64話目
誰よりも幸せな花嫁。
私は、自分のことをそう思っていた。
何もかもが完璧だった。
盛大で祝福に満ちた結婚式、美しく飾られた披露宴会場、皆の笑顔。
そして――
愛しい人と迎えた、初めての夜。
全てが、夢のようだった。
――そのはずだったのに。
「ヴィ…ヴィヴィアン?…どういうこと?…説明して?」
震える声で問いかける。
先ほどまでヴィヴィアンの体に刻まれていたはずの刻印――
それが、今は私の肌に刻まれている。
まるで、彼の呪いがそっくりそのまま、私へと移されたかのように。
あり得ない。
こんなこと、あり得ない。
「ヴィヴィアン……?」
訴えるように彼を見つめた。
けれど、彼はすでに服を着直しており、その紫紺の瞳は、氷のように冷たい光を宿していた。
「ヴィヴィアン!!ねぇ、何が――」
最後まで言葉を紡ぐことはできなかった。
彼は一言も発さず、ただ、静かに寝室の扉を開け、出て行った。
「ヴィヴィアン!!ヴィヴィアーーーン!!!」
必死に追いかけようとするも、すぐに侍女たちによって止められる。
「放して!!ねぇ、ヴィヴィアンを呼んで!!」
叫ぶ私を、彼女たちは何も言わずに抑え込んだ。
普段なら心配そうに声をかけてくれるはずの彼女たちは、今は何も言わず、ただ、無言で私を見つめていた。
その瞳には――
まるで"何かを知っている"かのような、沈黙の重みがあった。
「ねぇ……どういうこと?」
誰も答えない。
異様な沈黙が、部屋を支配する。
私は確かに、"誰よりも幸せな花嫁"だったはずだった。
けれど――
幸福の夜が終わり、訪れたのは、"悪夢の始まり"だった。
――――――――――
――――――――
夜の帳が下り、寝室には淡い月明かりが差し込んでいた。
静寂に包まれた室内は、まるでこの瞬間を祝福するかのように穏やかで、二人の影を壁に映し出していた。
扉が静かに閉じられる音が響くと、ヴィヴィアンは一歩も迷わずにミシェリアを抱き寄せ、そのままベッドへ押し倒した。
「……もう待てない。」
低く熱を孕んだ囁きが耳元に落とされ、ミシェリアの心臓は大きく跳ねた。
視線を交わしただけで、彼の切実な想いが伝わってくる。
「もぅ……自分でやったら、また血を吐くくせに……。」
困ったように呟く彼女の指が、彼の頬を優しく撫でる。
ヴィヴィアンは普段どんなに冷静であろうとも、愛する人を求めたときだけは理性を手放しかける。
けれど、それができないのは彼自身が一番よく知っていた。
――彼には、"制約"がある。
自らの意志で彼女を貫くことは許されない。
その禁忌を破れば、彼の身を蝕む呪いが発動し、血を吐き、苦しみ、最悪の場合――命を削ることになる。
だからこそ、彼は求めながらも、踏み出すことができない。
彼の瞳に宿る熱は、焦がれるほどに彼女を求めながらも、どこか苦しげだった。
ミシェリアは、そんな彼の心情を察し、静かに息を吐く。
そして、ふわりと微笑んだ。
「……わかってるわ。」
ヴィヴィアンの瞳が揺れる。
――ならば、私から。
彼の上から身を起こし、ミシェリアはヴィヴィアンをそっと押し返した。
「ミーシャ……?」
僅かに驚きながらも、彼は抗わない。
ふわりとシーツが広がり、月光を受けて淡く輝く。
ミシェリアは静かにヴィヴィアンを仰向けに寝かせ、その胸に手を添えた。
彼の体温がじんわりと掌に伝わる。
「今夜は私がするわ。」
彼を救うために。
ミシェリアの手が彼の頬を包み、指先でそっと撫でる。
そのままゆっくりと顔を近づけ、彼の唇に優しく触れた。
吸い付くようなキス。
何かを懇願するように、ただひたすらに。
ヴィヴィアンの瞳が、大きく揺れる。
「……ミーシャ……。」
彼の声が微かに震えた。
囚われていた鎖が、今、ほどけていく。
彼の手が自由に動き、肌の熱が増していくのがわかった。
ミシェリアの体にそっと触れた彼の指は、最初こそ恐る恐るだったが、次第に確信を持つように強くなる。
「……ありがとう。」
彼の囁きは、安堵と悦びに満ちていた。
そして――
彼女がその"制約"を破った瞬間。
ヴィヴィアンの瞳に、熱が宿る。
それまでの迷いや葛藤は、一瞬で掻き消えた。
「……ミーシャ。」
彼の声が、甘く低く響く。
瞬間――ヴィヴィアンはミシェリアを再び押し倒した。
今度こそ、何の迷いもなく。
「……もう、遠慮はしない。」
その言葉と共に、彼の手が彼女の頬を包み込み、熱を孕んだ唇が重なる。
深く、濃密に。
シーツが絡まり、ふわりと乱れる。
夜の静寂に微かな衣擦れの音が混ざり合い、二人だけの世界が生まれる。
ミシェリアの心臓が、彼の鼓動と重なるように高鳴る。
(……あぁ、これが……。)
ヴィヴィアンが、どれほど自分を想っていたのか、どれほど愛していたのか――
そのすべてを、肌で感じることができた。
「……ミーシャ、愛してる……。」
甘く、囁くような声が、耳元をくすぐる。
「私も……ヴィヴィアン……。」
互いの熱が絡み合い、唇が触れ合うたびに、心も溶けていく。
やがて――
ヴィヴィアンは己の自由を取り戻し、彼女を求めることを許された。
そしてその夜、二人は初めて"夫婦"となった。
長い夜が、朝を迎えるまで。
◇◆◇◆◇
「ヴィヴィアン……もう……。」
疲れ果てた身体をシーツに沈め、乱れた息を整える。
一体、何度彼に抱かれたのだろう。
夜の静寂が明け、窓の外では淡い朝焼けが広がっている。
(まるで夢みたい……。)
そう思いながらも、幸福感に包まれたまま、そっと目を閉じようとしたその時――
「えっ……?」
ふと、彼の肌を見て違和感を覚えた。
先ほどまでヴィヴィアンの身体に刻まれていた禍々しい刻印が、まるで何事もなかったかのように消えていた。
「……どういうこと?」
混乱する私の視線が、自分の肩へと落ちる。
次の瞬間――血の気が引いた。
そこには、さっきまでヴィヴィアンに刻まれていた"呪いの刻印"が、まるで転写されたかのように刻まれていたのだ。
「なっ……!? これ……私に……?」
驚きと恐怖に言葉を失う私の頬に、ヴィヴィアンの指がそっと触れた。
「おめでとう……ミーシャ。」
静かに囁かれる甘い声。
だけど――それはいつもの優しい響きとは、どこか違っていた。
「なに……が?」
彼の瞳を覗き込む。
しかし、彼はただ微笑んだまま、指先で私の刻印をなぞるように撫でる。
「俺側の制約は……すべて解かれた。」
「え……?」
ヴィヴィアンは、ゆっくりと身体を起こし、シーツを払って立ち上がる。
その動きには、これまで感じたことのない"冷たさ"があった。
「ありがとう、ミシェリア。」
優雅に服を拾い上げ、着替えながら、彼は淡々と続ける。
「俺を……選んでくれて。」
その瞬間――彼の唇が、緩やかに歪んだ。
「っ!?」
ゾクリと背筋が凍る。
それは、まるで悪役が勝利を確信した時に浮かべるような――冷酷で、狡猾な笑みだった。
「ヴィ……ヴィヴィアン?」
思わず身を引く。
けれど、彼はもう私を見ようともしなかった。
「今より、この部屋から出ることを許さない。」
静かに放たれたその言葉に、心臓が凍りつく。
「ヴィヴィアン……?」
信じられない。
訴えるように彼を見つめた。
けれど――
紫紺の瞳に宿る光は、まるで氷のように冷たいものへと変わっていた。
「ヴィヴィアン!! ねぇ、何が――」
最後まで言葉を紡ぐことはできなかった。
彼は一言も発さず、ただ静かに寝室の扉を開き、出て行った。
「ヴィヴィアン!! ヴィヴィアーーーン!!!」
私は咄嗟に飛び起き、追いかけようとする。
しかし――
「お待ちくださいませ、奥様。」
「止まってください、奥様。」
侍女たちの手が、私の腕を掴んだ。
「放して!! ねぇ、ヴィヴィアンを呼んで!!」
必死に叫ぶ。
なのに、彼女たちは何も言わない。
いつもなら「どうされましたか?」と優しく声をかけてくれるのに――
今はただ、無言で私を押しとどめる。
その瞳には――
まるで"何かを知っている"かのような、沈黙の重みがあった。
「ねぇ……どういうこと?」
誰も答えない。
異様な沈黙が、部屋を支配していた。
――完璧な結婚式のはずだった。
――けれど、私は今、冷たい牢獄に囚われた。




