追憶:ヴァラット
悪魔は何処から生まれる?
それを説明する為には”悪魔”の定義が必要だ。
定義と言っても難しい話じゃない。それは実に単純で、至極当然のことだ。
「欲」
生命は食べる。
生命は寝る。
生命は性交する。
何故だ?
簡単な話だ。生きる為だ。
だが、実に非合理的な話だ。
生命は、”生きる”、たったそれだけの為に多くのことを縛られている。
何も食べずに生きられた方が楽だ。
寝ずに夜も活動できた方が効率的だ。
性交なんてせずとも、子を生めれば絶滅しない。
そんなことは誰だって思いつけることだ。だが、欲が縛って、思考とは逆の行動をさせる。
世界がそうした。
そのように生命を創ったのは世界だ。今の言葉で置き換えるのなら、神がそうした。
だからだろうか、神は自由だ。
何も食べる必要が無い。
寝る必要がないから、夜も活動できる。
性交以前に、神は死がない。だから子を生む必要がない。
そんな風に存在し続けているから、何も変わらないのだ。
だから、ヴァラットが生まれた。
ヴァラットは、悪魔の定義そのものだ。
何にも縛られていないにも関わらず、我ら生命を縛る”神”という忌まわしき存在を抹消する為にヴァラットは存在している。
かつて、神は”死”を消した。
それは文字通りの意味だ。寿命という終焉を迎えるまでに起きうる全ての”死”を、神は消した。
誰かを殺しても、そいつは死なない。
明日になれば、そいつは何もなかったかのように生きている。
実につまらないな。
ヴァラットは、欲という概念から生まれた。
神は生命を創りだしたかもしれないが、神はヴァラットを創っていない。
生命が存在し、その生命が欲という概念を生み出したからこそ、後発的にヴァラットが生まれた。まだ名もない、悪魔も存在しない世界にヴァラットは顕現したのだ。
それはエラーのようなものだ。バグが生じた。神のちょっとしたミス。予想していなかった結果が存在している。
「うわ、なんだこの山羊。キモイな」
凡夫がそう言う。その凡夫は農場を営んでいて、家畜として山羊や牛などを飼育していた。
その凡夫から放たれた言葉は一匹の山羊に向けられたものだ。
「やけに毛が黒いし‥‥眼も‥‥なんか、どこ見てるか分かんねぇな」
凡夫は生まれたばかりの山羊にそんなことを言う。無駄だ。山羊には人間の言葉が通じない。そんな当たり前のことを知っているにも関わらず、凡夫の無自覚な罵倒は終わらない。
「‥‥はぁ、まぁいいか。どうせ見た目がキモくても、最後には肉になるんだ。ところで、こいつはオスかメスか‥‥‥」
凡夫は性別を確かめる為に屈んで、山羊の体を観察する。
「まぁ、オスだった処分だな。肉にして食えばいい。メスなら‥‥暫く乳を搾って、それを売って‥‥」
事務的に確認をして、凡夫は山羊の性器を見る。
「‥‥あ!? 何だこいつ。ねぇじゃねぇか。どこにもねぇ。これじゃあオスかメスか分かんねぇじゃねぇか」
性器が無い。
それは生命として欠陥を抱えているということだ。劣悪な環境で生まれた生命は、奇形になることもある。
「‥‥はぁ。まぁいいか。これだったらオスと同じ扱いでいいか。ただ、これだと何も排泄できねぇな。今日の夜には処分するか」
夜が来る。それと同時に死もやって来る。
山羊は死すら理解できていない。そもそも自分自身を認識できてすらいなかった。
凡夫の行動も実に合理的なものだ。不要な存在は殺せばいい。それを問題視している方が愚かだ。
合理的な判断の基で、世界は成り立っている。何故なら、神がそうした。
山羊の足を縛って、凡夫のナイフを手に持つ。
そして、殺す。
首を切り落として、腹を開く。解体して、肉にする。
「‥‥ん?」
違和感に気付いた。
「何で血が出ねぇんだ?」
首を切り落とそうが、腹を開こうが、血は流れない。
「内臓がねぇ‥‥‥本当になんだこいつ」
その時、凡夫は山羊の腹の中にあった何かに気付く。
「‥‥羽根?」
その一切汚れていない羽根を手に持って、よく観察する。
「黒い‥‥カラスか? 落ちてたのを食ったのか? まぁいいか。いや、よくねぇな。内臓が無いし。それどころか肉も無い。これじゃあ皮しか残ってねぇじゃねぇか。はぁ‥‥とんだ災難だ」
そうだ、災難だ。
凡夫は視点を黒い羽根から、山羊に移した。
「‥‥は?」
先ほど殺したはずの山羊が、腹を開かれて、首を失ったまま立っている。
その瞬間、そいつが山羊ではないことに気付いた。
切り落された首が鳴く。
「めぇ~」
その瞬間、山羊かもしれないそいつの体は一瞬にして羽根となり、辺りに舞う。
「‥‥は?」
凡夫が訳も分からず立ち尽くしている合間に、その舞った羽根は次第に形を作り出す。
二本の翼脚が、丸く、そして黒い頭部のようなものについている。
それしかない。他のどの生命にも属さないそいつは、生命としてはおかしすぎる姿をしている。
その頭部には、眼も鼻もなく、あるのは口だけだ。
大きく口を開く。
中から何重にも重なった鋭い歯が顔を出している。
「ど、どういうことだよ‥‥‥」
グシャ!!
頭が食われた。
頭を失った凡夫はそのまま倒れる。もう死んでいた。
その後、そいつは死んだ凡夫の上に立ち、そのまま残りも食べ尽くす。
脳を食べた。知能が頭に入って来るのを感じる。
心臓を食べた。生命を感じる。
手を食べた。自由が利く手が生えてくる。
足を食べた。どこへだって駆け回れる足を手に入れる。
眼を食べた。暗闇だけの世界に、光が差し込んでくる。
人間を食べた。人間らしい姿を手に入れた。
「‥‥カカッ! 実に‥‥愉快だ」




