53話目
数週間は、あっという間に過ぎていった。
ヴィヴィアンは来る馬上試合に向けて、毎日のように訓練に明け暮れている。
広々とした練兵場には、彼が駆る馬の蹄の音と、剣を交える金属音が響き渡っていた。
ミシェリアは遠く離れた木陰のベンチに座り、そんなヴィヴィアンの姿を静かに見つめている。
(相変わらず、凄い迫力……。)
日差しに輝く銀髪、きりっとした横顔に、鍛え抜かれた騎士の身体つき――。
その姿は、汗に濡れているにもかかわらず、いや、むしろ汗が輝きを増しているかのようにさえ見えた。
(あれだけ必死になるなんて……。)
彼がそこまで熱心になる理由は、きっとミシェリアに薔薇を渡すためだろう。
以前、彼が私に渡せず部屋に薔薇を飾っていたというエピソードを思い出し、ふふっと笑いがこぼれた。
(……回帰前も最初からヴィヴィアンなら…。)
いつからヴィヴィアンをこんなに愛おしいと思うようになったのだろう――ミシェリアはそっと目を閉じて考えた。
何気ない日々の中で、徐々に心を動かされたのだろうか。
それとも、自分が好きなものをたくさん揃えて、大切にしてくれる姿に惹かれたのだろうか。
(いや……違う。)
それだけじゃない。
彼女は薄く笑いながら、胸に手を当てる。
ヴィヴィアンの愛は、静かなものではなくて、強烈だった。 最初から諦めずに、激しく、どこまでも真っ直ぐにミシェリアを求めてきた。
それはまるで、回帰前のミリスクレベンの狂気的な愛に近かった。
――だが、ヴィヴィアンの愛はそれを凌駕したのだ。
(あんなに情熱的なミリスクレベンの愛に、私は一度は溺れた。でも……。)
今は違う。
ヴィヴィアンのそれは、ミシェリアを丸ごと燃え上がらせるほどの熱量を持っている。
それに彼の美しい顔立ちが加われば、もう抗うことなど到底できなかった。
「……惚れないわけがないじゃない。」
ぽつりと、ミシェリアは呟いた。
そんな彼女の前に、いつの間にか訓練を終えたヴィヴィアンが近づいてきた。
額に滴る汗をタオルで拭きながら、柔らかな笑みを浮かべている。
「待たせたな、ミーシャ。」
「お疲れ様、ヴィヴィ。随分張り切ってたわね。」
ミシェリアはゆっくりとベンチから立ち上がり、無言で彼の胸元に歩み寄った。
そして彼のたくましい身体に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。
「おい、汗臭いから今はちょっと……。」
ヴィヴィアンは戸惑っているが、彼女は気にせず、顔を胸元に埋める。
「ヴィヴィ、私の愛を……信じてくれる?」
ミシェリアがそっと問いかけると、ヴィヴィアンは一瞬、小さく息を呑んだ。 そしてゆっくりと彼女の頬に手を添える。 少し汗ばんだ指先から、彼の体温がじんわりと伝わってくる。
「もちろんだ……。君が、愛してると言ってくれたあの日から、ずっと信じてる。」
静かな声だった。 けれど、そこには揺るぎない強さと誠実さが込められている。
「だったら、ヴィヴィ、もう無理して強い言葉を使わなくていいのよ?」」
「……。」
ヴィヴィアンは、ほんの少し困ったように微笑んだ。
「……ばれていたか。」
「当然よ。」
ミシェリアは小さく笑った。ヴィヴィアンが、自分のために必死になっている姿が愛おしくて仕方がなかった。
ヴィヴィアンはほんの少し息を吐くと、静かな声で打ち明けた。
「お前の前で、堂々としていたかったんだ。……アイツに負けたくないからな。」
「あぁ、そういうこと……。」
ミシェリアは微笑み、ゆっくり頷く。
「でも、あなたらしくない気がして。」
「それはそうだな……。」
ヴィヴィアンは少し苦笑しながらも、彼女の手をそっと握り直した。
「だが、この話し方をしていると……自分がちゃんとミーシャの夫だと自覚できる。だから――」
彼の視線が、不安そうに揺れた。
「ミーシャが嫌じゃなければ、このままでいたい。」
ミシェリアはそんなヴィヴィアンの気持ちに胸が熱くなった。自分のために、不器用に夫らしさを求めているヴィヴィアン。
彼がこんなにも必死になっている姿を、どうして愛さずにいられるだろう。
ミシェリアはふわりと微笑んだ。
「私なら平気よ。ヴィヴィが好きなようにすればいいわ。あなたがどんな言葉を使ったって、私にとっては全部が愛おしいんだから。」
その言葉に、ヴィヴィアンは微かに瞳を潤ませた。 そして照れを隠すように目を逸らすと、小さく呟いた。
「……君には勝てそうにないな。」
ミシェリアは、そんな彼の姿を見て、愛しさがさらに募るのを感じていた。
「ねぇ、ヴィヴィ。久しぶりに騎士だった頃みたいに話してくれない? ちょっとだけでいいから。」
ミシェリアは、上目遣いでヴィヴィアンを見つめてお願いする。 彼は少し戸惑ったように眉を寄せ、ため息をついた。
「はぁ……。まったく、ミシェリア様は相変わらず酔狂でいらっしゃる。」
ヴィヴィアンが急に口調を改め、柔らかな敬語を使った瞬間、ミシェリアの心がじわりと熱を持った。
(そう……この感じ。懐かしいわ。)
「そうかしら?」
あえて首を傾げ、彼の瞳を覗き込む。ヴィヴィアンは困ったように小さく息を吐き、それからふわりと微笑む。
「はい。ミシェリア様は昔から、無茶なことばかりおっしゃって、私を困らせてばかりでしたから。」
言いながら、彼は軽々とミシェリアを抱き上げた。 まるで騎士時代のように、腕の中に彼女をすっぽりと抱え込む。
「きゃっ……!」
ミシェリアが小さく声を上げると、ヴィヴィアンは楽しそうに微笑んだまま、ゆっくりと屋敷内を歩き出した。
「ちょっと、ヴィヴィ……!」
「ミシェリア様、今日は屋敷の中を勝手に走り回らないように、私が責任をもってお連れいたします。」
優しい声で言いながら、彼の表情には微かな懐かしさが浮かんでいた。
廊下を歩きながら、ミシェリアはふわりと微笑む。
「ミシェリア様、覚えていらっしゃいますか?あなたが、いつも自由に走り回られるせいで、私しか護衛につけられなかったことを。」
ヴィヴィアンの柔らかな声が、廊下を歩きながら耳元に響く。その声音は優しく、まるで懐かしい記憶を大切に撫でるかのようだった。
ミシェリアは彼の胸元にそっと頭を寄せ、クスクスと小さく笑った。
「あら、そうだったかしら? 王宮騎士たちが軟弱だっただけじゃない? あなた以外は。」
わざと挑発的にそう返すと、ヴィヴィアンは肩をすくめ、小さく息を吐きながら呆れたように微笑んだ。
「まったく、貴女様のためにどれほど苦労したか、今ならわかっていただけますか?」
やがて寝室の前で立ち止まり、ヴィヴィアンが慣れた仕草で扉を開ける。静かに室内へ入り、背中でそっと扉を閉めた。
二人だけの静かな空間。ヴィヴィアンはミシェリアを腕の中に抱いたまま、ゆっくりとベッドへ近づいていく。
「あら?汗臭いから嫌なんじゃなかった?」
ミシェリアがいたずらっぽく微笑んで見上げると、ヴィヴィアンの瞳に甘く危険な色が宿る。
「火をつけられたのは貴女様です……。私はずっと、あなたをお慕いしておりましたから。」
囁くように耳元で告げられた言葉に、ミシェリアの鼓動が一気に速まった。
(ちょっと待って……!騎士時代のヴィヴィアン、こんなに色っぽかったっけ!?)
戸惑いが心を満たす間もなく、ヴィヴィアンはベッドに彼女を優しく下ろした。彼はひざまずき、まるで忠実な騎士のように彼女の手を丁寧にとり、指先に甘いキスを落とした。
手の甲、そして手の平へと柔らかな唇が触れていくたびに、ミシェリアの胸が熱くなる。
「ヴィ、ヴィヴィ……?」
言葉を発する声が震える。だがヴィヴィアンは静かに微笑んだまま、ゆっくりと彼女の靴を脱がせ、細い足首を大切そうに手に取った。
(えっ……!?)
ミシェリアが慌てるのを楽しむかのように、彼はそのまま足の甲にまで優しく唇を押し当てた。あまりにも丁寧で、恭しい口付けにミシェリアの顔が一気に真っ赤になる。
「お気に召していただけましたか?」
そう言ってヴィヴィアンが上目遣いに微笑むと、ミシェリアの羞恥心が限界を突破した。
「わーーー!!もう終わり!やっぱりいつものヴィヴィがいい!!こんなの恥ずかしすぎて無理!」
彼女は両手で真っ赤な顔を覆い、ベッドの上で激しく首を振った。
すると、ヴィヴィアンはそんな彼女の反応が面白いのか、意地悪げに口元を歪めた。
「いつも?何を仰います。私は昔からずっと、このように貴女様にお仕えしていましたよ?」
「絶対嘘よ!騎士時代のあなたはもっとクールで、こんな色男みたいじゃなかったわ!」
「ほう、では私のことをそんな目で見ておられたのですね?」
ヴィヴィアンがにやりと笑うと、ミシェリアはベッドに倒れこむようにして、バタバタと両手足を動かした。
「あーーーもう!!やめて!!いつもの強引でちょっと無理してるヴィヴィアンに戻ってー!」
恥ずかしさのあまり泣き出しそうなミシェリアを、ヴィヴィアンは嬉しそうに眺めながら、小さく笑って囁いた。
「これでもまだお気に召さないと?ミシェリア様は本当に我儘でいらっしゃる。」
「やめてったら!!もう、限界!!」
ミシェリアが本気で叫ぶように言うと、ヴィヴィアンはようやくクスクスと笑いながら彼女を抱き寄せた。
「わかったよ。少し強引で君を困らせる夫に戻るとするか。」
ヴィヴィアンが元の話し方に戻ると、ミシェリアはホッとして彼の胸に額を押し当てる。
(危なかった……この人、本気で私を殺しにかかってる……!)
「全くもう、ヴィヴィアンったら意地悪なんだから……。」
呟きながらも、彼の温かい胸元に抱きしめられると、やはり胸の高鳴りは止められなかった。




