4 待ち伏せ
ミスティたちの乗る装甲馬車は、パストール王国との国境を抜けると南に広がる森に向かって坂道を下って行った。
徐々に街道の両脇に草木が増え始め、やがて森の中に馬車が入って行った。
深い森の中にあるにもかかわらず街道はよく整備されていた。南進する途中で夕方になったので、街道のところどころに設けられている野営地に馬車を停め、ここで夜を過ごすことになった。
「それではみなさん、狩りをしてきてください」と料理人のティアが従者たちに言った。
「狩り?まだ領地を出たばかりで、食糧は十分にあるんじゃないの?」と聞き返すココナ。
「焼きしめたパンや干し肉、干し芋などはありますが、現地で取れた新鮮な食材を使うのが一番です。ネズミでもモグラでも虫でもかまいませんから、新鮮なお肉を獲って来てください」
「ネズミやモグラや虫?そんなもの食べられないわよ!」とエイラが言い、ほかの従者たちも文句を言い始めた。
「みんな、大丈夫よ。ティアを信じて」とミスティが言い、しぶしぶと従者たちは野営地の端の森の方に向かって行った。
「ヴェラはこの辺にハーブと根菜を生やして」とティアは庭師のヴェラに頼んだ。
「わかった。・・・豊穣」とヴェラがつぶやくと、野営地の硬い地面からにょきにょきと草が生えて来た。何種類かのハーブとカブの葉っぱだった。
ハーブとカブを手際よく収穫するティアとヴェラ。
一方、森の中ではフワナが「風獄」と唱え、その直後他の従者たちの悲鳴が響いた。
「どうしたの?」戻って来た従者たちに悲鳴の理由を聞くミスティ。
ほとんどの従者たちは蒼い顔をしていたが、風獄の異能を使ったフワナはいっそう蒼い顔をして一本のロープを引っ張っていた。
そのロープには10匹のヘビのしっぽが順に結わえ付けられていた。
「森の下草の中に動く生き物の気配を感じたので、つむじ風を生じさせて草ごと上空に巻き上げたんです」と説明するフワナ。
「そしたら蛇が降って来て、みんなで悲鳴を上げながら剣で首を切っていきました」
「焼いてしまおうと思ったのですが、どんな生き物でも持って帰るようにとお嬢様、いえ、ご領主様に言われたので、蛇に極力触らないよう気をつけてロープで縛っていったんです」とホムラが説明した。
「みんなロープを持ちたがらなくて、しかたなく私が引っ張って来たんです」とフワナが恨むような目で従者たちを見ながら言った。
「フワナ、ありがとう」とミスティがねぎらうと、フワナの頬が染まった。
ティアは地面を引きずられて来た血まみれ、土まみれのヘビを手で取った。
「ありがとう、みんな」と礼を言うティア。
「まさか、それを食べるの?」震えながら聞くトアラ。
「まあ、見てて」とティアは言って、器用にヘビの皮を手で引っ張って剥ぎ取ると、馬車から出して来た大きなまな板の上にヘビの肉を並べていった。
「清浄」ティアがまな板の上に手をかざして唱えると、ヘビの肉から血や土が消えていった。その肉を包丁できれいに斬り開く。
既にかたわらにかまど・・・石で周囲を覆った焚き火が準備されており、火の上にかけた鍋のお湯の中に刻んだカブとヘビ肉の一部に加え、ハーブの葉と塩を入れて煮込み始めた。
さらに残ったヘビ肉に串を刺し、ハーブの葉と塩をまぶしてからかまどの周りに立てかけて炙り始めた。
まもなくいい匂いがかまどの周囲に広がっていく。ヘビなんて食えるかと言っていた従者たちは急に空腹を覚え、馬車から食器を持ち寄ってかまどの周りに集まり始めた。
頃合いを見て鍋の中のスープを木の深皿にそそぎ、ヘビ肉の串焼きとパンを添えて従者ひとりひとりに渡していった。もちろんミスティも同じものを受け取る。
従者たちは最初は食べるのに抵抗があったが、いい匂いに逆らい切れず、ついにひとりが串焼きにかぶりつき、別の従者がスープをすすった。
「おいしい!」「うまい!」同時に喜びの声を上げる二人。その声を聞いてほかの従者たちも料理に食らいついた。
「何、これ?おいしい?」
「生臭くない。それどころか脂肪が乗ってとろけるようにうまい!」
「スープも滋味があって胃の中に染み渡るわ!塩とハーブだけの味付けなのに!」
「ほんとうにおいしいわ。ティア、ありがとう」と礼を言うミスティ。
「何でこんなにおいしいの?王都でもこんなうまい料理を食べたことがないわ!」とピデアが聞いた。
「新鮮な食材を使うとね、塩味だけでもものすごくおいしいのよ」ほめられてまんざらでもないティア。
「ティアの異能はね、どんな食材でも・・・食べられなさそうなひどい状態の食材でも、毒や不純物を除き、新鮮な状態に戻すだけでなく、うまみや軟らかさを与える能力なの。野営にはもってこいの特別な能力なのよ」とミスティが説明した。
「王都の屋敷ではいろいろな料理を出してもらったけど、こんなのは初めてよ。ティア、あなた屋敷では何をしていたの?」とちょっと怒ったようなミナラ。
「お屋敷には料理人が何人も雇われているでしょ。かれらの顔を潰すわけにはいかなかったから、私は手を出さなかったの。でも、食材の管理を手伝って、悪くなっているものは良くしておいたのよ」とティアが答えた。
「それに私は料理の技術はあまり持ってないから、こういう野営料理ならともかく、お屋敷できれいな皿の上に盛られる見栄えのいい料理は作れないの」
「・・・確かに、屋敷の料理人たちは調理法を駆使していろんな料理を作ってくれていたわ」とココナがつぶやいた。
「来客にはあのような繊細な料理を出さなきゃならないわね。でも、私はティアの料理も好きよ」
「ありがとう」と心から喜んでいるティアだった。
「ただ、塩を作ることはできないから、途中の町や村で調達しておかないとね」
「最寄りの村まであとどのくらいですか?」とミスティに聞くリュウレ。
「あと1日か2日で着くはずよ、森の中の小さな村に。そこからさらに南下すると広大な田園地域に出て、その南の端に東西に流れる大河があるわ。その川を下って海岸に出る予定よ」
「大河!」「海!」といずれも見たことがない従者たちは興奮していた。
「それではこれから敵と遭遇した時の配置を決めるわ」とミスティが言うと、従者たちは一斉に口を閉ざしてミスティに注目した。
「影人は魔法術師のような力を持っていると思われるわ。だから敵と遭遇したらエイラが張る防御やフワナの風獄で敵の攻撃を防ぎつつ相手への対処方法を考えてね」
「はい」
「攻撃する時は騎士たちが前に出て、ホムラがリーダーとなって対応してね。非戦闘員は私の周りで防御で見を守るのよ」
「はい!」と全員で答える。
「我々の異能を思う存分使える時が来たんですね」と興奮気味のホムラ。
「そうね。生身の人間相手にはなかなか使えない力だからね」とトアラも言った。
「このために私たちは領主様の元に集まったのね」とミナラが言ったのをミスティは聞き逃さなかった。
「あ、あの、少なくとも旅の間は私のことを領主様と呼ばないで。他人が聞いたら驚くから」
「え?じゃあ、何とお呼びすれば?・・・以前と同じようにお嬢様ですか?」とホムラが聞き返した。
「ミスティと呼び捨てでいいわ」とミスティが言うと、従者たちは顔を曇らせた。
「さすがに呼び捨てするわけには・・・」としぶるココナ。
「いいから、いいから」とミスティ。「旅の途中で変に注目されたくないからよろしくね」
「わ、わかりました。努力します」とホムラが代表して答えた。
その日の夜は馬車内で雑魚寝し(ミスティにも特別な配慮なし)、翌朝起きるとティアに朝食を作ってもらい、おいしくいただいてから馬車で野営地を出立した。
しばらく馬車を進めると、ミスティが言った通りに森の中の開けた場所に出た。畑が広がる中、小さな村落が目に入った。
「ここで停まりますか?」とホムラがミスティに聞いた。
「ここではあまり物が買えそうにないわね。特に塩はこの村でも貴重品でしょう。分けてもらえる保証がないから先に進みましょう」とミスティは答えた。
「幸い食べるものはティアとヴェラがいればどこでも確保できそうだしね」
「わかりました。通過だ」とホムラが御者をしているフワナに指示した。
うなずいて馬車を進めるフワナ。村の中なので少し速度を落とす。
その時、馬車の進行方向の路上に二人の人影が現れた。
「停まれ、停まれー!」
あわてて手綱を引いて馬車を急停車させるフワナ。後続の馬車の御者台にいたトアラもあわてて急停車させた。
「何者だ!?」御者台から叫ぶフワナ。ホムラとミスティも馬車の窓から顔を出して前方を見た。
「ミスティ!僕だ!馬車を降りてくれ!」人影のひとりが叫んだ。ミスティが目を凝らすと、それはジェランだった。
「ジェラン!?こんなところで何をしているの!?」ミスティが大声で聞いた。
「ミスティ、君こそ婚約者である僕を放っておいて、どこへ行くんだ!?」
「あなたとの婚約は解消したから、もう婚約者ではないわ。用があって南に行くから、そこをどいて!」
「ぼ、僕が悪かった。この前のことはなかったことにしよう!」
「はあ!?・・・」ミスティが言い返そうとした時、
「ミスティ!誰か来ます!」とホムラが注意を促した。
ミスティがジェランの後方に目をやると、そこにひとりの男が立っていた。知らない顔だ。
その男の体が急に黒いもやで包まれ、次の瞬間、その体が10体余りに分裂した。
「影人だ!」叫んで手綱をふるうフワナ。
馬車が急に走り出し、ジェランともうひとりの男は馬車をよけて道の脇に倒れ込んだ。走り出す馬車の進行方向から10体余りの黒い人影がこちらに突っ込んで来る。
「迎え撃ちます!」と叫ぶホムラ。
「この村の人家や畑に危害を加えないで!」とミスティが指示すると、
「ならば、フワナ、敵を蹴散らして!」とホムラが御者台にいるフワナに命令した。
「風獄螺旋流!」フワナが叫ぶと馬車の周囲に風が吹き始め、らせん状に回転して2台の馬車を覆った。らせん状の風の渦の先端に黒い人影が触れると吹き飛ばし、道の左右に叩き付けた。通過する2台の馬車。
「そのまま走らせて!」とフワナに指示するホムラ。
「後から追ってきます!・・・あっ!」と後続の馬車の御者台からトアラが叫んだ。
「どうしたの!?」と窓から顔を出して後方を見ながら聞き返すホムラ。
「黒い人影が合体して巨人になりました!すごい速度で走って追いかけてきます!」
「足止めをして!」とホムラが言うと、トアラは後方に片腕を伸ばして「寒獄氷鏃!」と叫んだ。
空中に氷柱のような先の尖った氷の塊がいくつも出現し、後方へ飛んで行く。しかし黒い巨人の体を突き抜けるだけで、何の衝撃も与えていないようだ。
「突き抜けるだけです!」
「何とかして!」
その時、後続の装甲馬車の後壁が倒れてデッキとなり、馬車の中からミナラが乗り出した。
「水獄霧散!」両手を突き出して叫ぶミナラ。すると霧状の水滴が空中に現れ、追撃して来る黒い巨人の体にまとわりついた。
「寒獄凍気!」直後に叫ぶトアラ。水滴で覆われた巨人の全身が凍りついていく。
「寒獄氷鏃!」トアラが間を置かず叫ぶと、再び氷柱が出現して凍りついた巨人に突き刺さった。
粉々になって路上に崩れる巨人。ミスティたちの装甲馬車はそのまま走り去って行った。
しばらくして、凍った巨人の体の破片が解け出すと再び黒いもやとなり、一か所に集まって普通の大きさの人間になった。
その人影は馬車が走り去った方を一瞥すると、反対方向を向いて道をとぼとぼと歩き始めた。