43話目
豪奢な装飾が施されたダーンストレイヴ公爵邸の大広間は、すでに多くの貴族たちで賑わっていた。
煌びやかなシャンデリアが天井高く吊るされ、燦然と輝く光が、磨き上げられた大理石の床に反射する。
壁際には華やかに飾られた花々が並び、オーケストラの演奏が優雅に空間を包んでいる。
揺らめく燭光の中、笑みを交わしながら談笑する貴族たちの声が心地よく響く。
そして――。
その賑わいが、ふと静まった。
入り口が開き、そこから二人の姿が現れたのだ。
ラヴェルノワ公爵ヴィヴィアン・カルノア・ケイオス・ラヴェルノワと、その妻、ミシェリア・ラヴェルノワ。
淡い水色の衣装に、シルバーの刺繍が施された 揃いの衣装 をまとい、二人は並んで会場へと足を踏み入れる。
ヴィヴィアンの深紫の瞳と銀色の髪は、どんな貴族よりも際立ち、彼の 端正な顔立ち は完璧な貴族の美を体現していた。
その隣で、ミシェリアは、まるで光の中に佇む女神のようだった。
上品なドレスがしなやかな身体に沿い、歩くたびにシルバーの刺繍が光を受けて繊細に輝く。
その優雅な姿に、貴族たちは息をのむ。
ヴィヴィアンは、ミシェリアの手をそっと取り、エスコートする。
すらりと伸びた指が、繊細に彼女の手を包む。
「まさかとは思うが……緊張しているのか?」
低く囁かれるヴィヴィアンの声に、ミシェリアは 一瞬、戸惑いを見せた。
彼の言葉をどう受け止めるべきか迷いながらも、小さく息を吐き、唇を開く。
「え……えぇ。ここの公爵夫人には、回帰前にたっぷり可愛がられたのよ。」
淡々と告げたつもりだったが、言葉に滲んだわずかな震えを、ヴィヴィアンは見逃さなかった。
ダーンストレイヴ公爵夫人――。
回帰前、王太子妃教育を王妃と共に厳しく施してくれたのは、彼女だった。
確かに愛のある指導ではあったが、それ以上に 容赦のない鍛錬 でもあった。
規律を守らなければ 罰として鞭を受けた ことも、一度や二度ではなかった。
それは 嫌な記憶の一つ だった。
「最初から俺を選んでいれば……。」
ヴィヴィアンがぽつりと呟く。
その言葉に、ミシェリアは小さく吹き出した。
「そしたら、あなたのお義母様に可愛がられたでしょうに。」
「……いや、俺が直接教えていた。」
ヴィヴィアンはさらりとそう言った。
「――私に、鞭を振るう気?」
ミシェリアは彼の顔をじっと見つめながら、冗談めかして問いかける。
その瞬間―― ヴィヴィアンの表情が苦悶に歪んだ。
「っ……。」
まるで 想像してはいけないものを想像してしまった ような顔をして、思わず口元を手で覆う。
「……ヴィヴィアン?」
「あ……いや、その……っ。」
彼は 何とも言えない表情 で視線をそらし、額に手を当てた。
どうやら とんでもない妄想をしてしまったらしい。
ミシェリアは呆れたように、くすりと笑う。
「何よ。自分で言い出したんじゃない。」
ヴィヴィアンは 耐えきれず 小さく咳払いをする。
「……悪かった。」
そのやり取りが妙に可笑しくて、ミシェリアの緊張は自然とほぐれていく。
ヴィヴィアンの手を借り、優雅に階段を降りるころには 心の重みがふっと軽くなったような気さえした。
広間の中央を進み、ついに――
ミシェリアとヴィヴィアンは ダーンストレイヴ公爵夫妻 の前へと歩み寄った。
ダーンストレイヴ公爵 アウグスト・ダーンストレイヴ は、王族と同じ 金髪に黒の瞳 を持ち、どこか威厳と冷静さを兼ね備えた佇まいだった。
その隣に立つのは、ダーンストレイヴ公爵夫人 クラリス・ダーンストレイヴ。
鮮やかな緑の髪に、深い森のような瞳を湛えた、気品あふれる貴婦人だった。
彼らの視線が 静かにヴィヴィアンへと向けられる。
(……公の場で、正式に挨拶を交わすのは初めてね。)
回帰前は、王太子妃として指導を受けた関係だったものの、
回帰後は 公の場で顔を合わせることはあっても、個人的な交流はほとんどなかった。
それは ラヴェルノワ公爵家とダーンストレイヴ公爵家が、それぞれ異なる立場を持つためでもある。
ダーンストレイヴ公爵は 王太子派の筆頭。
一方、ラヴェルノワ公爵家は 中立派の象徴。
元々、深い関係が築かれることのない公爵家同士だった。
しかし、今日という日は 正式な顔合わせの機会でもある。
ヴィヴィアンは ゆっくりと一礼した。
その動きは洗練されており、わずかな緊張すら感じさせない。
「ダーンストレイヴ公爵閣下、そして公爵夫人。
本日はご招待いただき、誠に光栄です。」
ミシェリアもヴィヴィアンと同じように、 優雅な所作で一礼する。
「ミシェリア・ラヴェルノワと申します。
お目にかかるのは久方ぶりになりますが、本日はこのような機会を賜り、大変嬉しく存じます。」
アウグスト公爵は、ゆっくりと頷いた。
黒の瞳が鋭くヴィヴィアンを見つめる。
「ラヴェルノワ公爵――以前より、あなたの噂は耳にしていましたが……
こうしてお話しするのは、初めてですね。」
公爵は 言葉を選ぶように、慎重に話す。
それもそのはずだ。
ヴィヴィアン・ラヴェルノワは 長い間、失声症だった。
公の場においても 筆談や身振りでしか意思を伝えなかったため、こうして彼の"声"を聞くのは、公爵夫妻にとっても初めてのことだったのだ。
クラリス公爵夫人もまた、興味深そうに目を細める。
「まことに……私どもも、あなたのご回復を聞いたときは驚きました。」
ヴィヴィアンは 微かに微笑んだ。
「長く不自由をおかけしておりました。
今、こうしてお話しできることを、私も嬉しく思っております。」
「そうですか。」
アウグスト公爵は、少しだけ視線を落とし、静かに息を吐いた。
(……公爵閣下にとっても、"声を取り戻したヴィヴィアン"は未知数ということね。)
ミシェリアは、そう察した。
彼の発する言葉を 慎重に受け止めようとしている のが伝わってくる。
(この場は、単なる舞踏会の挨拶だけじゃない。)
ダーンストレイヴ公爵夫妻にとって、これは ヴィヴィアンという公爵が、どのような人物なのかを見極める場でもあるのだ。
クラリス公爵夫人は、優雅に扇を開きながら、ふっとミシェリアへと視線を向けた。
深い緑の瞳が、じっと彼女を見つめる。
「急な神殿結婚をされたと聞きまして、驚きましたわ。
まさか、あのラヴェルノワ公爵がここまで強行なご決断をなさるとは……。」
扇の奥で、ふわりと微笑みが浮かぶ。
「とはいえ――正式なご結婚式が開かれる日を、心より楽しみにしております。
きっと、それは見事なものになることでしょう。」
(……鋭い方ね。)
ミシェリアは、公爵夫人の言葉の裏に込められた微かな探りを感じながらも、微笑みを崩さずに応じた。
「ありがとうございます、夫人。
私たちも、その日を迎えられることを心待ちにしております。」
すると、公爵夫人は少しだけ目を細め、優雅に頷いた。
「それは何よりですわ。
今宵の舞踏会――どうか、存分にお楽しみになってくださいませ。」
その言葉とともに、クラリス夫人はミシェリアの前からゆっくりと身を引いた。
流れるような所作で扇を閉じ、アウグスト公爵とともに次の来賓へと向かう。
(……この人は、王太子妃教育をしていただけあって、さすがね。)
一礼しながらも、ミシェリアは内心で静かに息を吐いた。
初めての公爵夫人としての正式な挨拶は、無事に終えられたようだった。
(……やっと終わった。)
ミシェリアは心の中で、小さく息を吐いた。
ダーンストレイヴ公爵夫妻との正式な挨拶を無事に終え、気づけば肩に入っていた力が少し抜けていた。
すると、隣にいるヴィヴィアンが 静かに彼女の手を握り直した。
温かく、優しく、しかし確かな強さを持ったその手が、彼女の緊張を解きほぐしていく。
「……ミーシャ。」
「なに?」
ミシェリアが彼を見上げると、ヴィヴィアンはほんのり微笑みながら、低く甘い声で言った。
「さすがだな。完璧な挨拶だった。」
「……私を何歳だと思ってるのよ。」
ミシェリアはクスリと笑いながら肩をすくめる。
「もともと29歳だったのよ? これくらい朝飯前だわ。」
「それをいうなら俺も31だったが?」
ヴィヴィアンが肩を竦めると、ミシェリアは「やめましょう」と苦笑した。
「歳よりになっちゃうわ。」
「そうだな。ミーシャはじゅう………はっ!!」
「どうしたの?」
ヴィヴィアンの表情が一瞬で変わった。驚愕に目を見開き、ハッとしたようにミシェリアを見つめる。
「誕生日が近いじゃないか!」
「え?」
ミシェリアは思わず瞬きをした。
「あぁ……えぇ、そうね。もうすぐ17だわ。」
彼女は意味ありげに微笑む。
「二度目のね。」
「俺としたことが……!」
ヴィヴィアンは少し狼狽えた様子で、ミシェリアの手を握る力をほんの少し強めた。
「何か考えなければ……!」
「ふふっ、いいわよ。特別なことはしなくても。」
彼の焦りように思わず微笑んだその時、舞踏会場に響く音楽が変わった。
ワルツの旋律が優雅に流れ出し、ダンスの時間がはじまる合図が会場全体に響く。
「ちょっと、ヴィヴィ。はじまっちゃう。」
周囲の貴族たちが次々とパートナーを選び、舞踏の輪ができていく。
ヴィヴィアンはすっと手を差し出し、流れるようにミシェリアをエスコートした。
「踊ってくれるか?」
低く甘やかな声が、誘うように響く。
差し出された手を見つめ、ミシェリアは微笑んだ。
「……えぇ、喜んで。」
手を重ねた瞬間、ヴィヴィアンは彼女を優雅に引き寄せる。
二人は旋律に乗り、軽やかに舞う。
絡み合う視線、交わる息遣い――。
ワルツの渦に包まれ、世界が二人だけのものになっていく。




