24話目
お茶会も進み、次第に会場はさらに多くの貴族たちで賑わってきた。貴族らしい優雅な笑い声や、食器が触れ合う音が心地よく響く。しかし、その中にあっても、私はどこか落ち着かない気持ちを抱えていた。
(なんだか、妙に人が多いわね……)
姉とヴィーネストの側にいようと歩を進めるが、人の波に飲まれてしまい、少しずつ離れていく。
(え……どうしてこんなに押されるの? 何か……おかしい。)
胸の奥に、嫌な予感が広がる。まるで、見えない力で導かれるように、意図せず勝手に移動していく。
――そう、これは回帰前にも経験したことがある。
18歳の時、王太子との初めての出会いとなった舞踏会でも、まったく同じように人の流れに押され、気づけば彼の前に運ばれていた。
(まさか……)
思い出した瞬間、背筋が凍るような感覚が走った。
そして――。
「これはこれは……ローベルク伯爵家のご令嬢では?」
背後から響く、低く響く声。
心臓が一瞬、ぎゅっと縮こまる。
(――しまった。)
恐る恐る振り返ると、そこには深紅の衣装をまとった王太子、ミリスクレベンがいた。端正な顔立ちに柔らかな笑みを浮かべ、まるで長年の友のような態度で私を見つめている。
「ミリスクレベン殿下……」
言葉を絞り出しながら、私は礼儀正しく会釈する。
(とにかく早く離れないと。)
焦りながらも表情には出さず、静かに距離を取ろうとするが――。
「せっかくだ、ぜひゆっくり話でもしよう。」
彼は私を優雅に誘い、自然な流れで近くのテーブルへと案内する。周囲の貴族たちも、王太子自らが誘っているのだからと道を開ける。
(まずい……断る隙がない。)
仕方なく、席につくことを余儀なくされた。
「噂では、ローベルク伯爵家の次女はすでに婚約されたとか。」
にこやかに問いかけてくる彼に、私は静かに頷いた。
「はい。その通りでございます。」
「婚約というのは、まだ結婚ではない。心変わりということもありますね?」
(……来た。)
私は深く息を吸い、冷静に言葉を紡ぐ。
「いいえ、私はラヴェルノワ公爵を愛しておりますので。」
ミリスクレベンの表情が一瞬だけ変わる。驚きというより、何かを確かめるような鋭い眼差しだった。
「恋愛結婚……ならば、なぜ婚約式を早めるのですか? 騙されているのでは?」
王太子らしい巧みな言葉の選び方に、私はすぐに返す。
「お互いに愛し合っているうえ、相手の病のこともあり、早く安心させてあげたいという気持ちからです。」
それは嘘ではない。私がヴィヴィアンを心から思いやっているからこそ、できるだけ早く彼を安心させたかった。
「……では、まだ私にもチャンスがあるのでは?」
冗談めかした口調の中に、真意が含まれているのがわかる。
私は微笑みながらも、遠回しに釘を刺した。
「すでに書類も提出しており、二週間後には婚約式が執り行われます。殿下ともあろうお方が、醜聞を生むような行動はなさらないでしょう?」
「先ほども言ったように、結婚するまではチャンスがある。」
ミリスクレベンは余裕の笑みを浮かべながら、まるでゲームを楽しむように言う。
(……この人、昔はこんな話し方をしなかった。)
以前の私は、彼の言葉に翻弄され、いつしか彼に夢中になっていた。でも今は――。
「その心は、いつからでしょう?」
私は静かに問いかけた。
王太子はわずかに目を細め、答える。
「学園の視察へ行った時、一目惚れしました。」
(――学園!?)
私は衝撃を受けた。
そんな昔から……? 私は気にも留めていなかったのに?
心臓がざわつく。動揺してはいけないとわかっていても、過去の記憶が私を乱す。
回帰前の私は、死ぬほど――ううん、死んでもいいと思えるほど、彼を愛していた。
けれど――。
心に浮かぶのは、王太子の顔ではなく、銀髪の青年だった。
(……もう、私は。)
ヴィヴィアンの微笑み、手の温もり、優しく撫でる仕草、筆談で伝えてくれた言葉たち。
王太子にどれほど囁かれようと、私の心はもう彼に向いていない。
その時、お茶会の終わりを告げる鐘が鳴り響いた。
(……よかった。)
私はそっと安堵の息をつく。
「もっと話をしたい。ディナーでもどうですか?」
ミリスクレベンが微笑みながら提案してくる。
「申し訳ありません、迎えが――」
言いかけた瞬間、人混みに紛れ、私は彼の手によって腰を支えられた。
(しまった。)
周囲には人が多く、まるで流れるように、私は彼にエスコートされながら門へと向かうことになってしまった。
門へと続く道を歩きながら、私は必死に頭を働かせていた。
(このままじゃ……最悪の事態になる。)
脳裏に浮かぶのは、過去の記憶。
王太子妃だった頃、私は何度も彼の策略を目の当たりにしてきた。
彼は欲しいものがあれば、どんな手を使ってでも手に入れる。
どれだけ誠実な言葉を並べようとも、それはすべて彼にとって"計算された手段"に過ぎない。
(このままディナーに行けば、食事に何か混ぜられるかもしれない。)
王宮では、王太子や高位貴族が口にするものはすべて毒見が必要だった。
それは、信頼できる者同士でも、決して信用してはならないという戒めでもあった。
つまり、彼が本当に私を手に入れたいのなら……あらゆる手段を講じてくる可能性がある。
(なんとか……逃げないと!)
(何か、何かきっかけがないと――!!)
――その頃。
門の外では、ヴィヴィアンがすでに到着し、静かに待っていた。
時間が来る前から立っていたのは、彼なりの焦りの表れだった。
一刻も早く、彼女を迎えたい――そんな気持ちが、彼の姿勢から滲み出ていた。
けれど、次の瞬間。
人混みの向こう、門から現れたのは――王太子にしっかりとエスコートされたミシェリアの姿だった。
――心臓が凍りつく。
(……違う。)
(そんなはずはない。彼女が……自ら、あの男のもとへ行くはずが……!)
ヴィヴィアンは息を呑み、すぐに駆け出した。
けれど、王太子の周囲には護衛や従者、そして貴族たちが波のように集まり、ヴィヴィアンの行く手を阻む。
彼は人をかき分けながら、何度も必死に手を伸ばした。
(間に合わない――!!)
喉が張り裂けそうなほど叫びたいのに、声が出せない。
彼の病が、今この場で最大の障壁となっていた。
(……ミシェリア!!!)
心の中で叫びながら、ヴィヴィアンは声にならない声を張り上げる。
(ミシェリア!!!!)
しかし、どれだけ心の中で叫ぼうと、彼女には届かない。
彼女の姿は、王太子に導かれるまま、ゆっくりと門の向こうへ遠ざかっていく。
(行かないでくれ!!!!!)
目の前が暗くなり、足がすくむ。
(ダメだ……また、あのときのように……!!)
未来で、彼は彼女を救えなかった。
あの時、駆けつけたときにはすでに遅かった。
彼の腕の中にいたのは、冷たくなった彼女の亡骸だった。
(もう二度と……絶対に……!!!)
そのとき――。
「ミシェリアーーーーーーー!!!!」
大きな声が響いた。
まるで鐘の音のように、空気を震わせる強い叫び声。
その瞬間、ヴィヴィアンは驚いて振り返った。
そこには――ヴィーネストがいた。
あの無邪気な笑顔を浮かべる末弟とは違う、凄まじい気迫を放つ姿。
ミシェリアがピクリと動く。
彼の声が、彼女の心を揺さぶったのがわかった。
その一瞬の隙を突き――。
「申し訳ありません!」
ミシェリアは、丁寧ながらもはっきりとした態度で王太子の手をそっと外した。
「私はすでに婚約者がいる身ですので、これ以上お手間を取らせるわけにはいきません。」
微笑みを浮かべながら、ミシェリアは優雅に一礼する。
しかし、その瞳の奥には迷いのない強い意志が宿っていた。
王太子が驚いたように目を細める。
しかし、もう彼女は迷わなかった。
(ヴィヴィアン!!)
一目散に駆け出した。
駆ける先には、必死に手を伸ばしている銀髪の彼がいる。
人混みをかき分けながら、懸命にこちらへ向かってくる姿。
彼に向かって、飛び込むように――。
「ヴィヴィ――!!」
次の瞬間、ヴィヴィアンはその細い体を、強く、力強く抱きしめた。
腕の中にある温もりを感じた瞬間――彼は、ようやく息ができる気がした。
彼女の鼓動が、自分の胸に伝わる。
(――間に合った。)
彼の腕は震えていた。
それほどまでに、彼は恐れていたのだ。
再び彼女を失うことを。
ミシェリアもまた、彼の鼓動を感じながら、そっと瞳を閉じた。
「……迎えに来てくれて、ありがとう。」




