23話目
夜の静けさに包まれた部屋。
机の上には、羊皮紙が何枚も重なっていた。その一枚一枚に、ヴィヴィアンの丁寧な筆跡がびっしりと詰まっている。
ミシェリアは椅子に座り、ふっと微笑んだ。
(今日はヴィヴィとたくさん話したわね……お見合いの裏側の話なんて、普段なら聞けないことばかりだったし。)
彼の筆談はどこか淡々としているのに、時折、ちょっとした皮肉やからかいが混ざっていて、それがまた面白かった。
(ふふ……こんなに笑ったの、久しぶりかもしれない。)
そんなことを思いながら、羊皮紙を指でなぞる。
――そのときだった。
「うわぁ、兄上酷いなー。僕のこと、こんなに書いてる。」
「ひゃぁぁぁぁぁ!?」
突然の声に、思わず変な悲鳴を上げてしまった。
ミシェリアは慌てて振り返る。
そこには、いつの間にかヴィーネストが立っていた。
「な、な、な、なによ、ヴィーネスト!? いきなり入ってこないでよ!!」
「えぇ? だってドア、開いてたよ?」
さらりとした口調でそう言いながら、ヴィーネストは机の上の羊皮紙に視線を落とす。
「……ふむふむ、なるほどねぇ。兄上、僕のこと相当面白く書いてるみたいだね。」
「ちょ、ちょっと! 勝手に読まないで!」
慌てて羊皮紙を手元に引き寄せると、ヴィーネストはいたずらっぽく笑った。
「まぁまぁ、お義姉様。僕の婚約者がシェリーお姉様で良かったなぁって思ってさ。」
「……つ、ついに出たわね!? 本性が!!」
「ははっ、もうここまで暴露されちゃったら、隠す必要ないよねぇ?」
まるでゲームでも楽しんでいるかのような余裕の態度。
ミシェリアは思わずムッとして、ヴィーネストの頬をぎゅっとつねった。
「生意気な!」
「いたたっ、お義姉様、ひどいなぁ。噂通りのお転婆お嬢様ですねぇ?」
涙目になりながらも、どこか楽しそうに笑うヴィーネスト。
――そのとき、通りかかったシェリルアの声が響いた。
「まぁ!! だめよ、ミーシャ!!」
「えっ、ちょ、お姉様!?」
慌てて手を離すも、すでに遅い。
姉はヴィーネストのもとへ駆け寄ると、彼を優しく抱きしめた。
「こんなに可愛いヴィニーをつねるだなんて! ミーシャ、どういうつもりなの!?」
「ご、誤解よ!! じゃれ合ってただけ!!」
「じゃれ合うにしたって、ラヴェルノワ公爵家の人にそんなことしちゃだめでしょう?」
「はい……すみませんでした……。」
(納得いかないけど……ここで反論しても、逆効果よね……。)
姉は優雅な微笑みを浮かべ、ヴィーネストの髪を撫でる。
「さぁ、ヴィニー、お部屋に戻りましょうね。」
「はーい♪」
嬉しそうに姉にすり寄るヴィーネスト。
そして、部屋を出る直前――
ぺろっ。
(……今、私に向かって舌を出したわね!?)
――はらたつ!!!
――――――――――
――――――――
馬車の中には、華やかなドレスの生地が擦れる音と、柔らかな揺れが心地よい振動が広がっていた。
ミシェリアは、自分が身にまとった青と紫のドレスの裾を整えながら、目の前に座る姉とヴィーネストを見つめた。
シェリルアとヴィーネストは、まるで正真正銘の婚約者同士のように、お揃いの衣装を身につけている。
「お姉様……それだと、本当に婚約者だって証明して、男性が寄ってこないわよ?」
そう指摘すると、姉はどこか吹っ切れたような微笑みを浮かべた。
「いいのよ。もう疲れたもの。」
(……お姉様……。)
ミシェリアは心の中でそっとため息をついた。
ヴィーネストが可愛らしく膝の上で足を揺らしながら、得意げに胸を張る。
「シェリーお姉様は、僕と結婚するの! もう書類も書いたもん!」
「まぁ、可愛いこと。そうね、もう書類も出したものね。」
姉はヴィーネストの頬を優しく撫でながら微笑むが、その目にはどこか諦めのような色が滲んでいる。
(……やけくそになっていないか、少し心配ね。)
そんな風に考えていると、視線の隅で何かが動いた。
チラッとヴィーネストを見ると――彼がにこやかに姉へ甘えながら、同時にミシェリアへだけ向けられた"黒い顔"を浮かべていた。
(――この悪魔。)
全く、どれだけしたたかで食えない子なのか。
そんなことを思いながら、ミシェリアは話題を変えることにした。
「ところで、お姉様はさ……見た目だけなら、どういう人がタイプなの?」
シェリルアは少し考え、優しくヴィーネストの頭を撫でながら言った。
「そうねぇ……実を言うと、ヴィルダン様みたいな逞しくて大きな方に憧れていたわ。」
「それって……。」
ミシェリアはその言葉に、ふと幼い頃の記憶を思い出す。
(――ああ、やっぱり。)
姉がかつて慕っていたダーリルは、普通の体格の男性だった。けれど幼かったシェリルアにとっては、頼もしくて逞しく見えていたのだろう。
つまり、今でも姉の理想像は変わっていないということだ。
……そして、その下で青ざめるヴィーネストの顔があった。
ピクピクと引きつる彼の表情に、ミシェリアは思わず ぷふっ と吹き出してしまう。
「な、なんで笑うの、お義姉様……。」
「いえいえ、なんでも?」
(ふふっ……自分が"逞しくて大きな人"じゃないことを気にしているのね。)
小さく頬を膨らませるヴィーネストを眺めているうちに、馬車が目的地に到着した。
ミストリア侯爵家の門前には、すでにたくさんの貴族たちが集まっていた。
「……すごい人ね。」
門の先には煌びやかな装いの貴族たちが談笑し、華やかな雰囲気が広がっている。
お茶会というより、まるで舞踏会のような雰囲気だ。
(さて……問題なく終えられるかしら?)
ミシェリアはそっと息をつき、馬車を降りる準備を始めた。
◇◆◇◆◇
ミストリア侯爵家の庭園は、咲き誇る花々と手入れの行き届いた噴水が煌めき、まるで幻想の世界のようだった。お茶会には格式ある貴族たちが集まり、優雅に談笑している。
馬車を降りると、私たちはまず主催者であるミストリア侯爵夫人へと挨拶に向かった。
「本日はご招待いただき、ありがとうございます。ローベルク伯爵家のシェリルアとミシェリアでございます。」
「まあ、ローベルク伯爵家のご令嬢方ね。いらしてくださって嬉しいわ。」
侯爵夫人は穏やかに微笑みながら、姉と私を見比べる。
そして、ふと姉の隣にいるヴィーネストに目を向けた。
「そして、そちらの可愛らしい方は?」
「ラヴェルノワ公爵家の五男、ヴィーネストです。シェリルアお姉様の婚約者です!」
ヴィーネストはにっこりと笑いながら、愛らしく挨拶する。
「まあ……! そうだったのね。お二人、とてもお似合いですこと。」
「ありがとうございます。」
姉は優雅に微笑みながらも、すこし照れくさそうにしていた。
(うん……やっぱり、お姉様はもう覚悟を決めたみたいね。)
侯爵夫人との挨拶を終えた私たちは、庭園の中央へと進んでいった。
すると、すぐに周囲の貴族たちがこちらに気づき、次々と挨拶をしてくる。
「ローベルク伯爵家のご令嬢がいらっしゃるとは!」
「お久しぶりです、シェリルア様。相変わらずお美しい……」
貴族の男性たちが姉に視線を向ける。
(……うわ、やっぱり寄ってくるわね。)
けれど、そんな彼らの前に、ヴィーネストがちょこんと立ちはだかった。
「シェリーお姉様は僕の婚約者なので、あんまり近づかないでね?」
可愛らしい微笑みを浮かべながらも、その言葉にはしっかりとした警告が込められていた。
「婚約者……? それは正式に決まったということですか?」
「ええ、婚約式はまた日を改めてですが、すでに決まっていますわ。」
姉は品よく微笑みながら、はっきりと答えた。
すると、貴族たちは驚きながらも、どこか残念そうな顔をする。
(……さすが、お姉様。)
姉の隣で、ヴィーネストはしっかりと彼女の腕を取り、堂々とした態度を崩さない。
「だから、しつこく誘うのはやめてね。」
そう言って、ヴィーネストはひらひらと手を振った。
(もう……本当に油断ならない子ね。)
私も姉の隣に立っていたおかげで、結果的に守られていた。
(……まぁ、悪くはないけれど。)
私はそっとため息をつきながら、目の前で起こるやり取りを眺めていた。




