47話目
数日間、夜会の準備を手伝いながら、ミシェリアはある違和感を覚えていた。
ヴィートヒートは、次々と書類を処理し、夜会の準備を進めている。
その手際の良さは驚くほどで、まるで長年この仕事をこなしてきたかのようだった。
(……こんなに慣れているなんて。)
筆を走らせる彼の姿を見つめながら、ミシェリアは小さく息を吐いた。
「ヴィートヒート。」
名前を呼ぶと、彼は手を止めてこちらを見る。
「あなた……私と同い年よね?」
一瞬、不思議そうな顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「はい、そうですが?」
(なら――どうして?)
漠然とした違和感が胸の中で広がる。
考えながら、ふと口を開いた。
「ねぇ、少し踊らない?」
「……え?」
ヴィートヒートが眉をひそめる。
「この忙しい時に?」
「ほんの少しだけよ。」
「……義姉上は、本当にダンスがお好きですね。」
ヴィートヒートは微かに苦笑しながらも、ミシェリアの手を取り、軽く執事に目配せした。
執事は一礼すると、そっとバイオリンを構える。
その瞬間、ミシェリアはさりげなく囁いた。
「13番の曲をお願い。」
執事の動きが一瞬だけ止まる。
しかし、すぐに心得たように頷き、弓を滑らせた。
流れ出したのは、貴族なら誰でも知る旋律。
けれど、通常の舞踏会ではほとんど踊られない、高度なステップを要するダンスの曲だった。
――王族や特別な舞踏の場でしか踊られない、洗練されたステップ。
社交界では求められることはなく、普通の貴族なら学ぶ必要すらない。
それなのに――。
ヴィートヒートは、何の迷いもなくミシェリアを導いた。
足元は滑らかに、リズムにぴたりと合い、流れるような動きが繰り広げられる。
一度の躊躇もない。
それどころか、まるで彼自身がこのダンスを熟知しているかのような余裕すら感じられた。
(……やっぱり。)
ミシェリアは、踊りながらヴィートヒートの表情を観察する。
彼の顔には、ほんの僅かの驚きが浮かんでいた。
けれど、それ以上に――「何かを見抜かれた」と悟ったような戸惑いの色が滲んでいる。
(普通なら、このダンスは初めて踊るはず。)
社交界ではほぼ使われない曲だ。
だからこそ、学ぶ貴族は少ない。
けれど、ヴィートヒートは――あまりにも自然に、この舞を踊っている。
(つまり、"知っていた"のね。)
音楽が終わり、最後のステップでヴィートヒートがミシェリアを支えたまま停止する。
一瞬、静寂が広がる。
ゆっくりと体を離し、ミシェリアは息を整えながら彼を見つめた。
「……まさか、これを夜会の演目にするつもりですか?」
ヴィートヒートは、一瞬意外そうに首を傾げた。
「違うわ。」
呼吸を落ち着かせながら、彼の瞳をじっと覗き込んだ。
「ヴィートヒート……あなた、どうして 回帰してる の?」
――その瞬間だった。
ヴィートヒートの表情が一瞬で強張る。
まるで、何かを悟ったかのように、目を大きく見開いた。
「……っ!」
次の瞬間――
「ゴフッ……!」
喉の奥から絞り出されるような音とともに、赤い鮮血が彼の唇を伝い、滴り落ちる。
「ヴィートヒート!?」
ミシェリアは一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
しかし、目の前のヴィートヒートが大きく息を詰まらせ、苦しげに喉を押さえるのを見た瞬間、全身が凍りつく。
(どうして……!?)
動揺する間もなく、彼の体がぐらりと傾いた。
「しっかりして!!」
ミシェリアは咄嗟に駆け寄り、崩れ落ちそうな彼の体を支える。
しかし、その体は恐ろしく冷たく、まるで生気が失われたかのように力が抜けていた。
「ヴィートヒート、聞こえる? しっかりして……!」
震える声で呼びかけるも、彼の瞳はわずかに揺らぐだけで、焦点が定まらない。
「奥様! 落ち着いてください!」
執事がすぐに駆け寄り、ヴィートヒートの肩を支えながら、厳しい声を上げる。
「誰か、医師を呼べ! 急げ!」
メイドたちは青ざめた顔で即座に反応し、慌てて部屋を飛び出していく。
ミシェリアはヴィートヒートの顔を覗き込みながら、必死に彼の肩を支え続けた。
「ヴィートヒート……!」
彼の唇は血の気を失い、呼吸は荒く浅い。
胸が小刻みに上下し、そのたびに苦しそうな吐息が漏れる。
(まさか……ヴィートヒートも……!?)
恐ろしい予感が脳裏をかすめる。
「そんな……。」
ミシェリアは強く唇を噛みしめた。
(どうして……どうして ヴィートヒートにまで呪いがかかっているの!?)
目の前で苦しげに息をする義弟の姿。
自分にしがみつくように震える指先。
それらすべてが、彼が今どれほどの苦しみの中にいるのかを物語っていた。
(いったい、何が起こっているの……!?)
胸の奥に、焦燥と恐怖が絡みつく。
「ヴィートヒートをお願い。」
ミシェリアは冷静さを装いながら、執事へと告げた。
「奥様……!」
執事が戸惑いの声をあげるが、ミシェリアはすでに立ち上がり、目を鋭く光らせていた。
「すぐに医師を呼んで。彼をしっかり診てもらって。」
短く言い残し、その場を後にする。
――今は考えるよりも、動くべきだった。
(調べなきゃ……。)
ヴィートヒートの吐血。
それが、ヴィヴィアンの呪いと無関係であるとは到底思えない。
―― やっぱり、王城に行って確かめないと……!
ミシェリアは衣装ルームへ向かい、素早く乗馬服に着替えた。
窮屈なドレスではなく、動きやすい装い。
足元を固め、髪を後ろでまとめると、鏡の前で一瞬だけ自分の姿を見つめる。
(この格好……懐かしいわね。)
回帰前、王太子妃になる前までは、こうして馬に乗って王都を駆けていた。
当時の感覚が、不思議と手に取るように蘇る。
(迷ってる時間はない。)
軽く息を吐き、廊下を駆けるように進む。
「……!」
馬小屋へ向かい、手綱を手にすると、ちょうど近くにいた門番の騎士たちが気付き、声をかけてきた。
「奥様、どちらへ?」
(……どうする?)
一瞬だけ迷うが、すぐに思いついた。
ミシェリアは、わざと慌てたような声を作る。
「ちょっとどいて! 姉さんが大変なの!」
「……えっ!?」
門番たちは動揺し、一瞬判断が鈍る。
その隙に、ミシェリアは馬の腹を軽く蹴り、駆け出した。
「奥様!?」
門が開ききる前に馬を走らせ、そのまま屋敷の外へ飛び出す。
(ごめんなさい。でも、これは私にしかできないことだから。)
風が頬を打つ。
夜会の準備で長く滞在していたラヴェルノワ公爵家を背に、ミシェリアは王城へ向かい疾走した。
王城の扉の向こうに、彼女の探し求める 答え があることを信じて――。
――――――――――
――――――――
一方で、ラヴェルノワ公爵邸の静けさを切り裂くように、勢いよく扉が開かれた。
「ヴィーヒ!!」
眼鏡をかけたヴィヴィアンが、長い足で大股に歩き、寝台のそばへと駆け寄る。
「何があった!?」
横たわるヴィートヒートは、まだ顔色が悪いまま、荒い息を吐きながら兄を見上げた。
「……申し訳ない、兄上……義姉上が……秘密を……知ってしまっ……。」
そこまで言った瞬間――
「ゴフッ!!」
「おい!! 話さなくていい!」
ヴィートヒートは、さらに顔を苦痛に歪めながら、今度は鼻血まで出し始めた。
「……っはぁ……っ……。」
ヴィヴィアンは眉をひそめ、手早く近くの布を取り、弟の鼻に押し当てる。
「だから話すなと言っただろう。」
「……はい……。」
ヴィートヒートはぐったりしながら、兄の手を借りて布を押さえた。
「それより……ミーシャはどこへ?」
「……突然、外へ……。」
ヴィートヒートは目を細め、喉を押さえながら続ける。
「姉上の表情からして……たぶん、王城へ……。」
ヴィヴィアンは目を伏せ、一瞬考え込んだ。
(あそこか……。)
すぐにピンときた。
「ヴィーヒ、発作がおさまったらヴィジェと共に、俺の仕事を引き継いでくれ。」
「…………」
「俺は迎えに行ってくる。」
そう言い放ち、ヴィヴィアンはくるりと踵を返し、勢いよく部屋を出て行った。
バタンッ!
部屋に残されたヴィートヒートは、ぽかんとした顔のまま、天井を見つめる。
(……え?)
次第に、唇が小刻みに震え――
「兄上、ひどくない???」
僕、重病なんだけど!?!?
弟の不満をよそに、ヴィヴィアンはすでに馬を駆り、王城へと向かっていた――。




