8 大河を下る
居酒屋のテーブルに置かれたジョッキを前にして、ホムラが「ミスティ、それでは一声」と声をかけた。
ミスティはすぐに自分の前のジョッキを手に取ると、「じゃあ、乾杯!」と言った。
その言葉とともにジョッキを傾け始める従者たち。もちろん飲む前にティアが解毒している。
「うまいっ!」とジョッキを口から離すや否や声を上げるトアラ。
「これならいくらでも飲めるね」と大酒飲みの印象がないヴェラも言った。
「生姜の風味と心地良い炭酸の泡がうまさの秘訣だわ」とティアも感心していた。「材料があれば今度作ってみよう」
ミスティたちが酒を味わっている間に、大皿に盛られた料理が次々と運ばれて来た。大きな川魚の油煮や棒状の魚の切り身のシチュー、細長い二枚貝の酒蒸しなどで、ミスティたちは大河の恵みを嫌というほど味わった。
その日の夜は宿でゆっくりと休み、翌朝、宿を出ようとしていたところへ町長の秘書が会いに来た。
「昨日のことは町長からお聞きしました。突然賊が10人も乱入して来たとか。屋敷は通常通りに警備していたので、人ならざるものが襲撃して来たとのお言葉に納得いたしました」
「町長さんのお加減はいかがですか?」と聞くミスティ。
「特に問題なく、今朝は元気に朝食を摂られました。しかし辺境伯様に直接お会いすることには不安がられていて、代わりに私に挨拶するよう申しつけられました」
「町長さんのお体に支障がなくて幸いでした。これ以上のご迷惑をおかけしないよう、私たちは今日この町を去ります」
「辺境伯様御一行の旅の安寧を祈念いたします」秘書は頭を上げて宿を出て行った。
宿を出たミスティたちは装甲馬車で港に向かった。既に契約済の大きな艀を見つけると、契約をしたココナとリュウレが船主のところに行った。そして船頭たちの案内に従って、装甲馬車2台を桟橋から艀の上へ移動させる。
「出航!」船頭の声に従って10人の漕ぎ手が長い棹を桟橋に当てた。ゆっくりと艀が大河の中程に進み出る。
漕ぎ手たちは棹を川底に当て、艀は下流の方に進み始めた。
風はほとんどなく、水面は鏡のように平らで、艀はまったく揺れなかった。ミスティたちは艀の上に座り、少しずつ移り変わる川岸の景色を見ながらのんびりした時を過ごした。
ミスティは10人の従者との出会いを思い出していた。
5年前のミスティは夢のお告げ『この世界を救え』の意味を小さい頃からずっと考えていた。あれはただの夢とは思えなかった。しかし、ミスティには異能がなかった。
ただの辺境伯家の令嬢として教育を受けるだけの日々が続く。
剣術の練習もしていたが、並以上の技量が備わることはなかった。武勇で名高い辺境伯領の後継者として形ばかりの修練を積んだだけだった。
自分の存在意義に悩んで日々を悶々と過ごしていたミスティは、ある日、いつものように屋敷を抜け出して街中を散策した。その時、路地裏でせっかんを受けている少女に気づいた。
「ほんとにこの子は気味が悪いわね!」そう少女に暴言を吐いていたのは、その少女の母親のようだった。
「こいつの目を見ると、いっちゃあならない本音がつい口をついて出ちまう。それで何度ひどい目にあったか!」そうまくしたてる男は父親のようだった。
「奉公に出そうと思っても、娼館に売ろうと思っても、お前を会わせた奴らはみんな気味悪がって引き取ろうとしない!まったく使い物にならない子だね!」
「お前は今日から路地裏で暮らせ!間違っても家に戻ってくるんじゃないぞ!」そう言って両親らしき男女は少女をおいて去って行った。
茫然と立ち尽くす少女。薄汚れ、ところどころ破れたワンピースをまとっているだけで、髪もぼさぼさ、肌も垢がこびり付いて黒くなっていた。
「ねえ、あなた」とミスティは少女に話しかけた。
振り向く少女。「汚いなりだけど、いい目をしてるわね」とミスティは言ってしまった。
「あら、ごめんなさい。汚いなんて言って。でも、汚いのはあなたのせいじゃないわよね」
「・・・私を馬鹿にしない、気味悪がらない・・・」と少女はつぶやいた。
「あの人たちはあなたの前で本音を話してしまう、つまり嘘をつけないって言ってたけど、どうしてなの?」
「よくわからないけど、私と目が合うと、嘘やおべんちゃらを言えなくなるらしいの」と少女は答えた。
「すごいじゃない!それってあなたの異能じゃないの?」
「タラント?」
「神様が与えてくれたすごい力ってこと」ミスティが目を輝かせて言ったが、少女は顔を伏せた。
「この力があっても何もいいことはなかった。みんなに嫌がられるだけ・・・」
「その異能はね、世界を救うための力なの。私と一緒にね!」
「せ、世界を救う?」少女にはその言葉の意味がわからなかった。
「とにかく、家を追い出されたんなら私の家に来なさい。そして私の仲間になってね!」
そう言うとミスティは少女の手を引いて歩き出した。
「あんたは私のことを悪く言わないのね」とミスティの様子に疑問を持つ少女。
「悪く?なんで?・・・体や服が汚いのは洗えばいいだけの話。あなたはすごい異能を持つ素敵な子なんだから、それ以外のことはどうでもいいことよ」
ミスティの言葉に少女の胸が暖かくなった。
ミスティの自宅である辺境伯邸に戻ると、少女はその屋敷の立派さに目を見張った。ミスティはかまわず少女を屋敷の中に連れ込んだ。
驚いたのは屋敷内の執事や侍女たちだった。
「お、お嬢様、そんな汚らしい浮浪児を屋敷に入れてはなりません!」
「ああっ、床が汚れる!」
「いいの!この子は私と一緒にここに住むんだから!」とミスティは言い返した。
「まったくもう!このお転婆お嬢様はまた突拍子もないことを言い出すんだから!」とある侍女が叫び、ミスティがにらみ返すと震えながら弁解した。
「し、失礼しました。つい心にもないことを言ってしまって・・・」
「あなたが私をどう思っているかよくわかったわ!」とミスティは言い残して、屋敷の奥へ少女と一緒に入って行った。
しかしミスティは笑っていた。「あなたといると、ほんとにみんな本音を話し出すのね!ゆかいだわ!それにその異能は絶対役に立つわ!」
ミスティはそのまま父親の執務室のドアを開けて入った。仕事をしていた辺境伯は、ミスティが少女を連れて突然入室して来たのに驚いた。
「ミスティリア!?何なのだ、その娘は?」と問いかける辺境伯。
屋敷の使用人と違って少女を汚いと言わなかったのは、元々身なりなど気にしない性格だったからだろう。
「この子を私専属の侍女にして、お父様。今日から一緒に暮らすの」
「おいおい、その娘はまだ子どもじゃないか。親の許可なくうちで雇うわけにはいかんぞ」
「いいのよ、この子は親に捨てられたんだから。だから私が身元引き受け人になるの」
「いきなりだな。そんなにその子が気に入ったのか?」
「そうよ、運命の出会いだわ!」
ミスティの言葉に辺境伯は優しい笑顔を見せた。
「良家の令嬢とはろくにつき合おうとしなかったお前がそこまで言うのなら、何とか考えてやろう」
「ほんと、お父様?」
「ああ。親のことも調べておく。ただ体が汚れているから、とりあえず体を洗わせて、メイド服でも与えるよう手配しよう。・・・その子の名前は?」
「あ、私も知らなかった。ねえ、名前はなんて言うの?」とミスティは少女に聞いた。
「こ、ココナ」
「ココナ、よろしくね」ミスティとココナは、辺境伯に呼ばれた執事長について執務室を出た。
侍女に有無を言わせずココナの体を洗わせ、小さいサイズのメイド服を着させると、ミスティはココナと一緒にお菓子を食べた。今まで味わったことがない甘味に歓喜し、お菓子を貪り食うココナをミスティは優しく見つめた。
その日からココナがミスティの専属侍女となった。ただし身の回りの世話をさせるのではなく、いつも一緒に勉強し、一緒に遊ぶ友人のような関係になった。
「あなたの異能はいつも使っているとやっぱり面倒を引き起こしかねないわね。だから、使うべき時だけ使うよう、コントロールした方がいいわ」
「コントロール?・・・どうすればいいの?」とミスティに聞くココナ。
「そうね。例えば特定の言葉をつぶやいた時だけ力を使うよう訓練してみて」
ミスティの言葉に素直に従い、ココナは吐露と口に出したときだけ相手に本音を吐かせるよう、自分の異能をコントロールする練習を始めた。徐々に、見つめただけでは相手に何の影響も及ぼさないですむようになった。
ココナと出会った半年後に見つけたのがホムラだった。ホムラは辺境伯領の騎士の娘で、小さい頃から剣術の練習に励み、女騎士として大成することを夢見ていた。
ある日、いつものように剣の素振りをしていると、突然剣先から炎が吹き出たという。その炎は近くの木に燃え移り、ちょっとした小火騒ぎになった。
最初は火事の原因が判然としなかったが、ホムラが振る剣から炎が吹き出る現象が何度か目撃され、ホムラの父親は困ったらしい。他の騎士との合同練習で、騎士たちが火傷を負う危険が考えられたからだ。
辺境伯領の騎士たちは基本的に魔法を使わない。いや、使えない。そのためホムラの炎の剣を制御する方法がわかる者はひとりもいなかった。また、数少ない魔法術師も、魔法を行使しようとの意図なく生じる現象に手をこまねいた。
そのためホムラは問題児扱いされ、他の騎士たちや騎士見習いたちと一緒に訓練することができなくなった。
ミスティはその噂を聞きつけ、ココナと一緒にひとりで剣を振っているホムラを見に行った。
確かにホムラが何度か剣を振るたびに炎が舞っていた。ホムラに近づくミスティ。
「あんた、近づくと危ないよ!けがをするよ!」と、ミスティたちの接近に気がついたホムラが叫んだ。
「あなたがホムラね。噂通りの異能だわ」ホムラに話しかけるミスティ。
「タラント?」
「そう、あなたは世界を救うために炎の剣という異能を持って生まれた特別な人よ」
「世界を救う?こんな、周りにいる仲間たちに炎を振りまくような変な剣で?・・・そんなバカなことを言うあんたは誰なのよ!?」
「この人は辺境伯令嬢のミスティリア様よ。言葉を慎みなさい」とココナが口を出した。
「お嬢さんが何しに来たのよ?やけどするから危ないわよ!」
「あなたは騎士になりたいんでしょ?」とミスティが聞くと、ホムラは目を吊り上げた。
「そんなのあんたに関係ないじゃない!」言い返すホムラ。
その時ココナが吐露とつぶやいた。
「私は女騎士になってお嬢さんたちを守りたいのに、今じゃ騎士団からつまはじきにされているのよ!どうしたらいいの!?」ホムラは思わず弱音を吐いて、自分の言葉にはっとした。
「私のところに来なさいよ。私の専属騎士になりなさい」とミスティ。その言葉に戸惑うホムラ。
「その力の使い方を訓練しましょう。そして私と一緒に戦って、世界を救いましょう?」
「何を言ってるのかよくわからないけど、この力を抑えることができるの?」とホムラは聞き返した。
「抑えるんじゃなくて、自在に使えるようにするのよ。時には剣で敵を切り、時には炎で敵を焼き尽くす、・・・そんな希有な女騎士になれるわよ」
「ど、どうやったら自在に使えるようになるの?」
「特定の言葉をつぶやいて炎が出せるように訓練するのよ」
ミスティの言葉に感銘を受けたホムラは、ミスティに従って辺境伯邸に来た。ミスティたちは屋敷内に入ると、そのまま辺境伯の執務室にどかどかと入って行った。
「ミスティリア、また新しい娘を連れて来たのか?その娘も侍女にしたいのか?」と聞く辺境伯。
「この子を私専属の女騎士にするわ、お父様。そして私専属の騎士団を作りたいの」
「この子ひとりで騎士団だと?」
「残りの騎士はおいおい集めるわ。特別な力を持った女騎士たちをね」とミスティは意気揚々と言った。
辺境伯は頭を抱えたが、いずれ王都に行くことになる娘に護衛や侍女をつけなくてはならない。娘が同じ年頃で気心の知れた従者を見つけて来たのなら、むしろ好都合だと言えよう。
「わかった、ミスティリア、好きにするがいい。それで何人の騎士と侍女を集める気なんだ?」
「全部で10人よ!きっと集まるわ。だって、それが運命なんだもの」
「わかった、わかった」と辺境伯は娘のわがままを聞くような軽い気持ちでミスティの願いを了承した。