5 パストール王国の王宮へ
「一体何だったんですか?」とゲンスランがジェランを助け起こしながら聞いた。
「こ、婚約者の僕を馬車で轢こうとするなんて・・・ミスティ、何でそんなことを!?」と嘆くジェラン。
「いえ、殿下が貴族連中の前で声高に婚約破棄を宣言し、毒殺犯扱いしたからじゃないですか?恨まれて当然ですよ」
「あれはただの冗談なのに」とジェランは言ったが、ゲンスランは相手にしなかった。
「それでこれからどうしますか?国に戻りますか?」
「戻っても王宮に入れてもらえないぞ、僕もお前も」
「え?私もですか?ただの従者なのに?」と驚くゲンスラン。
「当たり前だ。もう一蓮托生だ。ミスティをつれて帰らない限り、お前も王都に帰れないぞ」
「ど、どうすればいいんですか?」
「もちろんミスティの後を追うんだ。すぐに馬車の用意をしろ」
「その前に食糧や水をこの村で買っておかないと・・・」
「すぐに買って来てくれ!」とジェランはゲンスランに言い放った。
主従の関係にあるので逆らえず、先ほどの騒ぎで何事かと顔を出して来た村人たちにゲンスランは食糧購入の交渉を始めた。
ジェランは馬車の御者台に座って準備が終わるのを待っていた。すると道の先からバスティスが歩いて来るのに気がついた。
「これから南に向かうんですか?」とジェランに聞くバスティス。
「そうだ。ミス・・・辺境伯の馬車を追うんだ」
「なら、また道案内しましょうか?」とジェランに提案するバスティス。
「道案内が必要か?」
「もちろん。この森を抜けるといくつかの方向に道が枝分かれします。馬車の痕跡を辿って追いかけるには俺が必要ですよ」
「報酬をいくら欲しいんだ?」
「いえ、食事を提供していただくだけでけっこうです」
「気前がいいな。・・・何の魂胆があるんだ?」とさすがにジェランも不審を抱き始めた。
「いえ、この村にいた知り合いを尋ねたら南の町に引っ越していたそうで、俺もそっちに行きたいだけなんです」
「そうか。なら道案内を頼む」とジェランはバスティスに頼んだ。
ゲンスランが食糧の入った袋と水樽を抱えて戻って来ると、バスティスがいるのに気がついた。
「あれ?バスティス、どうしたんだ?」
「南方への道案内を引き続き頼まれまして、よろしく」とバスティスはにこやかに答えた。
「殿下が頼まれたのならかまわないが。・・・この道の先はどうなっている?」
「馬車で半日も進むと平地に出ます。広い耕作地です。すぐに分かれ道に来ますが、先ほどの2台の馬車を追っているのならその行く先を調べます」
「そうか。よろしく頼む」とゲンスランもバスティスが同行することに同意した。
その頃、ミスティたちの馬車は森を抜けて広大な平地に出た。小麦畑が広がる農作地だ。遠くに農家の建物が散見する。
しばらくゆっくりと馬車を進めていると四つ辻に出くわしたので、その前で馬車を停めた。
「どちらに行きますか?」と御者台から尋ねるフワナ。
ミスティは地図を開いた。地図はかなり大雑把なもので、街道が正確に記載されているわけではない。
「海岸は西にあるけど、けっこう距離があるわ。まっすぐ南に進んだらやがて大河の岸に着くはずだから、馬車を運べる大型船に乗って川を下る方が早いでしょうね」とミスティは答えた。
「もう追っては来ないようね。しばらく南に進んで集落があったら、そこで休憩しましょう」
「御者を交代させます」とホムラが言って、ミスティが乗る先頭馬車はフワナからピデアに代わり、後続馬車はトアラからミナラに交代した。
その時、ミスティは西に通じる街道から二頭の馬に乗った騎士が二人、こちらに駆け寄って来るのが見えた。
「敵ですか?」とミスティに聞くホムラ。
「・・・そうではなさそうね。あからさまに警戒しないでね」
馬に乗って来た騎士は、ミスティの装甲場所の手前で止まった。
「グェンデュリン辺境伯のミスティリア様でしょうか?」騎士のひとりが尋ねてきた。
「そうよ。あなた方はどなたかしら?」
「お初にお目にかかります、辺境伯。我々はパストール王国の王宮に仕える近衛騎士団の一員です。我が国の国王が辺境伯をおもてなししたく、王都へお寄りになられるようお願いに参った次第です」
「王都はここから東の方角ね?」
「はい、馬で1日ほどで行ける距離です」
「我々が目指す方向とは反対ですね。無視して進みますか?」とホムラが小声で聞いた。
「この国に入ることを公式文書で事前に国王陛下に申し入れておいたから、無視することはできないわ。少し遠回りになるけど、王都に立ち寄りましょう」とミスティは答えた。
「それでは国王陛下に拝謁に参ります。案内を頼めるでしょうか?」
「もちろんです。我々の後から着いて来てください」と騎士はにこやかに言った。
<数刻後>
「平地に出たと思ったら四つ辻か。バスティス、どちらに行けば良いのか?」と御者台のゲンスランが隣に座っているバスティスに尋ねた。
「少しお待ちを」と言って馬車を降りるバスティス。
しばらく念入りに路上に残った轍を調べていたが、顔を上げると東の方向を指差した。
「こちらですね。パストール王国の王都に向かわれたのでは」
「何でミスティが王都に行ったんだ?」と馬車の中から尋ねるジェラン。
「それは国王に表敬訪問に行かれたのでは?」と答えるゲンスラン。
「パストール王国は我らがダンデリアス王国の仮想敵国だぞ。今は平穏な関係だが、いつ攻めて来るかわからないのに、ミスティは何でそんなところへ行ったんだ?」
「ですから、友好関係を築くための外交の一端かと」
「そんなことは王宮の外交官に任せておけばよいのに」と、自分が王宮からミスティを閉め出したことを忘れて勝手なことを言うジェランだった。
「で、どうしますか?」とジェランに聞くゲンスラン。
「もちろんミスティを追って行くに決まっている!」
「でも、殿下はお忍びで入国されたのですよ。ばれたら問題になるのでは」
「今は戦をしているわけではないからな、問題ないだろう」と気楽に答えてジェランは長椅子の上に横になった。
「と、いうわけで、我々は東の王都に行くことになった。バスティスはどうする?ここで降りるか?」
「私の行き先は南ですが、急ぐ旅ではないので差し支えなければ同行しますよ。この国の地理には精通していますから」
「そうか。それなら同行をお願いする」
「かしこまりました」バスティスがそう答えたので、ゲンスランは馬車を東に向けた。
「このたびはお招きありがとうございます、陛下」とミスティはパストール王国の王宮の謁見の間で国王プリュミネールにあいさつした。プリュミネールはまだ40歳そこそこで、剛健な顔つきをしていた。
「よく参られた、グェンデュリン辺境伯。いや、ミスティリア殿と呼んでかまわないかな?」
「御心のままに」
「それではミスティリア殿。このたびのお父上のことに哀悼の意を捧げよう」
「お心遣い、痛み入ります」
「ところで辺境伯になられて早々に我が国を訪れたのは何用であろうか?ダンデリアス王国の王子との婚約を解消されたと噂に聞いたが、結婚相手をお探しか?」
「我が領に婿入りしてくれる奇特な殿方がおられれば考えないこともありませんが」
「婿入り?・・・確か元々はあの王子の元に嫁がれるつもりだと聞いていたが?」
「これまでは我が領はダンデリアス王国の一地方でしたので、王都と領都を行き来してもよいと考えておりましたが、他国の殿方と婚姻を結ぶのであれば、我が領に来ていただける方を希望しております」
「そうか。・・・なら第1王子との婚姻は難しいか。第2王子のプリネルなら婿入りさせても良いが、いかがか?」
「確かプリネル殿下はまだ5歳だったのでは?成人される頃には私が年を取り過ぎています」
「子をなすことを考えれば、早めに結婚できる相手が良いか。・・・我が王族から適当なものを紹介するので、しばらく王宮に滞在されよ」
「いえ、陛下、私がこの国に参りましたのは、別の目的があるからです。申し訳ありませんが、あまり長居はできかねます」
「はて、その目的とは?」
「はい。父を暗殺した犯人を捕まえるためです」
ミスティの言葉に国王は目をぱっと見開いた。「まさか、我が国に暗殺犯がいると申されるのか!?」
「いいえ、陛下。暗殺犯の手がかりは南西のアギンドラ王国の港町にあると考えております。そのため至急アギンドラ王国に参りたく存じます」
「そ、そうか」と言って落ち着く国王。「アギンドラ王国の連中ならやりかねんな」
「はい。事が片づきましたら、また陛下にごあいさつに参ります」と言ってミスティは頭を下げた。
その時、謁見の間にひとりの侍従が飛び込んで来た。「陛下、ご歓談のところ失礼します!」
「なんだ?」と聞き返す国王。
「ダンデリアス王国のジェラン王子が突然訪問され、陛下にお目通りしたいと申しております」
「何だと?」と言って国王はミスティの顔を見た。
「ミスティリア殿、貴女はジェラン王子との婚約を解消されたのではなかったのか?」
「確かに婚約は解消しました。それも先方からの申し出があってです」
「なら、なぜジェラン王子がここに来たのだ。ここで落ち合う約束でもしたのか?」
「まさか。ジェラン王子はもはや顔を見知っているだけの赤の他人です」
「ならばはっきりさせるとしよう。ジェラン王子を連れて来い」と国王は侍従に指示を出した。
まもなく謁見の間に入って来たジェランは、ミスティに気づくと思わず「ミスティ!」と声をかけたが、すぐに国王の存在に気がついて、あわてて国王に拝礼した。
「ダンデリアス王国王太子ジェランです。急な来訪にもかかわらず、お会いいただき光栄です」
「かまわぬ。して、入国の目的は?」
「私は見識を深めるために諸国を遊学中です。公式な外遊ではありませんが、陛下にはお目通りを願いたく参上いたしました」と流暢に話すジェラン。
この言葉はあのジェランが考えついたものではないだろう。おそらく優秀な従者の入れ知恵だろうとミスティは考えた。
「ようわかった。ジェラン王子、歓迎しよう。今宵は歓迎の宴を設けるので、ご参加いただけるかな?」と国王は言って、ミスティに目配せした。
「喜んで、陛下」と言ってジェランはミスティにウインクした。鳥肌が立つミスティ。
「では、陛下、準備して参りますので、これにて失礼します」ミスティはそう言って国王に頭を下げた。もちろんこの「準備」は旅立ちの準備で、宴に参加するための準備ではない。「足止めしておくから速やかに出立せよ」という国王の言外の意を悟っての返答だった。
ミスティはもう一度一礼して謁見の間を出た。ジェランが追いかけようとしたが、
「ジェラン殿には部屋を用意しよう。宴までそこで休まれるがよい」と声をかけてジェランを足止めした。