57話目
それからというもの、ラヴェルノワ公爵家では本格的な結婚式の準備が始まった。
その日は、ラヴェルノワ公爵家御用達として知られるオートクチュールブランド『ランブルリア』の有名デザイナーが、婚礼衣装のフィッティングに訪れていた。
ミシェリアは豪華なドレスに身を包み、鏡の前に立つ。
「公爵夫人、いかがでしょうか?」
デザイナーが誇らしげに問いかける。繊細な白銀の糸と小さな宝石をちりばめた純白の生地が光を受けてきらめき、ミシェリアの美しさを引き立てていた。
しかし、彼女はなかなか答えることができなかった。
なぜなら――。
「……ヴィヴィ、じろじろ見すぎ!」
そう、ヴィヴィアンが少し離れた場所から、あまりにも真剣な眼差しで彼女を凝視していたからだった。
ヴィヴィアンは全く悪びれる様子もなく、頷きながらデザイナーに言った。
「やはり、ミーシャには花がよく似合う。刺繍で、もう少し花を増やせないか?」
デザイナーは一瞬驚いた表情を見せたものの、すぐにプロらしい笑顔で深々と頷いた。
「かしこまりました、公爵閣下。特別に花の刺繍を増やしましょう。」
そのやり取りを聞いていたミシェリアは、照れ隠しに頬を膨らませた。
「もう……ヴィヴィったら!」
ヴィヴィアンは小さく微笑み、肩をすくめるようにして返した。
「仕方ないだろう。花嫁が美しいんだから。」
侍女たちが微笑ましくそのやり取りを見守る中、ミシェリアはふと思い出したように声をあげた。
「でも、これが終わったら、次はヴィヴィアンの衣装合わせだからね!?」
するとヴィヴィアンは涼しい顔をして言い放った。
「あぁ、構わない。俺にはもう、隠すところなどないからな。」
「……っ!?」
ミシェリアが目を見開く。
その言葉を聞いたデザイナーや侍女たちは一瞬沈黙し、そして次の瞬間、全員が一斉に頬を真っ赤に染めてうつむいた。
(ちょっとー!!なんてことを言うの!?私たち、まだそういう関係じゃないんだから!)
ミシェリアは焦って必死に首を振り、訂正したい気持ちでいっぱいだったが、恥ずかしくて声が出なかった。
しかし、ヴィヴィアンは何も気づいていないのか、それとも意図的なのか、楽しげに笑みを浮かべたままだ。
(ヴィヴィのせいで、完全に誤解されちゃったじゃない……!!)
彼女の内心の叫びとは裏腹に、侍女たちやデザイナーの表情はますます赤く染まっていった。
◇◆◇◆◇
その後――。
ヴィヴィアンは、婚礼衣装の試着をようやく終え、ぐったりとソファーに身体を投げ出していた。
先ほどミシェリアが着ていたドレスの仕返しとばかりに、彼女が選んだのは複雑すぎる装飾のついた重厚な衣装だった。
シルバーの飾り糸と細かな宝石、さらには重たい肩飾りや鎖が絡まり合うようなデザインで、デザイナーや執事の手を借りても、着るのに相当な苦労を強いられたのだ。
ヴィヴィアンは疲労困憊といった表情でソファーに沈み込み、右手で目元を覆いながら大きな溜息を吐いた。
「……終わった……。」
その心底疲れたような様子を見て、ミシェリアはクスクスと楽しそうに笑いながら近づいた。
「嫌がらせにも、限度があるだろう……。」
ヴィヴィアンが恨めしげに彼女を見上げる。
けれどミシェリアは涼しい顔で、そっとヴィヴィアンの隣に腰かけ、彼の銀色の髪を指で撫でながら微笑んだ。
「でも、すっごくカッコよかったわよ?」
その一言で、ヴィヴィアンの不満そうだった顔が一瞬で赤く染まった。
彼は視線を逸らしつつも、少し照れたように口元を引き締める。
「全く……君は俺に試練ばかり与える。」
「ふふふ。」
ミシェリアは嬉しそうに、さらに彼の髪を優しく梳きながら、甘えるように囁いた。
「だって、ヴィヴィがそうやって私に振り回されて困ってる姿を見るの、癖になりそうなんだもの。」
ヴィヴィアンは言葉を失い、じっとミシェリアを見つめた。
(……何だ、この愛しすぎる生き物は。)
彼女の甘えるような表情や仕草、意地悪な言葉すらも、すべてが愛おしく感じてしまう。
ヴィヴィアンは、とうとう我慢できなくなったようにソファーから身体を起こし、ぐっと彼女を抱き寄せた。
「きゃっ……!」
驚くミシェリアを腕の中に閉じ込めながら、彼は静かに耳元で囁いた。
「そんなに俺が困る姿が見たいのなら、ずっと君に振り回されてやる。だから……一生、俺のそばにいろ。」
その甘く熱を帯びた言葉に、ミシェリアの胸が大きく跳ねる。
「も、もちろん……。」
顔を赤らめ、胸の高鳴りを抑えきれないまま、小さく頷くしかなかった。
(……だめ、今……ヴィヴィのこと、すっごく好きになったかも!!)
その想いを口に出す前に、ヴィヴィアンの熱を帯びた視線が重なり、唇が優しく触れる。
――キスは、一度では終わらなかった。
軽く重ねられた唇は何度も角度を変え、次第に甘く深く変わっていく。
抱きしめる腕の力も強まり、心地よい息遣いと鼓動が絡み合って、ふたりだけの世界へと溶け込んでしまう。
(あぁ……止まらない……。)
ミシェリアは溺れるような甘い幸福感に包まれ、思考すら失いそうになっていた。
そんな甘い空気を一気に破ったのは――
ドンドンドン!!
「いい加減にしてください~!!義姉上~!!兄上~!!」
扉の向こうから、ヴィートヒートの半泣きの声が響く。
驚いたふたりは、思わず唇を離し、顔を見合わせた。
「……ヴィートヒート?」
ミシェリアは慌てて声を整える。
扉の外では、ヴィートヒートが嘆きながら、ひたすらドアを叩き続けていた。
「もう!いつまで甘えてるんですか!?結婚式の準備が山積みなんです!!僕を過労死させるつもりですか!?」
ヴィヴィアンは少し呆れたように溜息をつきながら額を押さえた。
「アイツ、いつ王都に戻ってきたんだ……?」
「あ、私も聞いてないわ……。」
ふたりは小さく苦笑しながら、ようやく立ち上がる。
ヴィートヒートの叩く音がさらに激しくなり、今にも扉が壊れそうだった。
「そろそろ、行ってあげないと……。」
ミシェリアが少し申し訳なさそうに微笑むと、ヴィヴィアンは深く息を吐きながら彼女の髪をそっと撫でた。
「……はぁ。」
その表情は明らかに名残惜しそうで、ヴィートヒートに嫉妬さえしているようだった。
ミシェリアはそんな彼を見て微笑みを浮かべつつ、そっと手を繋ぐ。
「大丈夫よ。またあとで、続きをしましょう?」
ヴィヴィアンはようやく機嫌を取り戻したように微笑み、ミシェリアと手を繋いだままゆっくり扉を開けた。
ヴィヴィアンは扉を開けた瞬間、目の前で壁にもたれて死にそうな顔をしているヴィートヒートと目が合った。
「やっと出てきてくれましたね……!」
ヴィートヒートは疲れ切った顔のまま涙目で訴えるように二人を見上げた。手には大量の書類が抱えられており、今にも床に落ちそうだ。
「兄上、義姉上、頼みますよ……! 結婚式まで半年を切ったんです! 会場の手配はもちろん、招待状の準備、貴族間の調整、新婚旅行の行き先決定……。他にも衣装の最終決定に式次第の決定、料理の試食会、花の装飾の打ち合わせまで……!」
ヴィートヒートは悲壮な顔で次々に仕事を列挙しながら、まるで助けを求めるかのようにミシェリアの手を強く握った。
「義姉上、分かりますか?半年なんてあっという間なんです!なのに二人はいつまでたっても甘い空気を漂わせているばかりで……!」
「そ、そんなにあるの?」
ミシェリアは少し驚いて目を見開いた。ヴィートヒートは激しく頷く。
「そうですよ!とにかく、今日中に礼服の仕上げの日取りを決めて、招待客の最終確認と……。」
「ヴィーヒ、落ち着け。」
ヴィヴィアンが呆れ顔で口を挟むと、ヴィートヒートはさらに眉をひそめて言い返した。
「これが落ち着いていられますか!?兄上はわかってない!あのですね、半年で二人がやるべきことは……」
ヴィートヒートの手には、大量の書類やチェックリストが積み重なっており、その表情からもすでに疲労困憊なのが伝わってくる。
ミシェリアは申し訳ない気持ちになりながら、苦笑してヴィートヒートの肩にそっと手を置いた。
「ごめんなさいヴィートヒート。私もしっかり手伝うから。」
「……本当に頼みますよ、義姉上。兄上には期待できませんので。」
ヴィヴィアンは不満げに小さく鼻を鳴らしたが、ミシェリアに視線を向けられると口を閉ざすしかなかった。




