66話目
昼間の寝室に、医者が息を切らせながら駆け込んできた。
「……!」
扉を開けた瞬間、医者は一瞬、息をのんだ。
異様な光景が広がっていた。
ヴィヴィアンがミシェリアをしっかりと抱きしめたまま、ベッドの上に座っている。 まるで、彼女を絶対に離すまいとするかのようなその姿勢に、医者は一瞬戸惑いを見せた。
(……やっぱりね。)
ミシェリアは、ヴィヴィアンの腕の中で静かに微笑む。
彼が呪いを移したことで、自分を切り捨てるつもりだったのではなく――
むしろ、その呪いが移ったからこそ、彼は自分を遠ざけたのだ。
(そうよね……永遠に私を閉じ込めるつもりなら、こんなところに監禁するはずがない。)
もし本気で"用済み"だと思っているなら、別邸を用意していたはず。
けれど、彼はそうしなかった。
"二人がいつも使っていた寝室"に閉じ込めたということは――
(やっぱり、出産が関係しているのね。)
ミシェリアの視線が、寝室の隅へと向かう。
そこには、何不自由なく過ごせるように用意された、日用品の数々。
最初から"長期戦"のつもりで、すべてが整えられていた。
――つまり、ヴィヴィアンは私が子を宿していると知った上で、出産が終わるまで監禁するつもりだったのだ。
彼は、"呪いが移った時点で"私が妊娠していることを確信していた。
けれど、それを私に告げることはなかった。
だから私は、自分の監禁が"妊娠と関係しているのかもしれない"と考えた。
妊娠がはっきりするまでには、一定の日数が必要になる。
最低でも一ヶ月は、月のものが来るかどうかを見極める時間が必要だ。
――そして、それを確認したうえで、私は"自分の身"を武器にすることに決めた。
そんな彼女の思考をよそに、ヴィヴィアンの低く冷たい声が響く。
「一言も喋るな。」
医者の肩がビクリと震えた。
ヴィヴィアンの鋭い紫紺の瞳が、冷ややかに彼を見据えている。
「診察結果は、紙に書いていけ。」
命令は絶対だった。
医者は一瞬、困惑したようにヴィヴィアンとミシェリアを見比べた。
明らかに異様な空気――。
だが、すぐに何かを察したのか、コクコクと頷き、黙ったまま診察の準備を始めた。
(ふふ……。)
ミシェリアは、そんな様子を楽しむように眺めていた。
ヴィヴィアンは、私を遠ざけようとしたわけじゃない――
私を"守るために"、監禁したのだということを。
ぎゅっと、ヴィヴィアンの腕が強くなる。
◇◆◇◆◇
医者は診察を終えると、何も言わずにさらさらと診断結果を書き記し、それを机の上にそっと置いた。
ヴィヴィアンの視線がそれを一瞥する。
「全員、下がれ。」
低く冷静な声が部屋に響くと、侍女たちは静かに礼をしながら退室していく。
扉が閉まり、部屋には二人きりの静寂が広がった。
(……やっぱりね。)
ミシェリアはヴィヴィアンの様子をじっと見つめる。
彼が何を考えているのか、もう分かっていた。
「ねぇ、ヴィヴィア――んっ!」
言葉を紡ぐ間もなく、唇が強く塞がれた。
「んっ……ヴィヴィ……!」
抵抗する間もなく、唇が重ねられ、激しいキスが降り注ぐ。
呼吸を奪うような深い口づけに、思わず全身が熱を帯びていく。
(……ヴィヴィアン。)
彼の心の奥底にあるものが痛いほど伝わってくる。
ただの欲情ではない。
このキスには、彼の焦燥と苦悩、そして何よりも"自分を縛り付ける鎖"が込められていた。
ようやく唇が解放された時、ミシェリアは小さく息をつきながら囁いた。
「ヴィヴィアン……まだ……喉の血管がいくつか……切れたままでいたいの……。」
すると、ヴィヴィアンの体がビクリと強張る。
即座に離れようとするが――
「……だめよ。」
ミシェリアはその腕を掴み、ぎゅっと抱きしめ返した。
「ここにいて……。」
彼の腕が、再び強く抱き寄せられる。
「……あのままだと誤解するでしょう? そうしたい気持ちはわかるけど……。」
囁くように告げると、ヴィヴィアンは何も言わずに、ただじっとミシェリアを見つめた。
その瞳の奥に宿る、迷いと葛藤。
彼は彼なりに、ずっと考えていたのだろう。
ミシェリアをどう守るべきか――いや、どう"守りきれるか"を。
そっと、ヴィヴィアンの指がミシェリアの唇をなぞる。
「余計なことは……話さないわ。」
囁くように告げると、彼の指が一瞬止まる。
「だから……そばにいて。」
ヴィヴィアンは眉をひそめ、少し考えるような顔をした。
しかし、次の瞬間――
「……側にいないなら、もう一度血を吐くわ。」
「……っ!」
明らかに動揺した様子で、ヴィヴィアンの腕が再びミシェリアを抱きしめる。
「……わかった。」
しぶしぶといった様子だったが、その腕には力がこもっていた。
ミシェリアは、彼の肩にそっと額を寄せながら、甘く囁く。
「夕方は庭園にいたいの。側にいてくれる?」
「……あぁ。」
「毎晩私を抱きしめて眠って。」
「……わかった。」
ヴィヴィアンの声が、微かに震えていた。
今にも何か言いたげなその表情を見つめながら、ミシェリアはそっと微笑む。
喉に微かな痛みを感じながら、彼の胸元にそっと額を押しつける。
「俺が……悪かった……。」
ヴィヴィアンは、苦しげに呟いた。
「だから、もう……話すな。」
再び強く抱きしめられた腕の温もりは、まるで"決して手放したくないもの"を抱くようだった。
彼の心が揺れている。
そのことが、何よりも確信へと変わっていく――。
◇◆◇◆◇
しばらくして、ヴィヴィアンは、執務が残っていると言いながらも、私の手をぎゅっと握りしめ、紫紺の瞳を真っ直ぐに見つめてきた。
「終わったらすぐに戻ってくる。」
必死な声だった。
彼は診察結果を手に持ち、私の頬を一度だけそっと撫でると、未練を残すように扉を閉めて部屋を出ていった。
――そして、一人きりになった瞬間。
「だぁぁぁぁぁぁ~~~~~っ!!!」
思い切り、息を吐き出した。
肩の力が抜けて、ふにゃりとベッドに沈み込む。
「……はぁぁぁ~~、ほんっっっっとうに捨てられてなくてよかった~~~!!!」
寝台の上でゴロゴロと転がりながら、胸をなでおろす。
だって、最悪の想像もしてたんだから。
もし本当にヴィヴィアンが私を"用済み"だと思っていたら?
もし、呪いを移した後はどうなろうと知らないって態度だったら?
もし、あのままひとりぼっちで、ここで一生を終える運命だったら……?
そんなことを考えれば考えるほど、今の状況がどれほど幸運だったかを実感する。
(……よかった。本当に、よかった……。)
ヴィヴィアンは私を捨てるつもりなんてなかった。むしろ、呪いが移ったことで、ますます私を離したくないと思ってくれている。
それがわかっただけでも、監禁されているという状況は――まあ、悪くはない。
ただ……。
「喉、痛すぎ……。」
改めて、痛みに意識を向けると、ズキズキと焼けるような感覚が広がった。
(ヴィヴィアンって……今までずっとこの痛みに耐えてたの!?)
信じられない。
先ほど吐血したときは、本当に驚いた。喉の奥に血がどんどん溜まって、吐き出さないと誤嚥しそうなほどだった。
口の中は、鉄の味。ずっと、鉄臭い。
キスしてたときも、ずっと鉄臭かった。
「はぁ……最悪……。」
ベッドから起き上がると、寝室に備え付けられた洗面台へ向かい、手を伸ばす。銀細工の蛇口をひねると、ひんやりとした水が流れ出た。
手のひらですくい、何度も口をゆすぐ。
口の中にこびりついた鉄臭さが、少しずつ薄れていく。
「ふぅ……。」
鏡の中の自分を見ると、頬はまだ血の気が引いたままだし、唇の端には微かに赤い跡が残っていた。
(私……妊娠してるんだ……。)
洗面台の縁に手をつき、ゆっくりと深呼吸する。
お腹をそっと撫でてみる。
まだ、何も変化は感じない。お腹も普通に平らだし、体調も特別変わったわけじゃない。
でも――お腹の中に、命が宿っている。
(……信じられない。)
回帰前の人生では、こんな未来なんて想像もしてなかった。
ヴィヴィアンの子供を授かるなんて――。
(ううん、余計なことは考えちゃダメ。)
今は、できるだけ冷静でいないと。
もしまた余計なことを考えて、さっきみたいに吐血したらどうするの!?
喉の痛みがまだ引いていないというのに、また血を吐いたら、それこそ本当に最悪だ。
「……とりあえず、寝よう。」
ゆっくりと寝台へ戻り、ふわふわの枕に顔を埋める。
(もう、色々考えるのは後でいいや……。)




