49話目
寝室の扉が強く閉じられた。
そして次の瞬間、ミシェリアはベッドの上にドサッと乱暴に下ろされた。
クッションの柔らかさが衝撃を和らげたものの、心臓は激しく跳ねる。
「ヴィヴィアン、何する気?」
警戒の色を滲ませながら問いかけるが、ヴィヴィアンは何も答えない。
ただ、彼の指先が静かに衣服へと伸び、己のシャツのボタンを外し始めた。
「……っ!」
背筋にぞくりとした緊張が走る。
(このままじゃ……)
逃げようと身を起こそうとするが、それよりも早く、手首を押さえられた。
「っ……!」
彼の顔がゆっくりと近づき、熱を帯びた唇が重なる。
浅く、優しげなものではない。
むしろ、追い詰めるようなキス。
言葉を奪い、すべてを支配しようとするかのような口づけだった。
「止まって! これ以上は……っ!!」
必死に抵抗を試みるが、彼の指はさらに強く絡みつく。
「いやだ!!」
低く、絞り出すような声。
ミシェリアの呼吸が止まった。
まるで子供がすべてを拒絶するように―― それでも、彼の声は深く切実で、涙を滲ませるような響きを持っていた。
「もう……アイツとは……金輪際、会わないでくれ………。」
その声は苦しげで、まるで今にも壊れてしまいそうだった。
「気が狂いそうだ。」
握られた手首から彼の体温が伝わる。
それは熱かった。
怒りや嫉妬、焦燥や不安、すべてがない交ぜになって、彼を締め付けているのが分かった。
「ヴィヴィ……。」
ミシェリアの心が、ぎゅっと締め付けられる。
「分かっているんだ……。俺のために……動こうとしてくれてることくらい……。」
その言葉と同時に――
ポタリ。
鮮やかな紅が、ヴィヴィアンの鼻先から滴り落ちた。
「ヴィヴィアン……!」
ミシェリアの目が見開かれる。
それでも彼は、鼻血が垂れていることすら気にしない。
ただ、必死に、まるで心の支えを求めるように、ミシェリアを見つめていた。
(この人は……こんなにも私を求めているのね……。)
その想いの強さが、痛いほどに伝わる。
それは、誰かを愛することを知らなかった過去のヴィヴィアンとは、まったく別のものだった。
だから――
ミシェリアは、そっと彼の頬に手を添えた。
「……ヴィヴィアン。」
そして――
自ら、唇を重ねる。
「……っ。」
彼の瞳が驚きに見開かれる。
けれど、ミシェリアは躊躇わなかった。
静かに、けれど確かに、その唇をもう一度味わうように吸い付く。
(この人は……確かな愛を求めてる)
彼に "安心" を与えられるものを。
「まだ……言ったこと、なかったわね。」
もう一度、彼の唇を奪う。
彼の腕が震えるのを感じる。
そして、静かに囁いた。
「愛してる。」
その瞬間、ヴィヴィアンの全身から力が抜けた。
そのまま、ミシェリアを抱きしめながら、彼は震える息を漏らす。
そして、最後に交わしたキス。
――それは、血の味がした。
けれど、それは甘く、切なく、どこまでも深く。
そして、彼らの愛を強く刻む、確かなものだった。
――――――――――――
――――――――――
その夜、結局、最後までは至らなかった。
けれど――ヴィヴィアンは私を抱きしめたまま、深く眠りについていた。
規則正しく聞こえる彼の呼吸。
そっと顔を覗き込むと、彼の長い睫毛が微かに揺れている。
その寝顔は、普段の公爵としての冷静さや威厳とはまったく違っていて、
ただの疲れ果てた青年だった。
(……よほど、疲れていたのね。)
ここ数日、彼は朝早くに起き、夜遅くまで仕事をしていた。
両親からの罰で公爵の責務が倍になり、そこに加えて私のことまで気にかけてくれていたのだから、疲れないはずがない。
(私のせいで、また無理をさせてしまったわね……。)
少し申し訳ない気持ちになりながら、彼の髪にそっと指を通す。
銀糸のような髪は、月光に照らされて淡く輝いていた。
こんなに穏やかな時間が流れるのは久しぶりだった。
けれど――気になることがある。
(ヴィートヒートは、無事だったのかしら……。)
あの後、彼がどうなったのか、確認する間もなく私は王城へ向かってしまった。
彼の吐血はただの発作だったのか、それとも――ヴィヴィアンと同じ呪いの影響なのか。
(もしかして、ラヴェルノワ公爵家の回帰には、まだ知らない何かがあるの?)
考え始めると、胸の奥がざわついた。
(……明日、様子を見に行かないと。)
そっと身じろぎすると、ヴィヴィアンの腕がぎゅっと私を引き寄せた。
「ん……ミーシャ……。」
低く甘い声で、私の名前を呼ぶ。
彼はまだ夢の中にいるようで、まるで何かを失いたくないかのように、私を抱きしめる腕に力を込めた。
(もう……仕方ないわね。)
そっと彼の頬に手を添える。
彼の温もりが、まるで鎖のように私をここへ繋ぎとめる。
不思議なことに、それが少し心地よく感じるのだった。
(少なくとも、今夜は……私も、この腕の中で眠ろう。)
目を閉じ、彼の静かな呼吸に耳を傾けながら、私は眠りについた。
◇◆◇◆◇
翌朝、ミシェリアが食堂に向かうと、すでにヴィヴィアンの両親と義弟たちが揃っていた。
椅子に座るなり――
「もう二度と出て行かないでください!!」
突然、銀髪をなびかせたヴィートヒートが、涙目でミシェリアに泣きついてきた。
「義姉上がいなくなったせいで、兄上が執務を吐血してる僕に押しつけて、僕の仕事が爆発したんですよ!?」
その目には この世の終わりのような絶望 が浮かんでいる。
「僕は一体、何の罪でこんな目に……!!」
まるで訴えるように、必死にミシェリアの手を握るヴィートヒート。
「絶対に出たらダメです!!夜会も近いのに!!」
ヴィジェストも苦々しい顔で深いため息をついた。
「……そんなに?」
二人の必死な様子にミシェリアは少し驚きながらも、笑いをこらえた。
その時、ヴィヴィアンの母・エミリアが静かに紅茶を口に運びながら、ぽつりと呟く。
「少し罰が重すぎたかしら……。」
すると、ヴィストリアが腕を組み、低く唸るように言った。
「うむ。ヴィヴィアン、少しだけだ。少しだけ減らしてやる。」
ヴィヴィアンはその言葉を聞いて、一瞬だけほっとした表情を浮かべたが、すぐに真顔に戻る。
「ヴィジェスト、補佐をしてやりなさい。」
「はい、父上。」
ヴィジェストは即座に返事をした。
――しかし、安堵したのも束の間。
「待ってください!!」
ヴィートヒートが血相を変えて叫んだ。
「ヴィジェストを取られたら、僕は!?僕の仕事は!?」
ほぼ悲鳴のような声だった。
その隣で、ヴィジェストは涼しい顔で紅茶を飲みながら、「頑張れ」と目で訴えてくる。
――いやいや、兄たちはもう少し頼りになってくれないものなのか。
今にも机に突っ伏しそうなヴィートヒートを見て、ミシェリアはクスリと笑った。
「私がちゃんと手伝うわ、ヴィートヒート。」
「……っ!」
昨日のことが脳裏をよぎったのか、ヴィートヒートは一歩後ずさる。
「大丈夫よ!黙ってやるわ!」
ミシェリアがにっこり微笑むと、ヴィートヒートは一瞬、硬直した後――
「うぅ……不安です……。」
涙目になりながら、情けない声で呟いたヴィートヒート。
それを見て、ミシェリアは小さく笑いながらも、心の奥にある 不穏な感情 をそっと飲み込む。
(――この家族には、聞きたいことが山ほどある。)
彼らは今、何事もないように食卓を囲んでいる。
(ミリスクレベンの言葉が正しければ、ラヴェルノワ公爵家は 屋敷ごと生贄にされた。)
では、一体 誰が?
9歳だったシェルクが、そんな大掛かりな禁術を成し遂げたのだろうか。
それとも、ヴィヴィアンがシェルクを使って、すべてを仕組んだのか――。
――でも、もしこれを確かめようとすれば?
おそらく、この家の誰かが 命を落とすことになる。
呪いにかかった家族が 過去を語ることを許されていない のは、ヴィートヒートの吐血を見れば明らかだった。
(だから……今は聞けない。)
何も知らないふりをして、この 違和感だらけの温かい家族ごっこ を続けるしかない。
「ミシェリア?」
不意に、ヴィヴィアンが呼ぶ。
「……え?」
「お前も何か食べろ。」
「あ……そうね。」
手元のスープをすくいながら、微笑む。
こんなに優しい家族なのに――なぜ、こんな秘密を抱えなくてはならないのだろう。
(本当に、何が起こったの……?)
――今はただ、そっと 蓋をするしかない。




