3話目
気づけば16歳――
そして――
「え、えええ……!? もう私、16歳!??」
デビュタント(社交界デビュー)の準備をしながら、思わず頭を抱える。
目の前の鏡には、大人びたドレスをまとった自分が映っていた。
流れるような金髪、すっかり成長した姿。
(……やばい、普通に美しく成長しちゃってるじゃない!!)
社交界にデビューすれば、ますます王太子の目につく可能性が高くなる。
これは……本当に急がないといけない!!
考えていたよりも、時間はあっという間に過ぎてしまった。
(こんなはずじゃなかったのに……!)
王子と出会うまで、あと2年。
なのに、肝心の結婚相手がまだ見つからない――!?
焦りと不安が募る。
もう16歳。王太子と出会うまで、あと2年しかない。
どうしよう――そう思った瞬間、ふと机の上に置かれた新聞が目に入った。
何気なく視線を落とし、見出しを読む。
『ラヴェルノワ公爵家の当主、失声症のまま爵位を継ぐ――』
「……え?」
手を止め、記事に目を走らせる。
ヴィヴィエン・カルノア・ケイオス・ラヴェルノワ
ラヴェルノワ公爵家の嫡男が、正式に家督を継ぎ、公爵となった。
しかし、彼は失声症のままであり、いまだに言葉を発していない。
「……あれ? まだ治ってなかったんだ。」
確か、前に読んだ新聞でも"公爵家の嫡男が失声症になった"って書かれていた。
それがもう4年も続いてるってこと?
でも、なんだかおかしい。
「……未来で公爵が失声症だったことなんて、一度もなかったわ。」
未来の記憶をたどる。
公爵として、王室騎士団に属し、近衛として王宮で仕えていたあの人。
銀髪に紫色の瞳。整った顔立ち。低く、厳しい声。
宮廷でも滅多に口を開かない寡黙な人物だけれど、失声症だなんて話は聞いたことがない。
それどころか……。
「……あれ、私の側にいつもいたような?」
冷静に思い返してみると、王太子妃だった頃、なぜか彼は常に私の近くにいた。
何かと護衛を理由に付き添い、宮廷の廊下でもよく見かけた。
(……そういえば、普通に声を出してたわよね。)
今、新聞には「言葉を発していない」と書かれているけれど、未来の彼は違った。
どちらかと言えば、短く的確な言葉で、時折、私に助言をくれていたような……。
じゃあ、一体どうして?
どうして今、彼は失声症なんかに?
「もともと、この歳では失声症だったのかしら?」
それとも、私と出会った頃にはすでに治っていた?
でも、もし今の状態が続いているなら……4年間も失声症のままってことになる。
待って……ということは――
「……これって、チャンスじゃない?」
心臓が跳ねた。
公爵家に嫁ぐのはハードルが高い。
それはわかってる。
けれど、彼は失声症で公爵になったばかり。
この状態なら、通常の公爵家とは事情が違う。
頭の中で、冷静に分析する。
まず、公爵家にとって跡継ぎは絶対に必要。
けれど、当主が失声症となれば、政略結婚の話は進みにくいはず。
貴族の間では「家門を繋ぐための結婚」が基本。
けれど、失声症の公爵と結婚するとなると、名門の令嬢たちは躊躇するに違いない。
(つまり、婚約相手が見つかっていない可能性が高い!)
そして、もし彼に婚約者がいないなら、結婚の条件も緩くなるはず。
普通、公爵家の当主と婚約するなら、それなりの家柄や実績が必要になる。
でも、今の彼は「特異な状況」にある。
失声症の影響で、"普通の貴族令嬢"でも婚約できる可能性がある。
それどころか、彼の立場を考えれば、神殿での結婚(=絶対に離婚できない婚姻)を提案する余地がある。
(公爵家の後継問題が絡めば、神殿婚を受け入れてくれる可能性もあるわ!)
そして、何より――
王太子妃になるより、はるかに安全!
公爵家なら、王族の直接的な干渉を受けにくい。
それに……もし未来の彼と変わらないのなら、彼は騎士として優れた剣の腕を持っている。
(未来では、いつも私のそばにいたわよね……)
もし彼が夫になれば、いずれ護衛の役割も果たしてくれるかもしれない。
私が王太子妃にならずに済むだけでなく、この先、私の命を守ってくれる存在になるかもしれない。
そう思った瞬間、強い確信が胸に生まれた。
私は新聞をぎゅっと握りしめる。
「……ヴィヴィエン・カルノア・ケイオス・ラヴェルノワ公爵に、アプローチする!」
これは、未来を変えるための一歩――私の人生を守るための、最善の選択だ。
――――――――――
――――――――
煌びやかなシャンデリアが天井から吊るされ、光を浴びて輝いている。
壁際には絢爛な装飾が施されたテーブルが並び、貴族たちが上品に談笑しながらワイングラスを傾けていた。
女性たちは色とりどりのドレスをまとい、華やかな羽飾りや宝石で飾られている。
男性たちは格式ある軍服や礼服を身に着け、洗練された所作で舞踏会を楽しんでいた。
音楽隊の演奏が流れる中、舞踏の輪が広がっていく。
大丈夫だとは思うけど、王子には会わないようにしなきゃ。
私は、そろりそろりと動いた。
「なるべく目立たないように……」
王子に見つかるわけにはいかない。
もし話しかけられでもしたら、どうにかうまく誤魔化さないと――
そんなことを考えていた時、不意に聞こえてきた。
「やっぱりあの子、男好きよねぇ……」
「あちこちの場に顔を出して、男を物色してるって話よ?」
「貴族の娘らしからぬ恥知らずだわ……」
令嬢たちのヒソヒソ話が耳に入る。
(あー、もう!うるさいわね!!)
こっちは命かかってんのよ!好きに言ってなさい!!
私は心の中で舌打ちしつつも、完全にスルーして公爵を探すことに集中した。
(公爵になったのなら、きっと来てるはず!)
きょろきょろと辺りを見回す。
(どこー!? ラヴェルノワ公爵……!)
ふと視線の先に、壁際で静かに佇む一人の青年が目に入った。
銀髪に紫色の瞳。
格式高い銀色の礼服を纏い、背筋を伸ばしたまま壁にもたれかかっている。
しかし、その表情は鋭く、周囲を寄せつけない威圧感があった。
(いたーー!!)
見つけた瞬間、心の中でガッツポーズをした。
早速近づいて――
「あの!!」
勢いよく声をかけると、彼の紫色の瞳がゆっくりと私を捉えた。
(怖っ……!!)
まるで冷たい夜のような、強張った目つき。
だが、よく見ると、どこか孤独な雰囲気を纏っていた。
「お話したいので、テラス……行きませんか?」
そう誘うと――
彼は、凄く驚いた顔をした。
まるで予想外の言葉を聞いたかのように、目を見開いてこちらを見つめている。
鋭く、冷たいと思っていた表情が一瞬だけ崩れ、驚きと戸惑いを浮かべたその顔は――
(……あれ? なんか、思ったより幼く見える?)
「…………」
こうして至近距離でじっくり見るのは初めてかもしれない。
銀色の髪は月光を思わせるほど美しく、端正な顔立ちはまるで彫刻のよう。
紫色の瞳はどこか憂いを帯び、無口な雰囲気がさらに神秘的な印象を与えていた。
(……あらぁ、意識したことなかったけど。すっごくイケメン。)
未来では、何かと私の近くにいたのに、よく考えたらまともに顔を見たことなんてなかった。
冷たい印象が強かったけれど……こうして見ると、なんだか儚げな雰囲気もある。
……と、思った次の瞬間。
彼の瞳から、ぽろっと涙がこぼれ落ちた。
「…………え?」