52話目
夜会が終わり、ヴィヴィアンの罰も解けたことで、ついにラヴェルノワ公爵邸に穏やかな日常が戻ってきた。
ヴィジェストとヴィーネストは領地へ帰り、屋敷はしんと静まり返っている。
執務室にこもる必要もなく、社交の場へ出向くこともなく、貴族たちの噂に気を張ることもない。
久しぶりに、本当に二人きりの時間だった。
そして――。
「やっと……こうして落ち着けるな……。」
昼間だというのに、ヴィヴィアンとミシェリアは寝室のベッドの上に横になり、心地よい静けさを堪能していた。
窓の外からは優しい陽の光が差し込み、風に揺れるカーテンが柔らかく靡いている。
彼の腕に包まれたまま、ミシェリアはふっと小さく笑った。
「ヴィヴィアンったら、実年齢的には三十路超えてるんだから……もうちょっと感情をコントロールできるようにならないとよ?」
くすくすとからかうような口調に、ヴィヴィアンは少し眉をひそめる。
紫紺の瞳が細まり、どこか拗ねたような色を滲ませた。
「……あぁ、そうだな。」
「うん、そうよ。」
「でも、ミーシャもだろ?」
「え?」
ミシェリアは思わず瞬きをする。
「飛び出しちゃう癖、まだ直ってない。」
「うぅ……。」
痛いところを突かれ、思わず唇を尖らせる。
確かに、考えるより先に行動してしまうのは相変わらずだ。
回帰した後もその性格は変わらず、何度も周囲を振り回してしまっている。
「……まぁ、それは……努力するわ……。」
口を濁しながら、視線を泳がせるミシェリア。
すると、そのまま無意識に彼の胸に手を置いてしまった。
(……厚い。)
ミシェリアの指先の下には、鍛え上げられた肉体の感触があった。
触れるだけで分かる、無駄のない筋肉。
普段、優雅に振る舞う彼からは想像しがたいが、こうして間近で感じると、まさに"騎士"のそれだった。
「ねぇ。」
興味深げに指を滑らせながら、ミシェリアは何気なく問いかける。
「いつ鍛えてるの?」
ヴィヴィアンは目を細め、ゆるりと彼女の髪を撫でながら答えた。
「朝と夜。」
「えっ、そんなに……?」
「当然だ。騎士だった頃の習慣が抜けなくてな。」
「でも、もう公爵なのに?」
「……ミーシャを守るためだ。」
彼の言葉に、ミシェリアはふと動きを止める。
「……ヴィヴィ。」
胸の奥がじんわりと温かくなる。
"守るため"だなんて、そんなの当然のように言うけれど――。
回帰前、ヴィヴィアンがどれほどの想いを抱いていたのかを思うと、ミシェリアは彼の腕の中で、無性に愛おしさを感じた。
だから――。
「じゃあ、これからも毎日、私のために鍛えてくれる?」
冗談めかして微笑みながら、指先で彼の胸板をなぞる。
「……あぁ。鍛え続ける。」
ヴィヴィアンは、小さく笑みを浮かべた。
ミシェリアの顎をそっと持ち上げると、そのまま優しく口づける。
最初は柔らかく、そっと触れるだけだったキスは、次第に熱を帯びていった。
「ん……ヴィヴィ……」
部屋の中に漏れるのは、重なる呼吸と布擦れの微かな音だけ。
日差しを浴びるシーツがくしゃりと乱れ、ゆっくりと沈み込むベッドが二人を包み込んでいく。
互いを求める唇の動きは止まらず、次第に息が荒くなり、指先が絡まり合っていく。
「……んっ、ぁ……」
ミシェリアの吐息が漏れ、ヴィヴィアンの鼓動が速くなっていくのが肌越しに伝わる。
彼の手がそっとミシェリアの腰を撫で、熱を孕んだ指先が彼女の背中を滑るように這い上がる。
しかし、その瞬間――。
「……ミーシャ……っ、ストップだ……。」
ヴィヴィアンは息を切らせながらも、必死に自分を抑え込む。
ミシェリアから体を離し、荒い息を整えるように彼女の額に自分の額をくっつけた。
「はぁ……はぁ……。一年は我慢するって、決めたからな……」
苦しそうに言いながら、ぎゅっと拳を握り、理性を必死で引き戻そうとする。
ミシェリアはそんな彼の姿を見て、くすっと微笑んだ。
「ヴィヴィったら……そんなに苦しいの?」
「当たり前だろう……」
彼は情けない表情を浮かべ、荒れた呼吸を整える。
「結婚式までは……絶対に手を出さないと決めた。……だが……ミーシャが近くにいると、すぐこうなってしまう……」
ヴィヴィアンの言葉にミシェリアの頬が赤く染まり、胸がきゅっと締め付けられた。
(でも……1年後手を出すのは私のほうなのよね…。)
「……うん、わかったわ。それじゃ、もう少しだけ我慢ね。」
優しくそう言いながら、ミシェリアは微笑んで彼の頭を抱き寄せた。
ヴィヴィアンは子供のように拗ねた顔で、ただ黙って彼女の胸元に顔を埋めていた。
しばらく静かな時間が流れた後、ヴィヴィアンがちらりとミシェリアの様子を伺うように見上げる。
「……ミーシャ」
「ん?」
「だめだ、やっぱり……少しだけ、手伝ってくれないか?」
彼の声は小さく、少し照れくさそうに震えていた。
ミシェリアはその意図をすぐに察し、恥ずかしそうに頬を染めながらも、そっと彼の背中に手を回す。
「もう……しょうがないわねー。いいわよ。」
ふわりと微笑みながらそう囁くと、ヴィヴィアンの紫の瞳に安堵と喜びが広がった。
そっと目を閉じた二人は、そのままゆっくりとお互いの体温を感じるように静かに溶け合っていった――。
◇◆◇◆◇
しばらくして、静かになった部屋にヴィヴィアンの落ち着いた声が響いた。
「そういえば……馬上試合に出ろと、王に言われていたんだった。」
ヴィヴィアンはベッドに寝そべったまま、少し疲れた様子で額に手を乗せながら呟いた。
「馬上試合?」
ミシェリアは横になったまま、首を傾げたが、すぐに記憶が戻ってくる。
(あぁ……あのイベントか。)
かつて王太子妃だった頃、彼女は何度か王宮主催の馬上試合に出席した経験があった。騎士が馬に乗り競い合う華やかな大会だ。
けれど回帰後の生活では縁がなく、ミシェリアの記憶からはほとんど抜け落ちていた。
「そういえば、あったわね。」
「王が言うには、俺の病が癒えた今、貴族たちに公爵としての健在を見せるためだそうだ。」
ヴィヴィアンは苦笑しながら肩を竦める。
「でも、ヴィヴィが出場したら優勝しちゃうじゃない。回帰前だって、あなたに勝てる人なんていなかったでしょう?」
ミシェリアがそう言うと、ヴィヴィアンは視線を窓へ向け、少し照れたように頬を染めた。
「あぁ…。だが、優勝したらミーシャに花を渡したい。」
その声には、ほんのり甘い響きが含まれていた。
ミシェリアは、照れ隠しに顔を背ける。
馬上試合では勝ち抜くたびに、繊細なガラス細工の薔薇が贈られることになっている。そして最後に勝ち残った者には、純金製の輝く薔薇が贈られるのだ。
ミシェリアはふと気になって、ヴィヴィアンを見つめながら尋ねた。
「そういえば、回帰前も何度か試合で優勝していたけど……あの薔薇、どうしてたの?」
ヴィヴィアンは一瞬ためらった後、照れくさそうに視線を逸らす。
「実は、ずっと持っていたんだ。渡せなかったから、自分の部屋に飾っていた。」
「え……?」
ミシェリアは思わず首を傾げる。ヴィヴィアンが小さく咳払いをして続ける。
「渡すつもりで取っておいたが、結局渡す勇気が出ず、仕方なく自分で眺めていた。」
「……え、それって……もしかして私に?」
「他に誰がいるんだ。」
ヴィヴィアンはわずかに赤くなった顔で、小さく息を吐いた。
「もう、ヴィヴィアンったら! 本当に可愛いんだから!」
ミシェリアは声を上げて笑いながら、愛おしくて仕方がない気持ちで彼の腕を軽く叩いた。




