60話目
夕焼けが西の空を染め、ローベルク伯爵家の庭にも長い影が伸びていた。
そろそろ帰る時間――名残惜しくも、ミシェリアとヴィヴィアンは玄関へと向かっていた。
「今日は久しぶりにあなたの帰省を楽しめたわ。」
母は微笑みながら、ミシェリアの手をそっと握る。
「……お母様?」
「これはね、あなたの結婚式のために。」
そう言って、母は小さな宝石箱をそっと開いた。
中には、美しい銀細工の髪飾りが収められていた。それは、繊細な蔦模様が絡み合い、中央には淡いブルーのサファイアが輝く、まるで夜空に浮かぶ星のような装飾だった。
「これは……?」
「あなたが生まれた時に、曾祖母から譲り受けたものよ。代々、ローベルク家の娘が身に着けてきたものなの。」
「もしかして…サムシングオールド……?」
結婚式の伝統のひとつ――"何か古いもの"を身に着けると、家族の愛と祝福が花嫁を守ってくれると言われている。
ミシェリアはそっと髪飾りを指でなぞった。
(……私が結婚するなんて、回帰前は考えられなかったのに。)
そう思うと、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「ありがとう、お母様……。」
そっと抱きしめると、母も優しくミシェリアの背を撫でる。
「大切にするわ。」
「ええ、そうしてちょうだい。」
母の温もりを胸に刻みながら、ミシェリアはゆっくりと馬車へと向かった。
◇◆◇◆◇
馬車に乗り込み、ミシェリアはふぅっと一息ついた。
「さて、帰りましょう……。」
楽しかった久しぶりの帰省。両親や姉とのひとときは心が温まる時間だったが、やはり自分の家ではないという感覚があった。
ラヴェルノワ公爵邸に帰るのが「当たり前」になっていることに、少しくすぐったい気持ちになりながら隣に座るヴィヴィアンを見ると――
「……。」
「……ヴィヴィ?」
彼は背もたれにぐったりともたれ、ほんのりと頬を染めながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
(ん?なんか、様子が……?)
「ヴィヴィアン、もしかして……酔ってる?」
ミシェリアが問いかけると、ヴィヴィアンは一瞬だけピクリと動き、ゆっくりと顔を向けた。
「……酔って……ま……せん。」
(完全に酔ってる!!!)
しかも、妙に言葉がスローで、ろれつが回っていない。
ミシェリアは思わず膝を叩いた。
「ちょっと!?さっきまで平然としてたのに!!」
昼間、ローベルク伯爵家での食事の席では、父シェトランドから無理やり酒を飲まされていたけれど、そのときはなんともないように涼しい顔で受け流していたはずだ。
まさか、今になって回ってきた……!?
「…………私は……酔ってなど……」
ヴィヴィアンは抗議しようとするも、言葉の最後がふにゃりと崩れる。
(ダメだわ、これ完全に酔っ払いだわ。)
「……お父様に飲まされ過ぎたんじゃない?」
「……そんなことは……ない…れす…。」
(いや、ダメダメ!!明らかにヤバいでしょ!?)
「はいはい、そうね。じゃあ、これから家に帰るわよ?」
そう言いながら、彼の肩をポンと叩こうとすると――
「……ミシェ…リア…さま。」
ふにゃっとした表情のまま、ヴィヴィアンが急にミシェリアの肩に寄りかかってきた。
「ちょっ……ヴィヴィアン!?重い!!」
「…愛して…おり…ます…。」
「……は?」
突然の告白に、ミシェリアは動きを止めた。
(ちょっと待って、なんか妙に言葉遣いが古風……いや、これ、まさか……)
「ミシェ…リア…さま…を…お守り………すぅ……。」
ヴィヴィアンの目がとろんとしたかと思えば、そのまま静かに寝息を立て始める。
「寝た!!?」
(というか、完全に回帰前の騎士モードになってたんだけど!?)
彼の肩に寄りかかられたまま、ミシェリアは目を丸くした。
「はぁ……。」
肩の上の重みを感じながら、大きくため息をつく。
「まったく……飲みすぎよ。」
昼間、あれだけ飲まされていたのに涼しい顔をしていたのは、もしかして騎士としての耐性を見せつけようとしたからなのかもしれない。いや、それ以前にヴィヴィアンは元々お酒に強い。だが、強いからといって無限に飲めるわけではないのだろう。
――それにしても。
こんな無防備な彼を見るのは初めてかもしれない。
普段は、理性的で、冷静で、それでいてどこか強引なところもあるヴィヴィアンが、こんな風に甘えるように寄りかかってくるなんて……。
(……可愛いかも。)
ミシェリアはそっと彼の髪を撫でた。
「結婚式の準備で忙しいし、たまにはこれくらい気を抜いてもいいのかしらね……。」
そう呟きながら、眠るヴィヴィアンの頬にそっとキスを落とした。
「……おやすみなさい、ヴィヴィ。」
馬車は静かにラヴェルノワ公爵邸へと向かっていった。
◇◆◇◆◇
ラヴェルノワ公爵邸に到着すると、ミシェリアは馬車から降りるや否や、すぐに使用人たちに声をかけた。
「ヴィヴィアンを寝室まで運んでちょうだい。」
既に深い眠りについているヴィヴィアンは、普段から鍛え抜かれた体格のせいもあり、見るからに重そうだ。使用人たちがそっと彼の腕を支えながら、慎重に邸の中へと運び込んでいく。
ミシェリアも後を追い、彼が寝室のベッドにそっと寝かされるのを見届けた。
「着替えも手伝ってくれる?」
「かしこまりました、奥様。」
手際よく着替えさせ、乱れた衣服を整え、心地よく眠れるようにベッドへ寝かせる。
「ありがとう。あとは私がやるから、皆は休んで。」
そう告げると、使用人たちは一礼し、そっと部屋を後にした。
◇◆◇◆◇
ミシェリア自身も、湯浴みを済ませ、ふわりとした寝間着に身を包みながら、ヴィヴィアンが眠るベッドへと近づいた。
(まったく……お酒を飲みすぎるからよ。)
ベッドの傍に腰を下ろし、彼の額に落ちかかった銀色の髪を指でそっとすくう。
改めて、彼の寝顔を見つめると、普段とは違う印象を受けた。
実家ではあれほど涼しい顔をしていたのに――。
本当は、ただ耐えていただけだったのね。
「……。」
思わず、愛おしさがこみ上げる。
寝息を立てながら、まるで子供のように無防備に眠る彼の姿を見ていると、ふと、彼の唇が微かに動いた。
「……シェ……」
「ん?」
ミシェリアは首を傾げる。
また、寝言で自分の名前でも呼んでいるのかしら。
そう思い、くすりと微笑もうとした瞬間――。
「シェ……ルク…さま……。」
――ドキン。
心臓が………まるで心臓が掴まれたように、冷たい感覚が広がった。
シェルク。
その名前が、ヴィヴィアンの口から囁かれた瞬間、思考が一瞬にして止まる。
シェルクは、回帰前に生まれたミリスクレベンとの子の名前。
(……ヴィヴィアン?)
ミシェリアは、思わず彼の肩にそっと触れる。
すると、再び彼の唇が動いた。
「……シェル…ク…さま……仰せの通り……」
――仰せの通り?
何が?
ミシェリアの心臓が、さっきとは違う意味でざわつき始める。
(もしかして……子守りをしていた頃の夢でも見てるの?それとも……)
彼が見ているのは、回帰前の記憶なのか、それとも別の何か――。
疑問が浮かび上がる中、ヴィヴィアンの寝息は再び穏やかになり、静寂が広がる。
ミシェリアは、そっと指先で彼の頬に触れた。
(……ヴィヴィアン、あなたは……何を知っているの?)
ミシェリアは、そっとヴィヴィアンの頬に触れながら、彼の穏やかな寝顔を見つめた。
(回帰前の直前……あなたとシェルクは、いったいどんな会話を交わしたの?)
ふと、胸の奥がざわつく。
(ラヴェルノワ公爵家を巻き込むほどの大掛かりな禁術を……どうやって成し遂げたの……?)
彼は何を知っているのか。
何を覚えているのか。
問いかけたい。
けれど、今はただ静かに眠る彼を起こすことはできなかった。
「……。」
ミシェリアは小さく息を吐き、そっと毛布を引き上げる。
それ以上、ヴィヴィアンの口から寝言が洩れることはなく、静かな寝息だけが部屋に響いていた。
胸の奥に重たい不安を抱えたまま、彼の寝顔を見つめながら、ミシェリアはそっと瞼を閉じた。
59話目、ちょっと眠気と戦いながら書いていたので、全体的に少しだけ書き直しました。あまり内容は変わっていないので、読み返しは大丈夫かと思います。




