46話目
朝の柔らかな光がカーテン越しに差し込み、ミシェリアはゆっくりと目を覚ました。
(……ん?)
いつものように隣にいるはずのヴィヴィアンの体温がない。
それどころか、昨日の無茶なダンスの影響で、身体中が鉛のように重く、筋肉痛が全身を襲っていた。
「……うぅ……痛い……。」
ベッドの上で、ぎしりと軋むように体を動かしながら、ミシェリアはぼんやりと昨夜のことを思い出す。
(確か……屋敷に戻ってきて……それから……。)
寝る前にヴィヴィアンが両親に叱られていたのは覚えている。
でも、その後、彼が部屋に戻ってきた記憶がない。
(まさか……。)
ふと、不安が胸をよぎった。
まさか両親の怒りに触れて、一晩中説教を受けていたのでは――?
「……はぁ。」
仕方なく、ゆっくりとベッドから起き上がり、髪を指でとかしていると、ノックの音と共に侍女長が入ってきた。
「お目覚めですね、若奥様。」
「えぇ……おはよう、メイサ。」
「おはようございます。実は……昨夜のことなのですが。」
侍女長のメイサは、淡々とした口調で、昨夜のヴィヴィアンが受けた罰について語り始めた。
「若旦那様は、大旦那様より罰を言い渡されました。」
「……やっぱり。」
「それで、今朝は早くから執務に入られました。これから一か月は公務と領地経営に追われることになり、おそらく若奥様とはほとんどお会いできないかと。」
ミシェリアは小さく眉をひそめる。
(なるほど……それで今朝はいないのね。)
「まぁ、ちょうどいいわ。」
思わず、ミシェリアは肩を軽くすくめてみせた。
「……ちょうどいい、ですか?」
「えぇ。ヴィヴィアンと一緒にいると、楽しくてつい怠けてしまうのよね。」
ほんの少し、寂しさもある。
だが、それを表に出すのは悔しいので、あえて軽やかに笑ってみせる。
キャリーはそんなミシェリアの態度に微かに微笑んだ。
「では、朝食のご準備をいたしますね。」
「お願いするわ。」
キャリーが部屋を出ようとしたそのとき――。
「それと、若奥様。今朝、ご実家のローベルク伯爵邸からお手紙が届いております。」
「姉から?」
「はい。シェリルア様からです。」
ミシェリアは、差し出された封筒を受け取りながら、少しだけ苦笑した。
(きっと、"帰ってこなくて寂しい" っていう内容でしょうね。)
封を開けると、案の定――姉らしい、少し拗ねたような優しい言葉が綴られていた。
「……全く、仕方ないわね。」
◇◆◇◆◇
朝の支度を終え、ミシェリアはゆっくりと食堂へ向かった。
昨夜の出来事のせいか、まだ少し体の疲れが残っている。
けれど、今日は久しぶりに穏やかな時間を過ごせるかもしれない。
そう思いながら扉を開けると――食堂には、思いがけない顔ぶれがいた。
「……まあ。」
驚きつつも、思わず微笑む。
「お久しぶりです、義姉上。」
銀髪を肩に流し、エメラルドグリーンの瞳を持つ男性――ヴィジェストが、落ち着いた笑みを浮かべていた。
「一か月間、僕の仕事が兄上に回ったので、こうして遊びに来ました。」
「なるほど……。」
つまり、ヴィヴィアンが受けた罰の影響で、兄弟達の仕事がヴィヴィアンに割り振られたということか。
普段はヴィジェストが領地経営にも深く関わっている。
その負担が丸ごとヴィヴィアンに回ったのなら、確かに彼がここにいるのも納得だった。
「僕は一か月後の夜会の準備ができましたよ、義姉上。」
銀髪の長い髪を腰まで流し、紫の瞳を持つヴィートヒートが、優雅に微笑む。
彼はヴィヴィアンとよく似た容姿をしているが、それを嫌ってわざと長髪にしていると聞いたことがある。
普段は公爵家の社交関係を取り仕切る役割を担っており、夜会の準備やパーティーの演出には定評があった。
「ふふ、さすがね。頼もしいわ。」
「義姉上も、一緒に夜会の準備をされますか?」
「もちろん。そのつもりよ。」
微笑みながら答えると、ヴィートヒートは満足そうに頷いた。
「それにしても……昨夜突然、両親から王都へ招集がかかって、ほぼ夜通し馬を走らせてここへ来たんですよ。」
ヴィジェストが疲れた様子で肩を回す。
「まぁ……それは大変だったわね。」
「兄上の無茶のせいですよ……。」
ヴィジェストは少し呆れたようにため息をつく。
ミシェリアはそんな彼の様子を見て、思わず小さく笑ってしまった。
(まったく、ヴィヴィアンったら。家族にも、ずいぶんと迷惑をかけてるわね……。)
けれど、こうして家族が集まるのも悪くない。
せっかくの機会だし、一緒に夜会の準備をしながら、もっと二人のことを知るのもいいかもしれない。
◇◆◇◆◇
ミシェリアが穏やかに朝食を取っていると、隣に座るヴィジェストが、ゆったりと紅茶を飲みながら呟いた。
「しかし、兄上の罰のおかげで、僕はすっかり暇になってしまいましたよ。」
「暇?」
ミシェリアが不思議そうに聞き返すと、ヴィジェストは肩をすくめて言った。
「えぇ。兄上が全ての仕事を引き受けることになったので、僕の仕事まで全部彼の元へいきましたから。」
「そうね……。」
彼が今どれほどの業務を抱えているのか、ミシェリアもよく知っている。
公爵家の領地運営だけでなく、王都での貴族間の調整や、軍の管理など、多岐にわたる仕事を一手に引き受けているのだ。
「なら、少しは休めるのでは?」
「それが……暇すぎて逆に落ち着かなくて。」
「……はぁ。」
ミシェリアは思わず苦笑する。
一方、向かい側に座るヴィートヒートは、そんな兄の言葉を聞きながら、盛大にため息をついた。
「なら、兄上、暇なら手伝ってくださいよ。」
「え?」
ヴィジェストが紅茶を飲む手を止めて、怪訝そうにヴィートヒートを見た。
「僕は今、地獄のように忙しいんですよ。一ヶ月前倒しで夜会を準備しろと言われて、死にそうなんです。」
「夜会の前倒し?」
ミシェリアは驚いたように聞き返した。
「えぇ、両親が、兄上の正式な謝罪の場を設けるために、夜会を前倒しするよう僕に命じたんです。」
「ヴィヴィアンの正式な謝罪……。」
ミシェリアは、思わず小さく息をついた。
確かに、ダーンストレイヴ公爵家での騒動のことを考えれば、ヴィヴィアンが改めて貴族社会に対して誠意を示す場を設けるのは当然かもしれない。
しかし、それに付き合わされるヴィートヒートの苦労は計り知れないだろう。
「まったく……兄上のせいで、僕の仕事が倍に増えましたよ。」
ヴィートヒートは嘆息しながら、うんざりしたように言った。
「それに、夜会を成功させるためには、綿密な計画と準備が必要なのに、一ヶ月前倒しなんて……。」
「ふふ……ヴィートヒートも大変ね。」
「他人事じゃないですよ、義姉上!」
ヴィートヒートはすかさず言い返した。
「義姉上も、夜会の主役の一人なのですから、一緒に準備をお願いしますね。」
「えぇ、もちろん。」
ミシェリアは苦笑しながら頷いた。
すると、ヴィジェストが、のんびりとした口調で言った。
「じゃあ、僕も手伝おうかな。」
「……は?」
ヴィートヒートが一瞬、信じられないという顔をした。
「いや、兄上、今の流れでそこに至るのはおかしいでしょう? 何か企んでるんですか?」
「暇だからね。」
「……。」
「ほら、僕が手伝えば、少しは負担が減るだろう?」
ヴィジェストは微笑みながら、ティーカップを揺らした。
ヴィートヒートはしばらく彼をじっと見つめていたが、やがて深く息を吐き、肩を落とした。
「……まぁ、手伝ってくれるなら、ありがたいですけど。」
「うんうん、決まりだね。」
ヴィジェストは満足げに微笑んだ。
ミシェリアはそのやりとりを見ながら、思わず笑みを零した。
(ラヴェルノワ家の義弟たちは、本当に個性的ね……。)
ヴィヴィアンのせいで振り回されつつも、結局は家族として支え合っている姿が、なんだか微笑ましく思えた。
(……それにしても、一ヶ月後の夜会が正式な謝罪の場になるなら、私も気を引き締めないとね。)




