11話目
門の内側に足を踏み入れた瞬間、私はすぐに周囲の異様な空気に気がついた。
広々とした石畳の庭には、執事やメイドたちがずらりと並び、明らかに私を見つめてざわめいていた。
(えっ……な、何? そんなに驚くこと?)
私は思わず視線を泳がせた。
彼らの表情は、驚きと、そしてどこか歓迎の色を帯びているように見える。
(……まさか、私、ラヴェルノワ公爵家の「未来の公爵夫人」として、歓迎されてる!?)
いやいや、そういうのは正式な婚約式をしてからにしてください!!
その事実に気づき、私は一気に焦った。
しかも――
(しまった……! とんでもない平凡な格好で来ちゃった!!)
今日は気分転換のつもりで、王都のカフェへ出かけたのだから、服装はごく普通のワンピース。
装飾も少なく、貴族の令嬢らしい気品もない。
ラヴェルノワ公爵家の屋敷に訪れるにしては、あまりにも軽装すぎる。
(もうこれ……完全に庶民の娘が間違えて迷い込んだみたいじゃない!?)
この場の空気に耐えられず、私はそっと門の方へ向かい、
「あ、では、帰ります……。」
と、そろそろと後ずさりを始めた。
すると――
「お待ちください、お嬢様!!」
突然、門番と執事が揃って声をあげた。
「今、公爵様をお呼びしております!」
「えっ!? い、いや、大丈夫ですから!!」
慌てて手を振る。
(ヴィヴィエンを呼ぶ!? 何それ、絶対まずいやつじゃない!?)
「少し……不審者に追われたものですから、逃げ込んだだけで……もうほんとに大丈夫ですから……」
何とか誤魔化そうとするが、執事たちはますます慌てた様子になった。
「不審者!?」
その一言に、執事と門番、さらには周囲の使用人たちの表情が一気に引き締まる。
「それはいけません!!」
「お嬢様の身にもしものことがあれば、一大事です!!」
「すぐに護衛を増員し、王都全域を警戒いたします!!」
(おおおおおおおおおおお落ち着いてーーーー!!)
目の前で繰り広げられる大騒動に、私は冷や汗をかく。
(いやいや、確かに不審者っちゃ不審者だけど、追ってきたの王太子なのよ!? そんなこと言えるわけないじゃない!!)
しかも、王族への警戒を強めるなんて、そんなことしたら絶対に大事になる。
「えっと、ほんとに大丈夫なんです! もう私、全力疾走で逃げ切りましたから!!」
なんとかこの場を丸く収めようとするが、執事たちは揃って首を横に振る。
「万が一ということもあります!」
「公爵様にも、しっかりご報告を!」
(だから!! 呼ばなくていいのよ!!)
そう言おうとした瞬間。
屋敷の奥から、静かに歩いてくる銀色の髪の人物が見えた。
(……あ、これ……詰んだ。)
公爵様、来ちゃった。
しかも、相当急いでここまで駆けつけてくれたらしい。
銀色の髪をなびかせ、颯爽と歩いてくるヴィヴィエン。
その姿はまるで戦場へ向かう騎士のようで――異様な緊張感が漂っていた。
(えっ……そんな大事!? いや、確かに大事かもしれないけど!!)
彼は執事たちの方に視線を向けると、スッと手袋を外し、指先に淡くオーラを纏わせた。
そして、空中にさらさらと文字を描く。
『何かあった?』
オーラの光が淡く揺らぎ、空中に刻まれた文字がはっきりと読める。
(うわ……これ、絶対気軽に遊びに来ましたなんて言えないやつ……。)
服装を見れば一目瞭然だろう。
公爵家に正式な訪問をするような格好ではない。
それなのに、息を切らして馬まで使って駆け込んできた。
さすがのヴィヴィエンも、ただごとではないと察しているはず。
私は周囲に聞かれないよう、小さな声でそっと囁いた。
「……王太子に追いかけられました。」
その瞬間、ヴィヴィエンの表情が変わった。
目の色がほんの少しだけ暗くなり、口元がわずかに引き締まる。
(えっ……ちょっと待って。)
彼の顔を見て、一瞬、背筋がゾワッとした。
――この顔……。
(この顔だ……!!)
未来で、いつもミリスクレベンに向けていた顔。
無表情だけれど、確実に敵意を孕んでいる鋭い視線。
まるで、何かを抹殺する覚悟を決めたかのような、冷徹な眼差し。
私はごくりと唾を飲んだ。
(やばい……! 余計なこと言わなきゃよかった!?)
ヴィヴィエンはスッと指を動かし、先ほどのオーラの文字を手で消した。
そして、次の文字を静かに浮かび上がらせる。
『まだそこらをうろついているかもしれないから、中へ。』
(……えええ、やっぱり入らなきゃダメ!?)
公爵家にこれ以上お邪魔するのは気が引けるし、何よりこの屋敷、何もかもが規格外。
(でも……王太子がまだどこかにいたら、それはそれで面倒なことになるかも……。)
しぶしぶ覚悟を決めた私の手を、ヴィヴィエンはそっと引いた。
そのまま、彼に導かれるままに、屋敷の中へと足を踏み入れる。
(……って、ちょっと待って。)
庭、めちゃくちゃ綺麗なんですけど!?
左右に広がる美しく整えられた花壇、噴水、白い大理石の小道。
まるでどこかの宮殿の庭園のような景色に、私は思わず圧倒される。
(えっ……ここ、本当に王宮じゃないよね?)
そんなことを考えながら歩いていると、ついに屋敷の中へ。
「……ぴっかぴか……白色すご!!」
思わず小声で感嘆の声が漏れる。
床も壁も、純白の大理石。
広々としたホールには、見上げるほどの天井、豪華なシャンデリア。
廊下には品のある絵画や彫刻が並び、豪華でありながらも上品な空間が広がっていた。
(これ、絶対王宮より立派なんじゃない!?)
ヴィヴィエンに手を引かれながら、そんな驚愕に浸っていると、いつの間にか彼はある部屋の前で立ち止まった。
扉が開かれ、私たちは中へと入る。
そこは、広々とした書斎のような部屋だった。
重厚な本棚が並び、窓からは明るい陽の光が差し込んでいる。
けれど、目を引いたのは部屋の中央に置かれたふかふかのソファー。
ヴィヴィエンは何も言わず、そっと私の肩を押した。
「あっ……」
私はそのまま、ふかふかのソファーへ座らされる。
(……なんか、すごく丁重に扱われてる気がする……。)
私の心はまだバタバタしているというのに、ヴィヴィエンは静かに隣に座り、ゆっくりと筆を走らせた。
『大丈夫?』
すっと差し出された紙を見て、私は少し戸惑いながらも頷く。
「だ、大丈夫です! なので、落ち着いたら帰りますね……服もこんなですし……。」
(こんなラフな格好で、公爵家の書斎にいるの、どう考えても場違いすぎるわよね!?)
ヴィヴィエンは私の言葉を聞くと、ほんの少し考えた後、また筆を滑らせた。
『ちょっと、待ってて。』
「えっ……?」
そう書くと、彼はすっと立ち上がり、静かに部屋を出て行ってしまった。
(え……待っててって、何? どこ行くの?)
ぽつんと取り残され、私はなんとなく周囲を見渡した。
ヴィヴィエンの書斎らしい部屋は、思っていたよりも落ち着いた雰囲気で、壁際には大量の本が整然と並んでいる。
どれも重厚な装丁で、公爵家ならではの格式を感じるものばかりだ。
(ふぅ……)
少し緊張が解けて、ようやくソファーに深く腰を沈めた瞬間。
「お嬢様、どうぞ。」
ふわりと心地よい香りが鼻をくすぐる。
(……紅茶!?)
目の前に立つメイドさんが、温かい紅茶を優雅に注いでくれた。
しかも、それだけではない。
小さな銀のトレーには、美しく盛り付けられたお菓子が並んでいた。
(えっ……えっ……!?)
思わず息をのむ。
だって、そこに並んでいたのは、私の大好物ばかり。
ふわふわのカスタードタルト、甘さ控えめのフィナンシェ、サクサクのマカロン……。
(ま、まさか……これ、私の好みを把握してるの!?)
驚きつつも、せっかく用意してもらったのだからと、まずは紅茶を一口。
――ふわっと広がる上品な香りと、ほどよい渋み。
(なにこれ、おいしい……!)
思わず、体の力が抜ける。
お菓子も一口食べてみると、サクッとした食感のあとに、じゅわっと広がるバターの香り。
(なにこれ……ここ、天国??)
先ほどまでの騒動を完全に忘れ、私は優雅に紅茶とお菓子を楽しんでいた。
すっかりリラックスし、口の中で広がる甘さに幸せを噛みしめる。
(私、もうここの子になりたい……!)
そんなことを考えながら、カスタードタルトに手を伸ばし、頬張ったその時――
扉が開いた。
「……!」
私の手がピタリと止まる。
(や、やばい。)
紅茶を優雅に飲みながら、「私ここに住みます」と言わんばかりの幸せオーラを出していたところに、ヴィヴィエンが戻ってきてしまった。
(さっきまで遠慮がちにしてたくせに、めちゃくちゃくつろいでる姿、見られた!!)
私は慌てて手を引っ込めたが――。
ヴィヴィエンは、そんな私の様子を見ても、何も言わず。
ただ――
ニコッと、微笑んだ。
(え……なに、その笑顔……!?)
その瞬間。
ヴィヴィエンの指がすっと伸び、私の頬に触れる。
「……っ!」
びっくりして目を見開く間もなく、彼はそっと頬についたクリームをすくい取った。
(えっ!? えっ!?)
何が起きたのか理解するよりも早く、彼はそのまま指先をペロッと舐め、空中にオーラの文字を起こす。
『甘いね。』
(!!!!????)
一瞬で顔が熱くなる。
しかも、その文字はすぐにすっと消えてしまった。
(ちょっ、えっ、なにそれ!!!?)
まるで何事もなかったかのように振る舞うヴィヴィエン。
でも私は、どう考えても何事もなかったようにはできない!!
(ええええええええ!? なに今の!?!?!?)
頬が熱い。いや、顔全体が熱い!!
3月9日17時以前に読まれていた方へ
いつもお読みいただきありがとうございます!
これまでヴィヴィエンの病気を「失語症」としていましたが、正しくは「失声病」に訂正いたしました。
ヤブ医者ならぬヤブ作者で申し訳ありません……!
すでに読んでくださった方には混乱を招いてしまったかもしれませんが、今後ともよろしくお願いいたします




