20話目
翌日、ローベルク伯爵家の門前に、いつもの銀と金に縁取られたラヴェルノワ公爵家の馬車が止まった。
「……来たわね。」
窓辺から様子をうかがいながら、私は深く息を吐いた。
やがて、馬車の扉が開き、整った礼服姿のヴィヴィアンが降り立つ。
そのすぐ後ろからは、いつものように無邪気に駆け出してくるヴィーネスト。
「兄上だーっ!」
ぱたぱたと駆け寄ると、ヴィーネストはまるで子犬のようにヴィヴィアンの腕にしがみついた。
しかし、ヴィヴィアンは冷静な顔のまま、すっと片手を上げる。
『ヴィーネスト、余計なことはしていないか?』
オーラで浮かび上がった文字に、ヴィーネストはピクリと肩を揺らし、そっと目をそらした。
「……なにもしてないよ?」
『嘘をつくな。』
じっとヴィーネストを見つめるヴィヴィアン。その鋭い紫の瞳が、弟を圧倒する。
「うう……だってぇ、シェリルアお姉様が可愛いんだもん!」
(……はぁ。)
深いため息をつくヴィヴィアン。だが、ヴィーネストを無理に引き剥がすことはせず、そのまま歩き出す。
ローベルク伯爵、つまりゆくゆくは義父となるシェトランド伯爵が、ヴィヴィアンを迎えた。
ヴィヴィアンは、筆談で丁寧な挨拶を交わす。
『お招きいただきありがとうございます。婚約者のミシェリア様とご家族を、心より敬愛しております。今後ともよろしくお願いいたします。』
「……公爵殿、わざわざご足労いただき、恐縮です。」
シェトランド伯爵は神妙な面持ちで答えながらも、チラリとヴィーネストを抱えたままの姿に目をやる。
伯爵家の屋敷に足を踏み入れると、すぐに屋敷の使用人たちが忙しなく動き始めた。
そして――。
別の方向から、もう一つの集団が堂々と屋敷の中へと足を踏み入れた。
「……え?」
私の目の前に広がるのは、異様な光景だった。
片方はサロエローズのデザイナーと、その弟子たち。
もう片方は、ランブルリアのデザイナーと、その弟子たち。
二つの超有名オートクチュールブランドの関係者が、同じ日にローベルク伯爵家を訪れているというありえない状況。
しかも、彼らは出会った瞬間から、バチバチと目に見えるような火花を散らしていた。
「……どうして同じ日に?」
私は思わずヴィヴィアンの方を見上げた。
彼は、まるで何も問題ないかのように、淡々紙を取り出して筆を走らせる。
『衣装を仕立てるのに、最高の環境を用意しました。』
「いやいやいや!!」
私は思わず声を上げた。
(何も同じ日にしなくてもいいじゃないの!!)
そんな私の困惑をよそに、サロエローズのデザイナーが一歩前に出た。
長身で優雅な雰囲気をまとい、どこか貴族的な気品を感じさせる男性だった。
涼やかな微笑みを浮かべながら、私ではなく、姉のシェリルアに視線を向ける。
「お初にお目にかかります、ローベルク伯爵家のご令嬢。シェリルア様とご両親の婚約式用の衣装を仕立てさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。」
「……え? わ、私の?」
姉が驚いたように目を瞬かせると、母も驚きながらも嬉しそうに顔をほころばせる。
「まあ……なんて素敵なことでしょう! サロエローズの衣装を纏うなんて、夢のようですわ!」
一方で、向かいにいたランブルリアのデザイナーが、鼻を鳴らすように笑った。
「ローベルク伯爵家の次女、ミシェリア様。あなたには、私どもランブルリアが最高の衣装をご用意いたします。」
「えっ、私の?」
「ええ、あなたとラヴェルノワ公爵様の婚約式の衣装を担当させていただきます。すべて最高級の生地で仕立て、あなたの美しさをより一層引き立たせるデザインをお約束いたします。」
私は困惑しながらも、慌ててヴィヴィアンの方を向いた。
「ちょっと待って! そんなの聞いてないんだけど!!」
ヴィヴィアンは、何食わぬ顔で筆を走らせる。
『ミーシャには、最高のものを身に着けてほしいから。』
「そ、それは嬉しいけど……!!」
この状況、明らかにただの衣装選びでは終わらない。
案の定、サロエローズのデザイナーとランブルリアのデザイナーが、再び火花を散らし始めた。
お互い、己のブランドの誇りをかけて、一歩も譲らないという気迫が伝わってくる。
(……この空気、すごく険悪なんだけど!?)
私はそっとヴィヴィアンの袖を引っ張った。
「ヴィヴィ……なんで同じ日にしたの?」
『偶然。』
「嘘でしょ!? こんな偶然あるわけないじゃない!!」
彼の無表情な顔を見ながら、私は心の中で悲鳴を上げた。
(……こんなハイブランド同士の戦いに巻き込まれるなんて、なんて日なの!!)
その時――
「まあ、どちらが素晴らしいドレスを仕立てるのか、楽しみですわね?」
そう優雅に笑ったのは母だった。
(お母様!? そんなこと言わないで!! 絶対、争いが激化するやつ!!)
◇◆◇◆◇
夕方になり、ようやくデザイナーたちは屋敷を後にした。
(……疲れた……)
ため息をつきながらソファに沈み込む。
結局、両親と姉の衣装はすぐに完成したようだけれど、私の婚約式用のドレスは、まだ時間がかかるらしい。
(まあ、オートクチュールの特注だし、仕方ないわよね……)
そんなことを考えていると、ふと横に視線を向ける。
部屋には私とヴィヴィアンの二人きり。
彼はいつもと変わらない静かな雰囲気で、窓辺に立ち、ぼんやりと外を眺めていた。
夕陽が銀髪を照らし、淡い光のベールをまとっているように見える。
「ねぇ、ヴィヴィ。」
彼がこちらを向く。
「聞いておきたいことがあるの。」
首をかしげるヴィヴィアン。
私は少し躊躇したが、意を決して口を開いた。
「ミリスクレベンって、私のこと……認知してるの?」
その瞬間、彼の表情がわずかに陰る。
そして、静かにコクリと頷いた。
(やっぱり……!!)
思わず心臓がドクンと跳ねた。
(じゃあ、いったいいつからなの……? 何がきっかけで私に目をつけたの?)
「私……何かしなくていい?」
そう問いかけると、ヴィヴィアンは迷いなく首を横に振り、筆を走らせた。
『僕に任せて』
「でも……ヴィヴィの負担が大きすぎるわ。」
『まかせてほしい。』
彼の紫色の瞳が、まっすぐに私を見つめる。
まるで「僕が守る」と言っているような強い意志を感じた。
「……わかったわ。もうこの件については終わりましょう。あなたの体に負担をかけたくないの。」
そう言うと、ヴィヴィアンは少し目を伏せ、やわらかく微笑む。
『ありがとう、僕のことを考えてくれて』
「……」
心がじんわりと温かくなる。
私のことを守るために、たった一人で何かを抱えている彼。
本当はもっと頼ってほしいのに、きっとヴィヴィアンはそういう性格じゃない。
(私は、彼を巻き込んでしまった……)
だからこそ、私は知りたかった。
「……ヴィヴィって、私のこと、どう思ってるの?」
素直な疑問だった。
彼は私のことを守ってくれるし、優しい。
だけど、それは婚約者としてなのか、それとも――
ヴィヴィアンが、一瞬驚いたような顔をする。
そして、筆を取ろうとした瞬間――
「っ……!」
ぽたっ。
「えぇ!? これもダメなの!?」
私の目の前で、彼の鼻から赤い滴が垂れる。
慌ててハンカチを取り出し、彼の鼻に押し当てる。
「わかったわ! 答えないで! 別のこと考えて!!」
まるで動揺する私を見て楽しんでいるかのように、ヴィヴィアンは困ったような、でもどこか優しげな表情で笑った。
(何よもう……!)
「本当に……どうなってるのよ、ヴィヴィアン。」
何をして、どうしてこんな状態になったの?
私が未来のことを知っているように、彼も何かを知っている。
(だけど……それを聞くことすら、彼の体に負担をかけることになる……)
私はハンカチを押さえたまま、彼の顔をじっと見つめた。
(あなたが、すべてを抱え込む必要なんてないのに……)
そんな思いが胸を締めつける。




