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39 虚空に吸い込まれる

不気味な黒い球体は何かと問い糺すミスティだったが、影使いの覇王(マスターシャドウ)はその問いには答えずに話し続けた。


『この三次元世界への干渉をやり直すか、あるいは撤退するか。・・・どちらでもよい。時間は無限にある。だが、同胞の手先となった下等生物は消しておくか・・・』


その言葉とともに目の前にある黒い球体がゆっくりと大きくなり始めた。


巨大な鎧に接し始める黒い球体。その球体に接した部分の鎧は細かい粒子に分解して、黒い球体に飲み込まれたように見えた。


さらに大きくなる黒い球体。レイモン卿の死体も飲み込んでいく。


「みんな、あの球体から離れて!」ミスティが叫び、従者たちはあわてて部屋の入口に向かって走り出した。


ミスティの横にはピデアとエイラが着き、ミスティをかばうようにして一緒に走り出す。


あっけにとられて反応が一瞬遅れたジェランとゲンスランも、球体に接する前に逃げ出した。


その瞬間、黒い球体から周囲に黒い波動が高速で広がった。その波動はミスティたちの体を通り抜けるが、体には何の異変も感じなかった。しかし部屋の壁までたどり着いた波動はその場所で動かなくなった。


扉を固定する黒い波動。


風獄飛竜ガスティフルドラ!」「水獄飛鳥ストリムファルコ!」「寒獄氷鏃ブレイズアロウラ!」、「炎獄溶弾フレイルショット!」


ホムラたちが黒い波動で覆われた扉に向かって攻撃するが、どの攻撃も効かない。


その時、ミスティたちは体に妙な違和感を覚えた。登り坂を登る時のような、後方へ引っ張られるような力を感じたのだ。


「く、黒い球体に引っ張られている!」


ミスティの叫びとともにホムラが「炎獄溶弾フレイルショット!」と叫んで黒い球体に向かって炎の塊を放った。しかし炎の塊は、黒い球体に当たった瞬間、その内部に吸い込まれて消えてしまった。・・・黒い球体の膨張は止まらない。


ミスティは、同時に周囲の空気がゆっくりと黒い球体に向かって流れて行くのを肌で感じた。


「空気も吸い込まれている!このままだと、私たちが吸い込まれる前に空気がなくなってしまうわ!・・・エイラ、あの球体の周りに防御シェルドを張って!」


「わかりました。防御シェルド!」


エイラが黒い球体の周りに淡く光り輝く球面を作り出す。その瞬間、空気の流れが弱まったように感じた。ミスティたちの体を引っ張る力も遮断されている。


「これでひとまずは安心ね。・・・扉の様子はどう?」とミスティはホムラたちに聞いた。


「扉や壁はまだ黒いもやのようなもので覆われています」と答えるホムラ。


寒獄氷鏃ブレイズアロウラ!」トアラが氷柱を扉に向かって撃ち出すが、扉を覆う黒い波動・・・もやのようなものに当たって跳ね返された。


「この部屋から出ることはできなさそうです」


「どうすればいいかしら・・・」とミスティが考え込んだ時、


「ミスティ!防御シェルドが!」とエイラが叫んだ。


その声ではっとして黒い球体を包んでいる防御シェルドを見ると、その内側いっぱいに黒い球体が膨張していて、防御シェルドに接したところから浸蝕し始めていた。


やがて完全に防御シェルドを飲み込んだ黒い球体。同時にミスティたちは体を引っ張られる力と、空気の動きを再び感じるようになった。


防御シェルドではあの球体の膨張を止められない!」叫ぶミスティ。


「ど、どうしますか、ミスティ!?」聞き返すココナ。


ミスティは打開策を思いつけなかったが、さらに大きさを増している黒い球体に危機感を覚えた。


「みんな、私とエイラのそばに来て!エイラ、みんなが集まったら防御シェルドを張って!」


「はい!」「わかりました!」


黒い球体に引かれる力を感じながら従者たちはミスティとエイラの周りに急いで集まった。その様子を見て、ジェランとゲンスランもあわてて近寄る。


防御シェルド!」淡く輝く光の壁がミスティたちを包み込む。


防御シェルド内部の空気の流れは止まったが、防御シェルド越しに黒い球体がさらに大きくなるのが見てとれた。


「どうしますか、ミスティ?あの黒い球体がさらに膨張して防御シェルドに当たったら、消滅して私たちも黒い球体に飲み込まれてしまいますよ!」


エイラが叫ぶが、ミスティにはもう打つ手はなかった。従者たちの異能タラントも役に立ちそうにない。


「・・・みんな、ごめんね」ぽつりとミスティが言った。


「え?」従者たちが一斉にミスティに注目する。


「・・・影使いの覇王(マスターシャドウ)に対抗するのが私の使命だったとはいえ、あなたたちを巻き添えにする権利は私にはなかった。こんなところまで連れて来てごめんなさい。・・・そしてありがとう」


「ミスティ・・・」涙ぐむ従者たち。


「ミスティ、私を拾ってくれて感謝しかありません」とピデアが言った。


「かっぱらいしかできなかった私にミスティは生きる目的ときれいな住居とおいしい食事を与えてくれました。後悔はありません」


「私もです」「私も」と口々にミスティに言う従者たち。


「それにこの旅はけっこう楽しかったですよ」とホムラが言った。


「みんなと力を合わせて見知らぬ大陸を進み、強敵を退けてきました。ここまで来た甲斐はありましたよ」


「ホムラ・・・。みんな・・・」ミスティは涙を手で拭った。


「そ、それでどうなるんだ、ミスティ?何とかしてくれよ!」とジェランが叫ぶ。


「殿下、ミスティ様にもどうすることもできなさそうです。最後まで見苦しい真似はよしましょう」とゲンスランがジェランを諭した。


「な、な、な、何を言ってるんだ、ゲンスラン!?僕はダンデリアス王国の次期国王だぞ!どんな僕がこんな辺境の地で・・・。ミスティ!メラヴィス!父上!母うえ〜!!」泣き叫ぶジェラン。


「黙らせましょうか?」とトアラがミスティに聞いた。


「いいわよ、トアラ。泣き叫べるのも生きている証し。うるさいかもしれないけれど、もうすぐ聞けなくなるからね」とミスティは優しい目をして言った。


ジェランが騒いでいる間にも黒い球体は膨張し続け、扉まで後退したミスティたちを囲んでいる防御シェルドにとうとう接するばかりとなった。それを凝視するミスティたち。ジェランも泣き叫ぶのをやめ、涙ぐんだ目で黒い球体が防御シェルドに接する時が来るのを待った。


次の瞬間、防御シェルドの周囲がすべて闇に包まれた。後方に見えていた壁や扉も視界から消え、上下も左右も前後も、光をまったく反射しない黒一色で覆われた。


「ミ、ミスティ、ど、どうなったんだ?」あっけにとられているミスティと従者たちにジェランが尋ねた。


「・・・お、おそらく、黒い球体に防御シェルドが接触したとたんに、私たちは防御シェルドごと黒い球体の中に取り込まれたんじゃないかしら?」


「どういうことですか、ミスティ?防御シェルドが消滅したわけではなさそうですが・・・」とミナラが聞いた


「あの黒い球体は物質ではなく、空中に開いた穴のようなもので、私たちは防御シェルドごとその穴の中に落ちて行ったのよ、多分」


「となると、防御シェルドがすぐに消えてしまうわけではないのですね?」と聞くエイラ。


「じゃあ、防御シェルドの外側には何があるのですか?」ココナが尋ねる。


「何もないのかもしれないわ」とミスティが自信なさげに言った。


「何もないってどういうこと?」首をかしげるヴェラ。


「文字通りの意味よ。防御シェルドの周囲には光も空気もない、虚無の世界のようだわ」


「想像できないです」とフワナが言った。


「私たちの世界では、物質の周囲には必ず空気がありました。私たちはその空気を呼吸し、肌に風を感じ・・・」


「そして鳥や私たちは空を飛ぶことができました」とリュウレも言った。


「そうね。でも、川や海に住む魚のことを考えてみて。魚は自分の周囲に必ず水があると思っている。でも、水面より上には水はない。同じように、私たちは空気が溜まっている空の下に住んでいるけど、空の遥か上には空気がない世界が広がっているのかもしれないわ」


「そんなこと想像できません」とティアが言った。


「でも、その通りだとすると、私たちはこれからどこへ行って、どうなるのですか?」


「私たちは何もない空間に漂っているだけで、どこにも向かっていないのかもしれない。防御シェルドが保たれていればずっとこのままでしょうね」


「もし、防御シェルドが消滅したら?」とピデアが言ってエイラを見た。


「私たちは空気のない世界に放り出されて、あっという間に窒息してしまうでしょうね」


「ということなら、エイラが力尽きれば私たちは死んでしまうわけか」とホムラが言った。


「エイラにできるだけ長く頑張ってもらうか、あるいは潔く・・・」


「この侍女が力尽きたら死んでしまうのか?」と口をはさむジェラン。


「疲れて眠ってしまうだけで防御シェルドは消えてしまうでしょうね」とミスティがジェランに言い返した。


「なら、眠らないように、みんなで常にこの侍女の頬をはたくとか・・・」


「そんなのエイラが可愛そうよ。それにそんなことをしても、永遠に目を覚ましていることはできないし、防御シェルドが消えなくても、水も食糧もないここでは誰もが長く生きられないわよ」


「やはり潔く・・・」とホムラが言いかけたが、エイラが遮った。


「私、できるだけ頑張ります!」


「エイラ・・・」


「今まで困難と思えることがあっても、ミスティが打開策を考え、みんなで乗り越えてきました!今現在、助かる方法がないとしても、少し待てば助かる方法を思いつくかもしれませんよ!」


「ありがとう、エイラ」とミスティは礼を述べた。


「どうなるかわからないけど、最後まで希望を捨てないようにしましょう!」とミスティが言うと、従者たちは「はい!」と元気よく答えた。希望が芽生えてきたかのように。


「頼んだぞ〜、ミスティ」とジェランだけは情けない声を出していた。


ミスティたちは楽な姿勢で座り、エイラの体調に注意しながら防御シェルドの外の世界を見回した。


まったく光のない、闇だけの世界。そこには何も存在しない。


「これが影使いの覇王(マスターシャドウ)が言っていた永遠の安寧なのかしら?」


「争いのない世界かもしれませんが、生も死もないこの世の果てにしか思えませんね」とココナが言った。


影使いの覇王(マスターシャドウ)は人間や動物が住むあらゆる世界を破壊して、この何もない闇に戻そうとしたいのかしら?」


「そうだとすると、影使いの覇王(マスターシャドウ)はどこに住んでいるんですか?」とティアが聞いた。


「天上のような、私たちの想像できないところに住んでいるんでしょうね・・・」ミスティがそう言った時、ホムラが大声を出した。


「エイラ、頭が揺れているぞ!もう限界が来たのか!?」


「・・・だ、大丈夫です。少し眠気がありましたが、今の声で目が覚めました」


「そう言えば以前、厚い氷の下敷きになった時に、防御シェルドの内側にヴェラが植物を生やして支えましたよね?」とトアラが言った。


「同じ手で防御シェルドを内側から支えられないかい?」


「植物でできた壁は防御シェルドほど強くないけど、とりあえず試してみる。ただ、植物が生える地面がないから・・・。豊穣プランテ!」


ヴェラが唱えると、ヴェラの足下から周囲に苔があふれ出てきた。従者たちの足下に迫って行く。


「ど、どうしたらいいんだ!?」とあせるホムラ。


「既に生えている苔の上に移動して」と答えるヴェラ。


ミスティや従者たちは、波のように静かに迫り来る苔の端をまたぐようにして、かすかに蠢いている苔の表面に足を降ろして移動した。


「こんな薄い苔が防御シェルドの代わりになるのかな?」と半信半疑のリュウレ。


「この苔を苗床にして、もっと丈夫な草木を生やすんです!」とヴェラが自信ありげに答えた。


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