3 ジェランの旅
<辺境伯領の関所にて>
グェンデュリン辺境伯領に入る峠には関所が設けられている。これまではダンデリアス王国との通行は行きも帰りも自由で、関所にいる衛兵に行き来を止められることはなかった。
ところが、今は関所前に長い馬車の行列が並んでいる。それぞれの馬車の住人や荷物をひとつひとつ検閲しているようである。
「どうして関所を通るのにこんなに時間がかかってるんだ!?」と馬車の御者台に座っているジェラン王子が、馬の手綱を握っている従者のゲンスランに文句を言った。
「それは・・・」とゲンスランが説明しようとすると、
「何でも新しく辺境伯になられたミスティリア様が王宮で誹謗されたので、この国からの人と物の流入に警戒を強めているそうだ」と、ジェランたちの前に並んでいる馬車から旅人らしき男が口を出してきた。
「さらにミスティリア様の辺境伯御任官の祝賀会やら行進を行うので、観光客や行商人が集まって来て行列が伸びているんだ」
「説明を感謝する」とそっけなく言い返すジェラン。
「しかしなんで王宮は南の国境の堅固な守りを担ってきた辺境伯を追い出すような真似をしたんだろう?おかげで王国の南部地方から辺境伯領に移住を希望する住民も増えていて、さらに行列が長くなっているんだ」と説明を続ける旅人。
「王国を見捨てようとするなんて、なんて国民だ!王族に対する忠誠はどこへ行ったんだ!」と文句を言い続けるジェラン。
その時、ジェランの馬車の横をがらの悪そうな男たちが乗った馬車が逆方向に通り過ぎた。男たちは口々に悪態をついていた。
「あいつらは関所で追い返された口だろうな」と旅人が言った。
「問題がありそうな連中は関所で追い返されるらしい。文句を言おうとしても兵隊が大勢現れるので、ああいう連中でも従うしかないようだ。善良な俺たちなら大丈夫だと思うが、あんたたちはどうかな?」
「我々は荒くれ者ではないぞ」と言い返すゲンスラン。
「いや、あんたたちは上品そうだから言ったのさ。貴族や騎士は招待者でない限り、全員追い返されるからな」
「そこまで辺境伯の我らに対する感情は悪いのか・・・」と肩を落とすゲンスラン。
「上品だと追い返される?・・・それなら上品な俺は馬車の中に隠れているから、ゲンスランは村人を装え」
「無理ですよ。どんなぼろを身にまとっても、立ち居振る舞いから王宮騎士だってすぐにばれますよ」とゲンスランが文句を言ったが、ジェランは聞く耳を持たず馬車の中に潜り込んで行った。
それからけっこう時間が経って、ようやく前の馬車が検閲を受ける番になった。衛兵たちが馬車の中まで細かく調べ、馬車に乗っている人々も個別に念入りにチェックしている。しばらくして特に問題はなかったようで、その馬車の通行が認められた。辺境伯領内に入って行く馬車の後から、ゲンスランにさっき話しかけた旅人が手を振っていた。
次はゲンスランたちの番だ。衛兵が5、6人、ゲンスランが御者台で手綱を握っている馬車に近づいて来た。
「関所の検閲だ。馬車の中と乗員を確認させてもらう」そう言ってゲンスランを見上げる衛兵。
「ん?お前は王国の騎士か?」見た目だけで見抜かれてしまうゲンスラン。
「いえ、騎士をやめて田舎に帰る途中なんです。ついでに辺境伯領の見物をして行こうと思いまして・・・」と苦しい言い訳をするゲンスラン。
その時、「隠れている者、出て来い!」と馬車の中を確認していた別の衛兵が叫んだ。
ごそごそと音がして、ジェランが馬車の後から出て来て路上に立った。
「無礼者!私を誰だと思っている!?私はこの国の王太子だ!」堂々と名乗りを上げるジェラン。ゲンスランはあきれてうつむいてしまった。
「これはジェラン王子であられましたか」と対応する衛兵。
「そうだ。だから速やかに関所を通せ。長い時間待ってやったのだからな」と胸を張るジェラン。
「ジェラン王子のことはよく聞いております」と衛兵が言ったので、ジェランは得意そうにうなずいた。
「先の辺境伯を愚弄し、あろうことかミスティリア様を毒殺犯と非難されたとか」
「い、いや、それは行き違いがあって・・・」とモゴモゴ言うジェラン。
「ダンデリアス王国の王族、貴族、騎士の通行は厳にお断り申しております。どうぞ王都にお帰りあれ」丁寧な口調だが有無を言わせぬ迫力があり、ジェランは思わずたじろいでしまった。
「こ、こんな侮辱を受けたのは初めてだ!後でどうなっても知らんぞ!」
「どうぞ、お好きなように。こちらも辺境伯、いえ領主様より国王陛下に抗議の書状を送っておきます」
「ま、待て!言われたように帰るから、そこまでしなくともよい!」ここで問題を起こしたら国王にどんな叱りを受けるかわからないことをジェランは思い出した。
「ゲンスラン、帰るぞ!」
「は!」と返事するゲンスラン。
「それでは我々はここで帰りますので、解放していただけますか?」と近くにいた衛兵に尋ねるゲンスラン。
「帰られるのであれば何も申し上げることはない」と衛兵に言われ、ジェランに馬車に乗るよう言ってから、馬車の向きを変えて長らく待たされていた峠道を逆方向に進め始めた。
「さんざん待たされたあげく引き返すのか?」と馬車の中で文句を言うジェラン。
「ミスティに会えればなあ。また婚約してやると言えば喜ぶだろうに」と勝手なことを言うジェランにゲンスランはため息をついた。
「王子、これからどうしますか?」
「どうすればいい?このまま王宮には帰れんぞ」
「近くの村で宿をとって、状況を探ってから索を考えますか」とゲンスランは言った。
それから半月間、村の宿に泊まり続けたジェランは日がな一日することがなく、宿の前の木のベンチに座ってぼーっと行き交う人々を眺めていた。
ゲンスランは辺境伯領から戻ってきた旅人や行商人に話しかけ、辺境伯領内の様子を聞きまくっていた。
「殿下、辺境伯領の領都では盛大なお披露目会とパレードが催されたようです」とゲンスランが宿の食堂で夕食を取る際にジェランに報告した。
「父親が死んでまもないのに、いい気なもんだな」
「もちろん辺境伯は喪服を着ておりました。お祝いと言うよりは、領民を安心させるための厳かな儀式だったようです」
「一段落ついて、俺たちは領内に入れそうか?」
「それはまだなんとも。・・・しかし耳寄りな情報を聞きつけました」
「何だ?」
「辺境伯は他国との友好関係を気づくため、早々に外遊されるそうです」
「何!?我が国を無視して敵国と繋がるつもりなのか!?ミスティめ、売国奴に成り下がるのか!?」
その時ジェランははっと気づいた。「まさか、ミスティは婚約者探しの旅に出たんじゃないだろうな?俺を差し置いて・・・」
ゲンスランは「婚約を破棄したのは殿下の方じゃありませんか」と言おうとしてグッと我慢した。
「・・・その可能性はなきにしもあらずです、殿下。婿探しの旅を兼ねているのかもしれません」
「くそっ、浮気女め」とジェランが身勝手な怒りを燃やしていた。
「こうなったら先回りだ。辺境伯領に入れないのなら、ミスティが行こうとしている国に先回りしてつかまえよう」
「しかし王子が出入国するとなると、事前に正式な通知を相手国に送っておかないと、その国ともめる原因になりかねませんぞ」と嗜めるゲンスラン。
「正規の街道を通らず、どこか抜け道を通って国外に出られないか?」
「そんな都合のいいことはできませんよ」
その時、隣のテーブルで酒を飲んでいた男がジェランたちに話しかけてきた。
「あんたたち、南のパストール王国にこっそり入国したいのかい?」
ゲンスランはその男を厳しく睨みつけた。旅人の服装をして、気弱そうな顔をしている。もめ事を起こすような男には見えなかった。
「お前は何者だ?」小声で詰問するゲンスラン。
「俺はパストール王国の知り合いに作物を少しだけ持って行きたいと思ってるただの村人だ。関所を通ると、辺境伯領とは違って通行税やら荷物にかけられる税金を徴収されるからな、ここらのもんはみんな抜け道を通ってるんだ」
「それは好都合だ。我々にもその抜け道を教えてくれないか」と乗り気になるジェラン。
「殿下、不正な国抜けは後で問題になりまずぞ」と嗜めるゲンスラン。
「そんな提案をして、お前は何が欲しいんだ?」と今度はその男を睨みつけた。
「うちの馬車が壊れたんで、おたくらの馬車に乗せてほしいだけだ。礼などもらうつもりはない」と男が答えた。
「いいではないか、この男の提案に乗ろう」とジェラン。
「しかし・・・」となおも怪しむゲンスランだったが、
「このままだと死ぬまでこの宿に泊まることになるぞ」とジェランに言われてゲンスランはしぶしぶ同意した。
「わかった。道を教えてくれるなら馬車に乗せてやろう。お前の名前を教えろ」とゲンスランはその男に聞いた。
「俺の名はバスティス。ただの村人だよ。よろしくな」
翌朝になるとジェランとゲンスランはさっそくバスティスを馬車に乗せて村を出た。そのままバスティスの指示に従って馬車を進める。
「荷物を少々持って行きたいと言っていたが、ほんとうに少々だな」とゲンスランはバスティスの荷物を馬車に詰め込んだ時のことを思い出して言った。小さな木箱が2個しかなかったからだ。
「大がかりな抜け荷でもしていると思われたのなら期待はずれでしたな」と答えるバスティス。
「疑うようなことを言ってすまなかった」
「いいえ、お気になさらずに。・・・それより一緒に乗っておられる方は貴族様でしょうか?無闇に話しかけないよう、気をつけた方がよろしいですか?」
「まあ、貴族の端くれのようなものだ。王族や貴族を馬鹿にするようなことだけ言わなければ問題ない」とゲンスランは答えた。ジェランの数少ない美点のひとつに、平民を無差別に蔑まないということがあった。実際は無関心なだけだったが
「承知いたしました。・・・それではこっちの道へ馬車を進めてください」と進路を指示するバスティス。細い道が深い森の中にまっすぐ向かっていた。
「こんな道を進めるのか?」といぶかしむゲンスラン。道のすぐそばまで木の枝が伸び、道は半ば草に覆われている。
「この馬車で難なく進めます。・・・この森には凶暴な獣もおりませんから、ご心配なく」と微笑むバスティス。
馬車は森の中の暗がりを突き進んで行った。
その日の夜は森の中で野宿した。馬車の前後で焚き火を燃やし、バスティスは片方の焚き火の前に腰を下ろした。
「俺はここで火の番をしておりますので、お二人は馬車の中でお休みください」と言うバスティス。
「途中で交代しよう」とゲンスランが提案したが、
「お気遣いなく」とバスティスは断った。
ゲンスランは一応警戒して、剣を抱えて馬車の中で横になったが、しばらく気配を探っていたものの特に異変は感じられず、いつの間にか寝入っていた。ジェランは最初から最後まで気楽に眠っていた。
翌朝、ゲンスランたちが乗る馬車は森を抜け、整備された街道に出た。
「この道は北は辺境伯領に続いています。もう少し南に行くと村があります」とバスティスが教えた。
その言葉通り、まもなく森を切り開いて作った畑の中に十数軒の建物が並ぶ小さな村に到着した。
ゲンスランは畑にいた村人をつかまえると、「辺境伯の一行が最近この村を通ったか?」と尋ねた。
「先日南の町の役人が来て、伯爵様の一行が近々通るから失礼ないようにとのお達しがあっただ。まだお通りにはなられてないだ」と村人が答えた。
「先回りできたな、ゲンスラン。よくやった!」とほめるジェラン。
「バスティス、道案内ありがとう。助かったぞ」とゲンスランもバスティスに礼を述べた。
「いえ、こちらこそ助かりました。それではこれで失礼します」と丁寧に礼を述べて、バスティスは荷物を抱えて馬車から去って行った。
「それで、ここで待ち構えてどうするんだ?」と考えなしのジェランがゲンスランに聞いた。




