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声を失った公爵様に嫁ぎます 〜前世の夫から逃げたいのに、なぜか執着されてるんですが!?〜  作者: 無月公主


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35/72

35話目

珍しく、食卓には柔らかな笑い声が広がっている。

穏やかな朝の空気の中、銀の食器が優雅に触れ合い、湯気の立つ紅茶の香りが食堂を包んでいた。


ミシェリアは、フォークを手にしながら、ちらりと食卓を見渡す。

普段は静かに食事を楽しむことが多いこの家の朝食だが、今日は妙に和やかで、誰もが機嫌が良さそうだった。


特に、母と姉のシェリルアは、普段よりも楽しげに会話を弾ませている。

その様子に違和感を覚えたミシェリアは、隣に座る母へと小声で尋ねた。


「……何かあったの?」


母は上機嫌な笑みを浮かべながら、ナプキンをそっと口元に当てると、小さく頷く。


「今朝、ヴィニーから手紙が届いてね。シェリーったら、それを読んでずっとご機嫌なのよ。」


「ヴィニーから?」


ミシェリアは、反射的に姉の方へ視線を向ける。

すると、姉のシェリルアは手元の封書を大切そうに持ちながら、楽しげに紅茶を口にしていた。


「ほら、お父さまもご覧なさいな。事業の相談をしていたでしょう? それに対する返答が届いて、すっかり上機嫌なのよ。」


母が視線を向ける先では、父のシェトランド伯爵も珍しく楽しげな表情を浮かべていた。

普段、食事中はあまり口を挟まない彼が、新聞を置き、姉の話にしっかり耳を傾けている。


「なるほど……そりゃあ、良かったわね。」


ミシェリアは、小さく微笑みながらも、心の奥ではまったく別の思いが渦巻いていた。


――私にとっては、それどころじゃないのに。


確かに家族が楽しそうなのはいいことだ。

けれど、ミシェリア自身の心は、それとは裏腹にどこか落ち着かず、胸の奥がじわじわと重くなっていくのを感じていた。


思い浮かぶのは、数日前に見たヴィヴィアンの姿だった。

彼の白い肌に浮かび上がっていた不可解な刻印。

婚姻を果たしたことで呪いが解けたはずなのに、彼の体にはまだ何かが刻まれていた。


(結婚がゴールだったんじゃないの?)


ミシェリアは、ずっとそう思っていた。

王太子との因縁を断ち切り、ヴィヴィアンと正式に夫婦となったことで、すべてが終わったはずだったのに――。


(それとも、まだ何か隠されているの?)


考えれば考えるほど、心の奥で不安が膨らんでいく。

ヴィヴィアンは何かを隠している。けれどそれは言えない。

それが確信へと変わっていくにつれ、ミシェリアはいてもたってもいられなくなった。


このまま黙って見過ごすわけにはいかない。


(……直接、確かめるしかないわ。)


静かに決意を固めると、ミシェリアはそっとフォークを置いた。

紅茶を最後に一口含み、微笑を浮かべながら優雅にナプキンで口元を拭う。


(誰にも悟られないように――。)


そう心の中で念じながら、彼女は食事を終えた。

家族の談笑が続く中、いつもと変わらぬ仕草で椅子を引き、静かに立ち上がる。


「ごちそうさまでした。」


努めて平静を装いながら、一礼して食堂を後にした。


ミシェリアは足早に廊下を進む。

絨毯が敷かれた床は足音を吸収し、彼女の動きを静かに隠してくれる。


すぐに侍女たちの目を盗み、自室へ向かった。


(身軽な格好に着替えなくちゃ。)


大きなスカートでは動きづらい。

そう判断したミシェリアは、袖を通しやすいシンプルなドレスに着替え、髪をゆるくまとめる。


大貴族の令嬢にしては簡素な身なり――しかし、目的を果たすためには最適だった。


鏡の前で最後に身だしなみを確認し、深く息を吸う。


(準備は完璧。)


――こっそり王城へ行く。


それが今日の目的だった。


◇◆◇◆◇


ミシェリアは屋敷の裏口へと向かった。

正面から出れば、当然護衛に気づかれる。


使用人たちの動きにも注意を払いながら、裏庭へ続く廊下を慎重に進む。

普段は貴族の娘が通る場所ではないが、ここを利用すれば目立たずに屋敷を抜けられる。


(静かに……落ち着いて。)


胸の鼓動がわずかに高鳴る。

見つかれば、すぐに父や姉に報告がいく。

そうなれば、計画は台無しだ。


ドアノブをゆっくりと回す。

錆びた蝶番がわずかに軋む音を立てたが、幸い誰も気づく様子はない。


そっと外へ出ると、冷たい朝の風が頬を撫でた。

敷地内の庭は手入れが行き届いており、花々が穏やかに揺れている。


――そして、その向こうには門が見える。


ミシェリアは、一度だけ周囲を見回した。

屋敷の護衛が数人、門の近くに立っているのが確認できる。


(……これくらいなら、撒けるわね。)


心の中で小さく呟くと、彼女はまっすぐ歩き出した。


自然な動作を心掛けながら、ゆっくりと庭の奥へ向かう。

気配を悟られないように、遠回りしながら門の近くへと移動していく。


(大丈夫、焦らずに。)


しかし、門に近づいた瞬間――護衛の一人がこちらに視線を向けた。


(まずいわね。)


ミシェリアは、軽くドレスの裾を持ち上げた。


――次の瞬間。


彼女は一気に駆け出した。


「お嬢様!?!?」


護衛の驚いた声が響く。


しかし、ミシェリアは振り向かない。

全速力で庭を横切り、狭い路地へと飛び込む。


(追いつかせるわけにはいかないわ!)


背後で、護衛たちの足音が響く。

だが、この屋敷で育ったミシェリアにとって、この道は熟知した庭のようなもの。


すばやく身を翻しながら、木々の間を駆け抜ける。

庭を抜け、市場へと繋がる裏道へ滑り込むと――一気に雑踏の中へ紛れ込んだ。


「くっ……!」


遠くで護衛の声が聞こえるが、この人混みでは彼らも追跡は難しい。


市場の活気に包まれながら、ミシェリアは慎重に足を進めた。

行商人の呼び声、馬車の車輪の音、人々のざわめきが響く。


(上手く撒けたみたいね。)


ようやく安心すると、彼女は大通りの外れにある馬宿へと向かった。


扉を開けると、馬を扱う男が目を上げる。


「お嬢さん、一人でどうしたんだい?」


「馬を借りたいの。」


男は驚いたように眉を上げたが、ミシェリアの気迫を感じたのか、すぐに馬を引いてきた。


「代金は?」


「後でローベルク伯爵家に請求して。」


堂々とした口調で告げると、男は肩をすくめながら手綱を渡した。


ミシェリアは馬の背に軽やかに飛び乗る。

風に吹かれながら、手綱を握りしめた。


――向かうのは、王城。


誰にも邪魔されず、真実に辿り着くために――。


(追手はもう振り切った……。)


背後をちらりと振り返る。

護衛たちの姿は見えない。


だが、安心するのはまだ早い。

慎重に進む必要がある。


ミシェリアは城の外壁沿いに馬を走らせ、やがて一つの古びた扉の前で馬を止めた。


王族だけが知る、秘密の通路。


(――久しぶりね。)


深く息を吸い、扉に手をかける。

冷たい鉄の取っ手が、かすかに震える指に馴染んだ。


軋む音を立てながら扉が開く。


中はひんやりと湿った空気に満ちていた。

王城の誰もが知ることのない、闇に沈んだ通路。


ミシェリアは素早く通路へと滑り込み、そっと扉を閉める。

灯りのない狭い石壁の間を、彼女は慎重に進んでいく。


足音すら響かせまいと、かかとの低い靴を履いてきたのは正解だった。


薄暗い廊下の奥へ進むたびに、過去の記憶が蘇る。


(――何度も通った場所。)


王太子妃として過ごしていた頃、王宮の陰で行われる密談や、決して表には出せない事柄を知るために足を踏み入れたこの場所。


秘密を知るということは、同時に命を危険に晒すということだった。

だからこそ、ここへ来るたびに張り詰めるような緊張感があった。


(ヴィヴィアンの刻印……あれが何なのかを知るために。)


彼の体に刻まれていた、あの不気味な模様。

結婚によって呪いが解けたはずなのに、なぜまだ何かを抱えているのか。

何かが隠されている。


ミシェリアの心は焦燥に駆られるが、それでも足を止めることはなかった。

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