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声を失った公爵様に嫁ぎます 〜前世の夫から逃げたいのに、なぜか執着されてるんですが!?〜  作者: 無月公主


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33/72

33話目

昼下がりの柔らかな陽光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。

ここはラヴェルノワ公爵家の主の私室。


扉を開いた瞬間、目に飛び込んできたのは、整然と並ぶ本棚と、積み重ねられた書類の山。

公爵としての職務の多さが窺えるが、不思議と乱雑さはなく、一冊一冊が計算されたように配置されている。


しかし、何よりも目を引いたのは――。


(……あれ、私の絵姿?)


壁際の棚に、彼女の肖像画がいくつか飾られていた。

それは公式のものではなく、彼が個人的に持っているもののようだった。


(……まさか、こんなに飾ってるなんて……。)


ミシェリアは少し頬を赤らめながら、ソファへと腰を下ろした。


今日、ここに来たのには理由があった。

それは、ヴィーネストが突然ラヴェルノワ領地へと帰ってしまい、ローベルク伯爵家の屋敷がどこか寂しくなってしまったからだった。


家族の誰もが彼の無邪気さに慣れ切っており、彼のいない食卓は静かすぎるほどだった。


(だから、なんとかして連れ戻せないかと思って……。)


そう考えているうちに、メイドが入れてくれた紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。

目の前の小皿には、見慣れた大好物の焼き菓子がのっていた。


「……ん~、やっぱり美味しい……。」


もぐもぐと口いっぱいに頬張りながら、ミシェリアは幸せそうに目を細める。


(意地を張らずに、さっさと結婚してこの家に住んでしまった方が楽なんじゃ……。)


そんな考えがよぎるものの、すぐに頭を振って打ち消す。


その時――。


廊下から、慌ただしく駆ける足音が聞こえた。


(やばっ!)


ミシェリアは思わず姿勢を正し、ササッと口を拭うと紅茶をすする。


バンッ!!


「――ッ!!」


突然、勢いよく扉が開かれた。


そこに立っていたのは、普段とは違い、ラフな服装のヴィヴィアンだった。

上質な生地のシャツに、動きやすそうなズボン。

堅苦しい公爵の装いとは違い、まるで休日モードのような姿だ。


(……え、なんか……すごく新鮮。)


軽く乱れた銀髪が、いつもより無防備な印象を与えていた。


「……えっと、お邪魔してるわ。」


ミシェリアが挨拶をすると、ヴィヴィアンは一瞬、戸惑ったような顔をしてから小さく咳払いをした。


「……いえ……。」


(あれ?何か様子が変?)


ヴィヴィアンは、ちらりと部屋の隅を見やると、さらに顔を赤くした。


ミシェリアはその視線を追って――気づいた。


(あっ……もしかして、あの飾られてる私の絵姿が恥ずかしいの!?)


彼の耳まで赤く染まっているのを見て、ミシェリアは思わず口元を押さえた。


(可愛い……。)


くすりと笑いそうになるのを必死にこらえながら、本題に入る。


「ねぇ、ヴィーネストが突然領地に帰るって言って、一週間も戻ってこないのよ。家の中が暗くなっちゃって。何か知らない?」


「……確か、騎士訓練を受けているはずだ。突然言い渡した。」


「騎士訓練?」


驚きが隠せず、思わず聞き返す。


「ヴィーネストが……? うそ、想像つかないわ。」


「だろうな。」


ヴィヴィアンは肩をすくめる。


「あいつは家でも、本を読むか菓子を食うかしかしていなかった。」


「……あぁ、それはわかるわ。」


想像すると、なんだか微笑ましくて、二人はふっと笑い合った。


一瞬、心地よい沈黙が流れる。


しかし――その空気を破ったのは、ヴィヴィアンの低く甘い声だった。


「……そんなことより……。」


次の瞬間、彼はミシェリアの隣に腰を下ろし、さらりと肩に手を回す。


「男の部屋に来ていて、ただで済むとでも?」


「――!?」


びくっと肩を震わせたミシェリアは、反射的に立ち上がろうとした。


しかし――。


「あっ――!」


足元がぐらつき、バランスを崩す。


次の瞬間、ミシェリアはヴィヴィアンの胸に倒れ込んだ。


(やば……!)


驚きながらも、何とか体勢を立て直そうとした、その時――。


ビリッ。


「……あ。」


静寂が落ちる。


ミシェリアは、はっとして目を瞬かせた。


目の前のヴィヴィアンの服が――無惨にも破けていた。


露わになったのは、引き締まった白い肌と、しなやかな筋肉。

しかし、それ以上にミシェリアの目を引いたのは――。


(なにこれ!?)


彼の肌に刻まれた、おぞましい刻印。


まるで呪詛のような、それでいて何かを封印するかのような、不気味な模様が彼の体に張り付いている。


「うぇぇ!? 何これ!?」


思わず声を上げながら、好奇心のままにさらに破れた部分を広げてしまう。


「お、おい……。」


ヴィヴィアンの困惑した低い声が、静かな室内に響いた。

ミシェリアは、破れた服の隙間から見えた不気味な刻印を凝視する。


「あなた……まだ何か抱えてるの?」


驚きと疑念が入り混じった声が、自然と口をついた。


ヴィヴィアンは何かを言いかけ、視線を逸らす。

「いや……これは――」


その瞬間だった。


ゴフッ――!!


「ヴィヴィアン!?」


彼の喉から、真っ赤な血が溢れた。


鼻血とともに、吐血。

口元から滴る鮮血が、静寂の室内に鮮烈な赤を刻む。


「あっ!!」


ミシェリアは咄嗟に手を伸ばし、テーブルに置かれていたナプキンを掴むと、彼の口元に押し当てた。

背中を優しくさすりながら、必死に呼びかける。


「大丈夫!? ヴィヴィアン、しっかりして!」


ヴィヴィアンの呼吸は乱れ、苦しげに肩が上下する。

その瞳は微かに潤み、どこか痛みに耐えているようだった。


「ごめんなさい……もう聞かないわ。」


そう言いながら、ミシェリアは背中を撫で続けた。

少しでも楽になってほしい――そんな想いを込めて。


だが、ヴィヴィアンは相変わらず息苦しそうにしていた。


そこへ、廊下の奥から急ぎ足の音が響く。


「若奥様!」


扉が開かれ、メイドが息を切らせながら駆け込んできた。

その背後には、年配の医師――ラヴェルノワ公爵家の主治医である老人の姿があった。


「すぐに診察を……。」


ミシェリアはヴィヴィアンの肩を支えながら、医師に席を譲る。


医師は慣れた手つきで彼の脈を取り、喉の状態を診察した。

ヴィヴィアンは相変わらず苦しげだったが、時間が経つにつれて少しずつ呼吸が落ち着いていく。


「……どうやら、細かい血管がいくつか切れているようだな。」


医師は厳かに言った。


「呪いによる影響であることは間違いない。しかし、すぐに命に関わるものではないだろう。安静にすれば、少しずつ落ち着いてくるはずだ。」


ミシェリアは胸を撫で下ろした。


(……まだ、制約が完全には解けていなかったのね。)


それで結婚を急いでいたのかもしれない――ふと、そんな考えがよぎる。


だが、それを確かめるには、彼に直接尋ねるしかない。


「ヴィヴィアン……苦しいかもしれないけど、一つだけ答えて。」


ヴィヴィアンは、息を整えながら顔を上げる。


「……それは、急を要するものなの?」


彼は、しばらく考えたあと、ゆっくりと首を横に振った。


「……っ!!」


ブチッ――。


またしても、微細な血管が切れた音がした。

鼻血が再び流れ、医師が素早く布を取り出して拭き取る。


「安静に。」


医師の言葉に、ヴィヴィアンは力なく頷いた。


ミシェリアは、彼の様子を見ながら、心の中で静かに安堵する。


(良かった……。)


もし、彼が命の危機に瀕しているのなら、今すぐ何か策を講じなければならなかった。

でも、そうではない。


(つまり、結婚を急いだのは、ただヴィヴィアンが早く一緒に住みたかったからみたいね…。良かった。)


◇◆◇◆◇


しばらくして、ようやくヴィヴィアンの呼吸が落ち着いた。

医師も「ひとまず大丈夫でしょう」と言い残し、ミシェリアとヴィヴィアンの二人きりになる。


だが――。


部屋の中には、血のついたナプキンや、彼の服の裂けた部分が散乱していた。

二人とも、衣服に血の跡がついてしまっており、ひどい有様だった。


「すまない……色々と……服を……ダメにしてしまったな……。」


ヴィヴィアンが、申し訳なさそうに言う。


ミシェリアは、そんな彼を見て、ふっと微笑んだ。


「ううん。いいの。」


ヴィヴィアンがふと呟く。


「着替えるか……。」


すると、そばに控えていたメイドが恭しく一礼し、穏やかな声で告げた。


「かしこまりました。それでは、若奥様専用の衣装ルームへご案内いたします。」


「え……?」 


思わず戸惑うミシェリア。しかし、その驚きを楽しむように、ヴィヴィアンは優雅に微笑む。


"若奥様"という響きに、ミシェリアは一瞬まばたきをし、わずかに頬を紅潮させた。


そうして、メイドに促されるまま、館の奥へと足を踏み入れていくのだった。

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