7 大河の町ダンガスの町長邸
日が暮れ始めた頃に、宿の前に屋根のない小型の馬車が3台停まった。御者を除くと4人乗りで、1台には昼間に来た町長の秘書が座っていた。
秘書が馬車から降りて宿の中に入るのを窓から見下ろしていたホムラ。
「あの秘書が来ました。ひとりです」
「わかったわ。こちらも準備ができているから、部屋に入れてから出かけましょう」
まもなくドアがノックされ、「お迎えの方が参りました」と宿のメイドが言った。
「どうぞ」とミスティが答えると、ドアが開いて秘書が入って来た。
「辺境伯様、それにお付きの皆様、お迎えに参りました。3台の馬車に分かれてご乗車ください」
秘書の後に続いて部屋を出て、宿の前に停まっている馬車に乗り込む。1台目は秘書とミスティとティアとエイラ。2台目はピデア、ホムラ、リュウレ、フワナ、3台目にはトアラ、ミナラ、ココナとヴェラが乗り込んだ。
全員が乗ると3台の馬車はゆっくりと進み始めた。時間はほとんどかからず、まもなく町の中央にある大きな屋敷の前で停まる。
屋敷の前には執事らしき人物と使用人が並び、ミスティたちが馬車を降りるのを手伝った。
「辺境伯様、こちらです、どうぞ」と執事が誘導する。
「この二人の侍女を同伴してよろしいかしら?」と聞いてティアとエイラを指さすミスティ。
「かまいません。そのほかの方々は秘書がご案内します」
玄関から中に入ったところにある広めのエントランスを右手に曲がり、晩餐会場に誘導されるミスティたち。一方、ホムラたちは隣の控えの間に案内されていた。
晩餐会場は食堂で、長いテーブルの向こうにひとりの中年男性が座っていた。壁際には数人の侍従と侍女が並んでいる。
テーブルについていた中年男性はミスティを見るとすぐに立ち上がってミスティに近づいて来た。
「ようこそ、グェンデュリン辺境伯殿。貴女をお迎えできて光栄です。私がダンガスの町長、準男爵のジョアク・センブリンです」
「センブリン男爵様、今宵はお招きいただきありがとうございました」
ミスティがあいさつを返し、侍従に促されてテーブルの端の席に座った。ミスティの後ろにティアとエイラが並んで立つ。町長は先ほどの席に座り、ミスティと向かい合わせになった。
「ご立派なお宅ですね」とミスティがほめると、
「ダンガスの町の町長は世襲制で、昔から準貴族とみなされ、税金の一部を収入にしております。領地を持つ貴族ほど裕福ではありませんけどね」と町長が返答した。
「粗餐ではありますが、おもてなしの料理をご用意しましたので、お口をお汚しください」
「お心遣い、痛み入ります」とミスティが答えると、ワインの瓶を持った侍従が近づいて、ミスティの前のグラスにワインを注いだ。
ついで屋敷の侍女が皿に盛った前菜を運んできたが、これはティアが受け取ってミスティの前に置いた。
ティアは皿を置く時に「清浄」と囁いた。これでワインや前菜に毒物が入っていたとしても無毒化されるはずだ。
「ティア、みんなの様子を見て来て」とミスティはティアに言った。ティアはうなずき、町長に向かって会釈すると、静かに部屋を出て行った。
「では、お父上に乾杯」と町長がグラスを取ってミスティに言った。ミスティの父が最近亡くなったことを知っての気を遣った言葉だろう。
「ありがとうございます、町長様。それでは乾杯」とミスティは言ってグラスを傾けた。その様子を見て、自らもグラスを傾ける町長。
「して、辺境伯殿はなぜこちらに参られたのかな?」
「はい。新たに辺境伯の爵位を継ぎましたので、近隣の国々にごあいさつをと思いまして。この国の国王陛下にも先日お目通りいただきました」
「国家間の友好が一番大事ですからな」
「まさしくその通りです。次にアギンドラ王国を訪問しようと思い、船に乗るためにこのダンガスに参りましたの。この町はとても素敵で、川は雄大で、港も発展しておりますのね」
「ええ。この町はパストール王国では王都に次ぐ第二の都市です。昔から大河の水運を利用した交易が盛んでしてな」
「そんな素敵な町を治めておられるので町長様も高潔な貴人なのですね」とミスティがほめると、
「これはこれは、辺境伯殿は口がお上手ですな」と町長は謙遜したが、まんざらでもなさそうな顔だった。
その時ドアが開いてココナが戻って来た。出て行ったティアとは別人であることに町長は気づかないようだった。
「あちらの部屋にも料理が運ばれまして、ティアのおかげで気兼ねなく食べています。まもなくフワナが来て、エイラと交代します」とココナは私とエイラにだけ聞こえるように言った。
「それにしても町長様は私たちがこの町に来たことにすぐに気づかれましたのね?どうしてそんなに早く知ることができたのですか?」とミスティは町長に尋ねた。
その瞬間、ココナが「吐露」と囁いた。悪だくみをしているのなら、自ら暴露するはずだ。
「秘書が切れ者でな、王都の次はこの町に来るだろうと予想して、町の出入り口に見張りを置いておいたのだ。辺境伯殿をきっちりとお迎えするために」特に不審なことを言わない町長。
「お心遣い、ありがとうございます」とミスティは感謝の言葉を述べた。
「辺境伯殿、その前菜もお食べください。大河で取れた大魚の肉のゼリー寄せです」
「それではいただきます」とミスティは言って、料理を一切れ口に入れた。なかなかいい味だ。
「おいしいですね。変な癖などなく、とろけるような味わいです」
「お口に合って良かった」と町長が言った時に、ドアが開いて侍従が10人ほど静かに部屋の中に入って来た。
「?」突然のことに理解が及ばない様子の町長。「お前たちは何用で・・・?」
町長が口を開くのと同時に10人の侍従の体を黒いもやが覆った。もやが晴れると全員黒い甲冑をまとった姿に変わっており、手の中に現れた大剣を振り上げてミスティ目がけて切りかかって来た。
「防御!」エイラが叫んで防御壁を張った。その衝撃でテーブルがひっくり返り、町長がその向こうに倒れ込むのが見えた。
もちろん黒い鎧を身にまとった装甲兵たちの攻撃も跳ね返す。同時に食堂のドアが開いて、ホムラたちが飛び込んで来た。
「炎獄剣!」ホムラが抜いた剣の刃から炎が噴き出し、装甲兵のひとりを貫いた。
「寒獄氷鏃!」トアラの両手の先から氷柱が飛び出し、二人の装甲兵を貫く。
「加速!」ピデアが叫んで姿を消し、次の瞬間3人の装甲兵の体がへし曲げられた。
「風獄螺旋流!」フワナが叫び、残りの4人の装甲兵の体が風にあおられて持ち上げられ、天井の高さから勢いよく床に叩きつけられた。
「出遅れた・・・」と嘆くミナラ。倒れた装甲兵たちは黒いもやとなって消えていく。
「誰か、町長さんを!」ミスティの言葉を聞いてティアが倒れている町長を抱き起した。
「気を失っているだけで、けがはしておりません」
「そう、良かった。町長さんは襲撃には加担してなかったようよ」
「じゃあ、誰が?」とホムラが聞いた時、ドアが開いて町長の秘書が入って来た。
「こ、これは・・・?どうされたのですか!?」
「賊が入って参りまして、撃退したのですが町長様が転倒されたのです」とミスティは説明した。
「賊が・・・?どこに・・・?」と秘書は眉をひそめたが、すぐに侍女と侍従を呼んで町長を食堂から運び出した。
「して、賊はどこに?」と改めてミスティに聞く秘書。
「私の従者たちが倒したら、黒いもやとなって消えてしまいました」
「消えた?・・・逃げたということですか?」
「いいえ。その賊たちは黒いもやが集まって現れた武装兵たちで、戦闘不能に陥ると元の黒いもやに戻って霧散してしまうのです」
「人が消えてしまうなど理解できません。辺境伯様のお言葉を疑うわけではありませんが」
「私たちはそのような人あらざるものから付け狙われております。こちらのお屋敷にまで襲って来るとは予想できず、誠にご迷惑をおかけいたしました。町長様のご容態が気がかりですが、これ以上ご迷惑をおかけしないために、これにて失礼させていただきます。この町からも早々に退散します」とミスティは秘書に言って頭を下げた。
「さようですか。・・・町長には私の方から伝えておきます。辺境伯様の旅のご無事をお祈りします」と秘書も頭を下げた。
私たちはすぐに町長の屋敷を出た。馬車の手配が間に合わなかったので、宿までぞろぞろと歩いて帰った。
「みんなは食事ができたの?」とホムラたちに聞くエイラ。
「敵がすぐに現れたが、出された大きな川魚のムニエルの片身を食べる余裕はあったな」とホムラが答えた。
「いつ出番が来るかわからないので、私たち女騎士は食べられる時に急いで食べるのよ」とトアラも言った。
「私は何も食べられなかった」と肩を落とすエイラ。ミスティの後にずっと付いていたからだ。
「私も食べずにティアと交代したのよ。どこかで食べましょうか、ミスティ?」と聞くココナ。
「そうね。敵も無尽蔵に兵隊を送り込んでは来ないでしょう。どこか、開いている食堂か酒場があるかしら?」
「すぐに探してきます。・・・加速!」と言ってペディアの姿が消えた。
「店探しに異能を使わなくてもいいのに」とあきれるヴェラ。
「いや、こういう時に使ってこその異能だよ」とミナラが言って、みんなが一斉にうなずいた。
ペディアはすぐに姿を現した。「あっちの通りに大きな居酒屋があります。酔客が多く、騒々しいですが、うまそうな料理が並んでいました」と報告するペディア。
「ミスティ、そんな店でよろしいですか?」と尋ねるホムラ。
「いいわよ。酔っぱらいにからまれても、みんななら躱せるでしょ?」とミスティは平然と答えた。
「よし、じゃあ、その店に行こう!」とのホムラの号令で、ぞろぞろと通りを歩いて行った。
店の中は広く、何台もテーブルが置かれ、それぞれのテーブルにけっこうな人数の客が座って飲んでいた。そのほとんどが港で働く労働者で、筋骨隆々だ。がやがやと騒いでいたが、ミスティたちが店に入って来ると、騒音が途切れて静寂になった。ミスティたちに目が釘付けになったためである。
その隙に比較的空いているテーブルにホムラが近づくと、座っていた客に、「悪いがちょっと詰めてもらえるかな?」と有無を言わせぬ口調で頼んだ。
「お、おう・・・」その迫力に押されてテーブルの隅に移動する客。テーブルが空くとホムラはミスティと非戦闘員の侍女を奥に座らせ、その周りを囲むように女騎士たちが座った。
「わ、若いねーちゃんたちだ!」酔客のひとりが叫ぶとともに、再び居酒屋内は騒然となった。ほとんどの声がミスティたちを囃し立てる声だった。
「こっちに来いよ、ねーちゃん!」「一緒に飲もうぜ!」「俺と熱〜いお話をしようぜ!」「今晩どうだい」・・・と、だんだん下品な言葉になって来た。
「今ここに影人が現れたら、気兼ねなく戦えるのに」とぼやくミナラ。
「一緒にまとめて吹き飛ばせるわね」と言ってフワナも微笑んだ。
それでも酔客のホムラが言い返そうと立ち上がりかけた時に、
「うるさいよ、あんたたち!」とひときわ大きい声を張り上げて恰幅のいい中年女性が近づいて来た。たちまち押し黙る酔客たち。
「いらっしゃい、何を注文されるんだい?」とその女性がホムラに聞いた。どうやらこの店のおかみのようだった。
「酒を人数分と、この店のうまい料理を適当に、20人前ほど持って来てもらえますか?」と丁寧な口調で注文するホムラ。
「あいよっ!酒はガシューラでいいかい?」
「ガシューラってどんなお酒ですか?」とティアが聞き返した。辺境伯領やダンデリアス王国では聞いたことがない銘柄だったからだ。
「蒸留酒を炭酸水で割って、生姜の絞り汁を混ぜた酒だよ。うまくていくらでも飲める酒だから、試しに飲んでみるかい?」
「じゃあ、それをジョッキで11杯」とホムラが注文した。
おかみさんが厨房に指示を送ると、すぐに木製のジョッキを抱えたウエイトレスたちが厨房から出て来た。そしてミスティたちの前にジョッキが次々と無造作に置かれていった。