェルクの小さな手をしっかりと握ったまま、まっすぐ屋敷の奥へと進んだ。


だが、進むにつれ、空気が変わっていく。


階段を降りるたびに、冷たい風が肌を刺す。暗闇が深くなるにつれ、じめっとした湿気が鼻をつく。まるで地上とは別の世界に迷い込んだかのような感覚だった。


――ゴトンッ。


錆びついた鉄の扉の前で、シェルクが足を止める。


「……ここ?」


かすれた声で尋ねるシェルクの目には、不安と緊張が入り混じっていた。


「はい」


ヴィヴィアンは短く答え、ゆっくりと扉を押し開く。


中に広がるのは、広く暗い地下牢。石壁には無数の鎖がぶら下がり、かすかに滴る水の音だけが響いていた。


シェルクは喉をゴクリと鳴らしながら、奥へ進む。


「ここなら誰にも邪魔されませんし、術を行うための"中心"としても最適です」


ヴィヴィアンは慎重に牢の中を見渡し、言葉を続けた。


「シェルク殿下……どうか、この場をお使いください。ラヴェルノワ公爵家……すべての者の命を捧げます」


その言葉に、シェルクは目を見開いた。


「……でも、それじゃあ……」


手のひらに力が入る。


「何人かには、呪いがかかってしまうかもしれないね」


儀式の代償。それがどれほどのものになるのか——正確には誰にも分からない。


それでも、やるしかない。


「……ヴィヴィアン、ご両親と兄弟を連れてきて。僕から説明する」


シェルクの声は、震えていた。それでも、その小さな体から発せられる言葉は、迷いのないものだった。


ヴィヴィアンはしばらくシェルクを見つめ、やがて静かに頷いた。


「……かしこまりました」


そう言うと、彼はミシェリアの亡骸をそっと床に寝かせ、ゆっくりと後ろを向いた。そして、無言のまま地下牢を出ていく。


扉が重く閉まる音が響いた瞬間——


シェルクは、ガクッと膝をついた。


「……母上……」


震える手で、母のドレスの裾に触れる。


(怖い……。)


でも、やるしかない。


ミシェリアを救うためには、もう他に道はない。


シェルクは、ゆっくりとドレスの中へ手を伸ばした。


指先が硬い感触を捉える。


短剣——。


ミシェリアがいつも隠し持っていたものだった。王宮で生き延びるために、彼女が常に持ち歩いていた小さな刃。


震える指で、それを引き抜く。


(僕が……やらなきゃ……。)


短剣の刃を、そっと自分の指に当てる。


「……っ」


ほんの少し、力を入れると——


チクリ。


鋭い痛みとともに、鮮やかな血が流れ出した。


ポタ、ポタ……。


冷たい床に、紅い雫が落ちる。


シェルクは歯を食いしばりながら、その血を使って床へ指を滑らせた。


指の動きは、震えている。


けれど、絶対に間違えてはいけない。


一筆、一筆——慎重に、確実に。


魔法陣が、徐々にその輪郭を現していく。


(これが成功すれば……母上は……!)


額から汗が垂れる。手が震える。


けれど、止まるわけにはいかない。


「……っ」


深く息を吸い込み、シェルクは再び指を走らせた。


◇◆◇◆◇


書き終えた頃、遠くから足音が近づいてきた。


シェルクは、血のにじむ指先を握りしめながら、息を殺して待つ。


(来た……)


ヴィヴィアンが家族を連れて戻ってきたのだ。


扉がゆっくりと開かれ、ラヴェルノワ公爵家の当主ヴィストリアを筆頭に、彼の母エミリア、弟たちが続く。皆、一様に緊張した面持ちで地下牢の異様な光景を見渡していた。


ヴィヴィアンが静かに口を開く。


「申し訳ございません。末弟のヴィーネストは領地におります……」


その報告を受けたシェルクは、かすかに笑う。


「いいよ。大丈夫。」


ほんの少しだけ、その表情には安堵が滲んでいた。


しかし、次の瞬間。


「その方は……王太子妃!?」


エミリアの息を呑むような声が響いた。


彼女の視線の先には、冷たく横たわるミシェリアの姿——。


白い肌はすっかり血の気を失い、まるで眠っているかのように静かだった。


「どういうことですか!?」


ヴィストリアが険しい表情で問いただす。


その鋭い目に射抜かれ、シェルクの体が小刻みに震えた。


まだ9歳。


それでも、彼は覚悟を決めていた。


「……ごめんなさい、みなさん」


小さな体を震わせながらも、シェルクは家族の前に立ち、深く頭を下げる。


「僕は……今から時間回帰の儀式をします。」


地下牢に張り詰める緊張。


シェルクは震える唇を噛みしめながら、続ける。


「それで、みなさんには……僕がまた生まれるまで、呪いがかかります。」


「呪い……?」


「そんなものを、私たちに……?」


戸惑う家族の視線を浴びながら、シェルクは唇をきつく結ぶ。


「……公爵様、お許しください。」


その言葉には、9歳の少年には到底背負いきれないほどの重みがあった。


耐えきれず、ヴィヴィアンが一歩前へ出る。


「父上、母上、弟たち……すみません。」


静かに、しかし確かな声で。


「俺が……回帰したいんです。」


ヴィヴィアンの言葉に、家族全員が驚いたように目を見開いた。


「兄上!? 何を……。」


「世迷言ですか!?」


弟たちがざわめく。


けれど、ヴィヴィアンは動じなかった。


「本気です。」


その声には、一切の迷いがなかった。


「王太子妃を……愛しているんです。」


ヴィヴィアンの紫紺の瞳は、まっすぐにヴィストリアを見据えていた。


「王太子妃は……ミリスクレベンが毒を飲ませ、亡くなってしまいました。」


「死んでるの!?」


エミリアが息を詰まらせる。


シェルクは震えながらも、一歩前へ進み、家族全員に向かって深々と頭を下げた。


「王族命令を出します。」


一瞬にして張り詰める空気。


シェルクは拳を握り、震える声で言った。


「僕と一緒に……死んでください!!」


誰もが息をのむ。


小さな王子の宣告に、時間が止まったように感じられた。


その隣で、ヴィヴィアンも静かに頭を下げる。


(俺は、家族を巻き込んでしまう……)


それでも、これしか道がないのなら——。


「呪いは……どういったものだ?」


沈黙を破ったのは、ヴィストリアだった。


「回帰のことを話せないくらい……だと思います。」


シェルクは震える指で、床に落ちていた禁術の本を拾い、ヴィストリアへ差し出した。


幼い体は限界だった。血を流しすぎ、指は真っ赤に染まっている。


9歳の子どもが、必死に耐えながら立っている。


それを見たヴィストリアは、静かにため息をついた。


そして、本を開く。


しばしの沈黙——。


「……やってみなさい。」


「……ありがとう……ございます。」


シェルクの目に、涙が滲んだ。


ヴィストリアは、黙って彼の肩に手を置く。


エミリアも、何かを言いたげに唇を噛みしめるが、最後には静かに頷いた。


ヴィヴィアンの弟たちも、複雑な表情を浮かべながら、視線を交わす。


だが、誰一人として反対はしなかった。


シェルクの体が、小さく震える。


(……本当に、やるんだ。)


それでも、この選択しかなかった。


家族が見守る中——


シェルクは、血のにじむ指先を床に押し当てる。


「……始めます。」


その言葉とともに——


地下牢に張り巡らされた魔法陣が、不気味な光を放ち始めた。

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