12話目
心臓がバクバクとうるさいほど鳴っているのを感じながら、私は熱くなった頬を両手で押さえた。
(お、落ち着いて……。ただの、ただのクリームを取っただけだから……!)
そう言い聞かせようとするものの、さっきのヴィヴィエンの仕草を思い出すたびに、どうしても意識してしまう。
そんな時、コンコンと扉が軽く叩かれた。
「失礼いたします、お嬢様」
入ってきたのは、数人のメイドたち。
そして彼女たちの腕の中には、美しいドレスが丁寧に抱えられていた。
(えっ、なにこれ……?)
ドレスは上品なシルバーとブルーの生地で仕立てられており、柔らかな光沢を放っている。
見ただけで高級品だとわかる、繊細な刺繍と美しいシルエット。
そして、そのタグには、貴族御用達の”有名オートクチュールブランド『ランブルリア』”の名前が刻まれていた。
(え……えええええ!?)
「ん?」
困惑していると、ヴィヴィエンがオーラを纏わせ、空中にさらさらと文字を描いた。
『ゆっくり着替えてね』
「え? 私?」
思わず指を自分に向けると、ヴィヴィエンはコクリと頷いた。
「えぇぇぇぇ!? そんな、もったいないです!!」
思わず立ち上がり、手を振って全力で拒否する。
こんな高級ドレス、普段着るようなものじゃない!
それに、私のために用意されたとは到底思えない。
しかし、ヴィヴィエンはさらりと筆を滑らせる。
『でも、もう買ったし。』
「……い、いつ!!?」
動揺しながら聞くと、彼は淡々と次の文字を書いた。
『昨日の帰りに。』
(……昨日の帰り?)
つまり、昨日――彼が私の実家で求婚状の返事を受け取り、婚約の書類を作成するためにご両親と一緒にローベルク伯爵家を訪れたあの日の帰り道に、すでにこのドレスを買っていたということ?
(どういうことなの……?)
ますます理解が追いつかない。
昨日の時点では、今日私がこの屋敷に来ることも決まっていなかったはず。
それなのに、どうしてこんなタイミングよくドレスを用意してるの!?
「お嬢様! さあ、お着替えいたしましょう!」
「えっ!? ちょ、ま――」
言い終わる前に、メイドたちが張り切った様子で私の手を引き、着替えが始まってしまった。
◇◆◇◆◇
着替え終わると、部屋の大きな姿見に映る自分を見て、思わず息をのんだ。
(……すごい……。)
シルバーとブルーのドレスは、まるで私のために仕立てられたかのようにぴったりだった。
上品な生地は動くたびに柔らかく揺れ、まるで夜空に輝く星のように煌めいている。
(……まるで、本物の公爵夫人みたい。)
そんなことを考えていると、扉が開き、ヴィヴィエンが再び部屋へと入ってきた。
(……ん?)
ヴィヴィエンの姿を見て、私は思わず目を見開いた。
(な、なぜあなたも着替えているの!?)
彼が着ているのは、私と同じシルバーとブルーの衣装。
まるでペアコーデのように、生地の質感や色味がそっくりだ。
(えっ……何これ、すごくお揃い感があるんだけど!?)
違和感に戸惑っていると、彼は淡々と文字を浮かび上がらせた。
『せっかくだし、どこか行く?』
「え……?」
どこか行く……?
確かに、ここまで着飾ったのだから、このまま屋敷にいるのももったいない。
それに、さっきまで紅茶とお菓子を楽しんでいたし、少し動いた方がいいかもしれない。
「うん。」
私が頷くと、ヴィヴィエンは静かに歩み寄り、机の上に置かれていたジュエリーボックスを開けた。
(えっ……何をするの?)
次の瞬間、彼はそこから宝石を選び出し、私の耳元へと手を伸ばした。
「……っ!」
そっと肌に触れる指先は、驚くほど冷たくて、けれど丁寧で。
私は動くこともできずに、そのままされるがままになってしまう。
耳にキラリと光るイヤリングがつけられ、次は首元に。
指先がそっと触れるたびに、心臓がドキドキと鳴る。
(ま、待って……距離が近い……!)
ヴィヴィエンはいつも無表情で静かな人だから、こういうことにも動じていないように見える。
けれど、私は違う!!
息が詰まりそうなほど緊張しながら、なんとか言葉を絞り出した。
「こ、これ……えっと……?」
すると、彼はふっと微笑み、短く文字を描いた。
『プレゼント』
(……プレゼント……!?)
私のために、これを?
(……もうダメだ。)
心の中でガクリと膝をつく。
こんな優しくされたら、もう何も言えない。
しかも、たった今まで王太子に追いかけられていたことすら、すっかり忘れてしまっていた。
(……なんなの、この公爵様……。)
胸の奥が、ほんの少しくすぐったくなる。
私はそっと手元のジュエリーに触れながら、小さく呟いた。
「ありがとう……公爵様。」
そう小さく呟くと、ヴィヴィエンは少し考えるような仕草をし――ふっと微笑んだ。
そして、さらりと筆を走らせる。
『ヴィヴィでいいよ。』
「……え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
でも、確かに彼はそう書いている。
「……ヴィヴィ?」
(えっ、私、今、すごいこと言わされてない!?)
公爵家の当主を、こんな親しげな愛称で呼んでいいものなの!?
(っていうか……ヴィヴィ!?)
脳裏に浮かんだのは、未来のヴィヴィエン――31歳の冷徹な近衛騎士だった彼の姿。
いつも寡黙で厳格、まるで鋼のような男だった。
そのヴィヴィエンを「ヴィヴィ」と……?
(無理!! 無理無理無理!!!)
思わず唖然として固まってしまう。
そんな私の様子を見て、ヴィヴィエンはまた文字を浮かべた。
『嫌だった?』
「いえ……」
そう答えながらも、なんとも言えない気持ちになる。
(いや、そういう問題じゃないのよ!!)
けれど、目の前のヴィヴィエンはどこか期待するように私を見つめている。
(ああ、もう……!)
心の中で観念し、小さな声で絞り出すように言った。
「……ヴィヴィ……。」
(ひいいいい!! なんか恥ずかしい!!)
自分で言っておきながら、ものすごく気恥ずかしい。
すると、ヴィヴィエンは満足したように、両手を軽く握り、ふわっと微笑んだ。
(あ、なんか……嬉しそう。)
まるで子供のような純粋な笑顔。
今考えたら、彼はまだ18歳なのだ。
未来の彼と比べてしまうのが間違いなのかもしれない。
(やっぱり、未来の記憶なんて彼にはないのかも……?)
でも、それでも。
どこか断片的に、何かを覚えているような気もしてしまう。
(……うーん、わからない。)
そんな考えを巡らせているうちに、私はヴィヴィエンに手を引かれ、屋敷の外へと連れ出された。
「えっ、どこへ……?」
そのまま、用意されていた馬車へと乗せられる。
扉が閉まり、馬車がゆっくりと動き出した頃、ヴィヴィエンが指を動かしながらオーラを纏い、淡く文字を描いた。
『僕がオーラを使えること、内緒だよ。』
「……え?」
私は思わず聞き返す。
「内緒なの?」
ヴィヴィエンは静かにコクリと頷いた。
「どうして?」
次の瞬間、彼はまた文字を描く。
『僕がこうして空に文字を書けるのは、馬車の中か、室内だけだよ。』
「えっ……? じゃあ、外では?」
ヴィヴィエンは何も言わず、ただじっと私を見つめる。
「うちの家族には? だって、家族の前でも使ってたでしょ?」
『もう口止め済みだよ。』
(えっ……!? もう口止めしたの!?)
どれだけ慎重に隠しているのかが、その一言だけで伝わってくる。
「そっか……」
なんだか、少し引っかかるものを感じながらも、私は小さく息を吐いた。
「不便だね。」
ふと、ぽつりとこぼれた言葉。
その瞬間、ヴィヴィエンの表情がわずかに翳る。
(……え?)
先ほどまでの微笑みが消え、儚げな横顔を見せる彼。
ほんの一瞬だけど、何かを思い出すように視線を落とし、そっと瞳を伏せた。
(あ……もしかして、私、言っちゃいけないこと言った……?)
そんな気がして、胸がぎゅっと締めつけられる。
「……ごめんね。」
私はそっと呟いた。
ヴィヴィエンは驚いたようにこちらを見た後、ゆっくりと微笑んで首を横に振る。
そして、淡く光る文字がふわりと空に浮かび上がった。
『大丈夫。』
その文字が、なんだか少し切なく見えて、私はそっと拳を握りしめたのだった。




