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愚者の正体

「ダニエル様。フィラリオ侯爵から返信が届きました」


 フランベーニュ王国の都アヴィニア。

 王宮を囲むように点在する王族の館のひとつでその男は自分が仕える屋敷の主に先ほど届いた書状を携えてそれを伝える。


「いかがでしたか?」

「まあ、回りくどい言葉が延々と並んでいるが、どうやら私が望んだ結果ではなかったようだな。これは」


 執事であるその男アーベント・ボローニャからの問いに応えるようにまだ読み終えていない書状を渡し、この国の王の三男ダニエル・フランベーニュは苦笑いする。


「落ち目の貴族に縁談を断られるとは、私が愚か者という噂は相当なものということになるのだろうな。だが、自分が蒔いた種とはいえ、まさかこんなところに影響してくるとは思わなかった」


 受け取った手紙を読み終え、主の言葉が正しいことを確認した男が口を開く。


「ですが、そうであっても現国王の息子であるダニエル様の正妃という地位を蹴り飛ばすとはなかなかの剛毅ですね。伯爵は」


 剛毅。

 もちろんそれは大いなる皮肉であり、実際には報復を恐れぬ愚か者という意味が込められているのはあきらかだった。

 噂とは裏腹に明敏な男の話し相手であるフランベーニュ王国の第三王子は当然その言葉が本当に示す意味をすぐに理解する。

 ニヤリと笑ってそれに応えたその男が口を開く。


「おそらく蹴ったのは娘本人だろう。父親とは何度か話をしたことがあるが、そのときの印象では可もなく不可もなくというところが精一杯の評価だ。とても王族からの誘いを断るような度胸があるようには見えなかった」

「では、こちらから父親に対してもう一押ししてみますか」


 主の言葉を受けた有能な執事はすぐさま提案の言葉を口にするものの、王子はそれを軽く拒絶するように頭を振る。


「いや。やめておこう。こうしてこれがやってきたことから父娘の力関係がどのようなものかは想像できる。無理強いしてもろくなことにはならない」

「ということは、ここで諦めると?」

「さすがにそれはないな」


「なぜなら、私が表舞台に立ったとき彼女の力は絶対に必要なるのだから」

「それほどの才があるのですか。フィラリオ家の次女は」


 その女性に対する自らの主の執着ぶりに以前から疑問を持っていた執事が口にした呟きに似た問いに金髪をかき分けながら第三王子が答える。


「それを答える前に聞いておこうか。ふたりの兄の妃は血筋と財、それに外見以外に自慢できるものがあると思うか?」

「……それはなんとも」

「つまり、ないということだろう。そして、私にあてがわれた妃候補も皆そうだ。だが、それでは困るのだ。私は」


 答えに窮した執事から遠くにあるなにかに視線を移した館の主は彼だけが見えるそのなにかを眺めながら言葉を続ける。


「まもなく魔族は滅びる。そして、その後にやってくるのは魔族に代わるあたらしい支配者を決める戦いの始まりだ」

「それはダニエル様より何度も聞かされていますので承知しております」

「では、それについて聞こう。その戦いにおいて我が国に必要なものはなんだ?」

「強い兵と有能な指揮官でしょうか」

「まあ、はずれではない。では、それらを手に入れるために上に立つ者が持つべきものとは?」

「崇高な理想と強い信念。そして、人望ですか?」

 もちろん質問者は現実的な答えを期待したのだが、返ってきたのは模範解答のようなもの。


 ……質問が悪かったようだな。


 少しだけ気分を害したものの、一瞬だけ間を開けてすぐに気を取り直した王族の男が口を開く。

 自身が考えるものを口にするために。


「金だ」


「お金?」

「もちろん人望もないよりあったほうがいい。だが、人望はあるが金はない者より人望がなくても金のある者のところに人は集まる。だから、最初の質問の答えも金となる」

「はあ……」


 気のない返事で応じる目の前にいる男の表情を確認し、ひと呼吸開けた王子が言葉を加える。


「納得していないようなのでつけ加えて言っておけば、たとえ尊い目的を持った者の人望によって兵が集まっても給金は払えず、食うものも用意できなければ結局その軍は瓦解する。一方、その逆であった場合、少なくても勝っているかぎり秩序は維持される」


「そもそも駒を動かすだけで勝敗を決める子供の遊びとは違い、戦争は生きた人間がやるものだ。だから、どれほど勇敢で剣技が優れていようが、食うものがなければ戦えないし、報酬を払わなければ命を賭して戦わない。そして、動かす兵の数が多くなればそれはより顕著になる。つまり、戦争の勝敗は兵士たちに報酬を払い食料を与えられ続けられるか。言い換えれば、それを賄う金を持っているかどうかにかかってくる。だが、それがわからぬ者はあまりにも多い。もちろん敵にそのような輩がいるのは我々にとって歓迎すべきことだが、残念なことに同類は味方にも山ほど存在する。しかも、我が国の場合、さらにその上をいく究極の愚か者が軍を動かしている。嘆かわしいかぎりだ」


 そこまで一気にしゃべった館の主はため息をつく。


「……あれだけマンジュークの鉱山群が第一目標だと言ったにもかかわらずあの結果だ」


 王子の言葉はそこで切れる。

 口惜しさのあまり、それを口にすることを拒むように。

 執事の男は主の口から零れ落ちた言葉を拾い上げる。


「アリターナとの平行進軍」


 執事のその言葉に王子は渋々同意するかのように頷く。


「そうだ。王にあれを献策したときに私は二か所の入口は両方とも押さえることがマンジュークを攻略する際の肝であり、絶対に守るべき重要事項だと何度も念を押した。だが、それにもかかわらずあの馬鹿どもは余計な場所に手を出して時間を浪費し、その結果弱兵揃いのアリターナなんぞに先を越され入口のひとつを占拠され彼らの山岳地帯の侵入を許した。これを愚かと言わず何を愚かと言う」


 男は自らが主と交わしたその時の会話を思い出す。


 ……万が一にも、弱小のアリターナ軍に後れを取ることはない。

 ……マンジュークを落とすのは我が軍。

 ……だが、そこでは終わらない。

 ……間違いなくアリターナは戦いが終わったあとにその分け前を要求し、彼らを交渉団として送り込んでくる。


 ……赤い悪魔。


 ……奴らの蠢動を許さない唯一の方法はマンジュークをアリターナとは無縁なものにすることだ。


 ……それに早くから気づいていたダニエル様は開戦前からそれを準備していた。

 ……それなのに目の前の小さな利益を優先した者たちの失態のおかげであっさりとそれが水泡に帰したのだから無念の程はいくばかりのものか。


 その言葉をすべて飲み込んだ執事はその代わりとしてその理由を口にする。


「その者たちにとっては、国庫が潤う鉱山奪取よりも戦後の論功行賞の際に優先権が得られる肥沃な土地の占領こそ第一ということなのでしょう」

「……そうだな。そして、その対策のためにあらたな手を打ったわけなのだが、今その策が自らの首を絞めている。そして、また最善の策を崩してその対策の手を打たなくてはならぬ。それもこれもあの馬鹿たちの失態のおかげだ」


 第三王子の口惜しさが滲む思いが籠った短い言葉に頷きながら、執事の男は呟く。


 ……我が国の不幸は……。

 ……この方が継承権第三位の地位にあるということだ。

 ……それは、現在息を潜め玉座の影に徹しているこの方が王位に就くには、まず貴族たちには受けの良い兄二人を追い落とさなければならないことを意味する。

 ……しかも、そのうちのひとりである第一王子アーネスト様はすでに王太子となられている。

 ……もちろんこの方ならその程度の困難など些細なことのようにあっさりと乗り越えるだろう。

 ……そして、その結果訪れるものはこの国の利となるのは疑いようもない。

 ……だが、その過程でおこなわれることはとても他国に誇れるものにはならない。

 ……血にまみれた骨肉の争い。


 もちろんそれはすべて心の中のものである。

 当然彼の黒い呟きなど知るはずがない目の前の男はさらに言葉を続ける。


「すでに策は父上に献上している。まもなく公式なものとして貴族どもに伝えられるはずだ。そして、それさえ叶えばとりあえずこの世界のあたらしい覇者の地位は我が国のものとなり、王族の力も今以上になる」

「それは結構なことです」

「だが、問題はそこからだ」

「どういうことですか?」

「言うまでもない。我が国の最大の対抗者たるブリターニャにはあの男がいる」

「もしかして、それはかの国の第一王子アリスト・ブリターニャのことですか」


 執事である男は主よりその男のことは何度も聞かされていた。

 あれは正真正銘のバケモノであると。

 そして、外れようもないその言葉は肯定の言葉によって応えられる。


「そうだ。随分前に国王の代理として奴がやってきたときに玉座の後ろから眺めていただけだが、それでも、奴が纏う雰囲気、口にした言葉の深い意味は十分に感じ取ることはできた。女に色目を使う軽い見た目に騙されてあのときの奴の評価は最低だったがその程度のことでは私は騙されない。あの姿はつくられたものだ。そして、ハッキリ言おう。凡庸な兄たちなどではとても奴には敵わない」


「では、ダニエル様は?」


 執事の問いに、それはもうこれ以上のものはないくらいの完璧な自嘲というべき笑みを浮かべた男が口を開く。


「当然対抗できる。と言いたいところだが、そうは言えないな。残念ながら。私が奴によりも有利な点は奴が有能であることを私が把握しているのに対し、奴は私の名を知る程度で能力がどれほどのものかだと知らない、それどころか巷に流布されている噂を信じている可能性も十分にあるというところくらいだ。だが、そんなものでは彼我の能力と持っている力の差を埋めることはできない」

「フィラリオ家の娘はそれを補うためのピースということですか?」

「そうだ。なにしろ彼女は……」


「驚くべき魔術師だ。一瞬で我が国の宮廷魔術師全員まとめて駆逐するくらいの」


 そう。

 実を言えば、彼はある場所で偶然見たのだ。

 魔法を使う彼女と、その恐ろしい結末を。


「それで、ダニエル様はその彼女をどのようにして手に入れるのですか?」

「芸はないが、やはり贈り物で彼女の気を引く。そこから地道に始めるしかあるまい。強引な手を使えばあの者たちのように黒焦げになるだけだからな」


「……そういえば……」


 話が一段落したところで、その男は何かを思い出したかのようにその言葉を口にした。

 執事の無言の問いに答えるようにその男は言葉を続ける。


「魔族の中にもできる奴がいるようだな」

「といいますと?」

「もちろんノルディアの件だ」


 そこでようやく執事の男が口を開き、短い言葉でそう問うと、それに応えて、その相手であるこの国の第三王子ダニエル・フランベーニュが口にしたのは彼らが住む場所から遠く離れた国で起こった出来事についてだった。


「どんな奴かは知らないが、その魔族は大量に捕らえた捕虜を本国に高値で売りつけた。おかげで国中の金貨を吐き出させられたノルディアは戦線離脱に追い込まれた。もし、我が国がその当事者ならまったく笑えぬ話だが、ありがたいことにその相手はノルディア。敵ながら拍手喝采したくなる素晴らしい手腕だ」


 言葉どおり王子はその手際を心の底から賞賛しているのはあきらかだった。


 ……兵を損なうことなく、大きな手柄を挙げる。

 ……いかにもダニエル様が好みそうな策ではある。

 ……だが、ここは諫めるべき。

 ……ロフォーテンに忍ばせた間者が手に入れた情報は断片的であり、それが本当のことなのかもわからぬうえに、ダニエル様が褒めた相手は魔族。軽々しいことを口にして誰かに聞かれたら足を引っ張られかねない。


 ややわざとらしく眉間に皺を寄せた執事がそこに言葉を添える。


「あれは捕虜のなかに王弟と王子ふたりがいたからだろうというのがもっぱらの噂です」


「それに、あの手を使えるのは一度限り。王族や主な貴族の縁者を指揮官として前線に置かなければ同じ手は食わずに済むようにも思えますが」


 執事が口にしたその言葉。

 実をいえば、それはノルディアの失態を盛大に嘲笑したあとに貴族たちが声高に示したものと同じ、一見すると理にかなった対応策でもあった。

 だが、王子はそれを切り捨てるように否定する。

 彼ら以上の嘲りの笑いとともに。


「いや。必ずしもそうとは限らない」


「どういうことでしょうか?」


 王子の返答はあまりにも短かったため、その真意がわからず問い直す執事のその言葉に王子が答える。


「私がその魔族なら、捕らえた者が平民出身の兵士でも同じ値を要求する。さて、たとえばそれが我が国に対してのものだとして、魔族からとんでもない額の身代金を要求されたら、王の取り巻きたちはどうすると思う?」

「当然身代金を値切りますね。捕虜が全員平民ということであれば、場合によっては身代金そのものの支払いを拒み交渉をおこなわないのではないでしょうか」

「その二択なら彼らが選ぶのは、ほぼ間違いなくそう後者だな。だが……」


「このやりとりを魔族が我が国の民に知らせたらどうなる?」


「……それは……」


「下手をすれば、その言葉だけで国内をガタガタにされて、魔族との戦いどころではなくなる。おそらくそれこそがノルディアで起こったことだ。金を払わずこれを防ぐには兵たちに捕虜になるなと命令するしかなくなるが、捕虜になれば助かる可能性があるということが知られてしまえば、どんな命令も徴兵された平民たちには無意味なものになる」

「では、こちらも……」


 魔族を捕虜にして交渉の材料にする。

 まちがいなく続くはずだったその言葉を口にすることなく男は沈黙する。


「そういうことだ。魔族をこの世から抹殺するという我々の大義がそれを阻む。ただし、ありがたいことに捕虜を取ったのはノルディアと対峙した部隊だけであり、魔族全軍でというわけではないようだ。つまり、その部隊にはそれをやる理由があったということだ」

「理由?どのような?」

「ノルディアを黙らせ、後顧の憂いを断ったうえでマンジューク救援をおこないたい。それしかあるまい」


 そこまで話したところで、ある出来事のことが王子の頭を過る。

 そう。

 何の前触れもなく前線から遠い場所を魔族に襲われ、それがきっかけとなってフランベーニュとアリターナの間で数日間の小競り合いが起こったあれだ。

 実はあれ以降両国の関係はギクシャクしたものになっている。


 さらにいえば、現在自国とは別ルートからマンジュークを目指しているのはそのアリターナ。

 そして、援軍としてやってくるのは奇計を使う魔族。


 王子の中でよからぬ想像が育ち始める。


 ……まさか、ノルディアの一件もあのときと同じ奴ではないのか。


 ……証拠はない。

 ……だが、ふたつの仕事からは同じ香りがする。

 ……ないとはいえない。


 ……もし、そうであればやっかいだな。 


「頭が切れるその魔族の将がこちらにやってくる前にマンジュークを取らないと大変なことになるかもしれない。そうならないためにも少し強引でもこちらも早めに最も良い手札を切ったほうがよさそうだ。父上に献上した策は変更すべきだな」

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