チリツモ理論
チリツモ理論がキライである。
いわゆる、『塵も積もれば山となる』を全力でプッシュするやつだ。
小さなことからコツコツと。
やらないよりはやった方がいい。
少しでもいいから経験はしておくに限る。
無駄なことは一つもない。
もっともらしいことを言っているが、塵はただの塵だ。
吹けば散る、ただのチリ。
拭けば消える、ただのチリ。
ほうきで掃いて集められ、ゴミ箱に捨てられる、ただのチリ。
ちゃんとした作品と、同じ大きさの塵の塊があったらどっちを選ぶか?
ちゃんとした作品に決まっている。
塵でできた山と饅頭の山が並んでいたら、饅頭を選ぶ。
塵でできた山と札束の山が並んでいたら、札束を選ぶ。
塵でできた山とお姉ちゃんの山が並んでいたら、お姉ちゃんを選ぶ。
塵でできた山とごく普通の山が並んでいたら、ごく普通の山に登る。
塵でできた山と人の山が並んでいたら、人の山を遠目から望む。
塵など、どれほど積もったところで不必要なものだ。
塵は腹を膨らませない。
塵は身を肥やさない。
塵は欲望に応えられない。
塵は風で吹き飛ぶ。
塵は何ももたらさない。
塵が積もるのは、ただの怠惰の結果だ。
努力をした気になって、ぼんやりとしているだけで…積もっていく。
わずかでも経験になったのだからと、自己満足しているうちに…積もっていく。
塵と努力は別物だ、そんなことを言う者もいる。
だがしかし、塵と並ぶような努力に…、ごく普通の努力と並べるだけの価値はないはずだ。
努力をすれば、経験となって身につくものだ。
努力をすれば、明らかに得るものがあるはずだ。
努力をして、塵ほどしか得るものがないのであれば…それはもう、ただの無駄な時間を過ごしたのと同じだ。
努力をしても、塵ほどしか得るものがないとわかっているのに…無駄な時間を過ごす事は、愚かそのものだ。
努力もせずに、塵ばかりを山にする……、それが一番、愚かな事なのだ。
俺は、まあ…、努力もしているし、結果も残しているからな。
ホコリだらけの部屋に住んでても、問題はあるまい。
1K、ユニットバス付、一人暮らし、今年で八年目。
掃除機ナシ、ぞうきんナシ、掃除をした事はもちろん布団を干した事もなく、窓を開けたためしもない。
カーテンは破れて垂れ下がっていて、テレビの表面や棚の上、床、あらゆるところが真っ白になっている。
何もしなくても、塵は積もっていくばかりなのだ。
積もった塵は、下手にいじらず…スルーするのが一番いいのだ。
極力ホコリを巻き上げないよう…、抜き足差し足で移動した俺は。
ざらつく足の裏を素手で払って…年季の入った万年床に、ダイブしたのだった。