26 ジェランの追跡
ミスティたちの2台の馬車はゆっくりと、しかし確実に北を目指して進んでいた。
さいはての城を出てしばらく経った頃に、
「蒼龍将軍の言葉と、何日か旅をして見聞きしたことからこの大陸についてわかったことを話すわ」とミスティがみんなに言った。
「この大陸はおおざっぱにいうと上から見て四角形をしている。もちろんあの邪猴がいた半島のように海岸線は実際にはでこぼこしているけどね」
「今、私たちは東の海岸線に沿って北上していますね?」とホムラ。
「そう、見ればわかるように、西側には海岸線と平行して険しい山脈が南北に連なっているわ。首都ミドールはここから西の方角にあるけど、馬車であの山は越えられないのよ」
「また飛んで山を越えて行くことはできないのか?」とホムラが聞いたので、リュウレとフワナが両手を繋いで飛んでみた。
かなりの上空まで上がると、二人の体は大きく揺れ動いていた。しばらくして降りて来たリュウレは、
「あの山脈はひと連なりの山ではなく、前後に何重もの山脈が並んでいます。山脈全体の横幅は先日飛んで越えた海峡の何倍もある上に、急斜面ばかりで、途中で馬車を降ろせるような平地はなさそうでした」と説明した。
「それに山の上空は風が強そうで、雲やら霧やらがかなりの速さで流れています。あの中を私の風の力で突き抜けるのは難しそうです」とフワナも言った。
「わかったわ。山を越えるのはあきらめて、海岸に沿って北上する街道沿いに進みましょう」とミスティが言った。
「街道沿いには町や村が点在しているようだから、道に沿って進む方が物資を入手しやすいんじゃないかしら」とティアも賛同した。ティアは何でも食材にできるが、それでも塩など人里から入手しないといけないものもある。
「この大陸の首都ミドールは大陸の中心にあるようだけど、主要な街道は首都から東西南北ではなく、北東、北西、南東、南西の4方向に伸びていると蒼龍将軍が言っていたわ。おそらく、この大陸の東西南北には同じような山脈が海岸線に沿ってそびえ立っていて、四隅の部分にだけ開けた土地があり、そこに向かって街道が伸びていると思うの」とミスティ。
「山を越えずに通過できる盆地ですね。そして北東側の盆地には鬼門城があり、街道の関門となっているのでしょう」とココナが言った。
「そうね。鬼門城を正面突破するか、上空を飛んで越えるか、決めかねているけど、どんな様子か一度は見ておきたいと思うの」
「蒼龍将軍みたいな影人が何人もいるのなら、首都で大勢の影人を一度に相手にするよりも、各個撃破していく方が後々楽でしょう!」とトアラが主張した。
「それにしても、あの半島を離れてから邪猴には出くわしませんね」とヴェラ。
「邪猴はおそらく深い森の中でしか棲息しないんじゃないかしら?平地だと人間や他の獣に狩られやすそうだからね」とミスティ。
「別の獣がいるかもしれないなら、引き続き夜の見張りは継続だな」とホムラが言って、従者たちはうなずいた。
それから何日もミスティたちは北に進んだ。途中にあった町や村の住人は比較的友好的で、ヴェラが生やした野菜や果物をパンや塩と喜んで交換してくれた。
彼らと会話できるのがミスティだけだったので、ココナたちはこの大陸の言葉を教えてほしいとミスティに頼んだ。ミスティは快く応じて、馬車の中で順番に従者たちに基本的な単語を教えていった。
「私たちの言葉とはまったく違いますね」と嘆くエイラ。覚えるのが大変そうで、みんなはヴェラが生やした大きな葉を持つ草を乾燥させたものに、ホムラが小枝を焦がして作った炭で単語の対照表を書いていた。
こうして少しずつこの大陸の言葉を覚えていった従者たち。道中には待ち構えている敵もおらず、追っ手に追いつかれることもなく、のどかに馬車を進めていた。
その頃、ダンデリアス王国のジェラン王子は、従者のゲンスランとともに馬を駆って、エーベッへ帝国から西に伸びる半島の海岸沿いの道を進んでいた。
馬を必死に走らせていたので、途中の草地で休憩を取ることにする。地面にへたり込むジェランにゲンスランが近づいて来て言った。
「帝国の皇女とのご婚約はどうなったのですか?」
「帝国の後継者になれると誤解してとんだ女をあてがわれるところだった!」と憤慨するジェラン。
「あんな年増の醜女をあてがわれるとは!」
「しかし皇帝になれるのなら我慢できるのでは?」と聞くゲンスラン。
「そうであればあんな女でも引く手数多だったろう!」
「どういうことですか?」
「確かに皇帝の正妃が産んだ子はあの皇女だけだった。しかし皇帝には何人もの愛妾がいて、立派に成人した皇子もごろごろいるそうだ。皇帝はあんな皇女でも大事にしているようだが、あの皇女と結婚しても、皇帝になれるとは限らん!」
「それで皇帝には婚儀をお断りになられたのですか?」
「目の前ではっきりと断ることはできなかった。衛兵や貴族たちも大勢その場にいたからな。だから父王の許可を取って参りますと断って、馬を借りてこうして一目散に逃げ出しているのだ」
「それでは後々面倒なことになりませんか?」と心配するゲンスラン。
「知るか!」と言い返すジェラン。
「幸いなことにダンデリアス王国とエーベッへ帝国の間にはパストール王国やアギンドラ王国がある。皇帝が怒っても、すぐには攻めて来れんだろう」
「そんな乱暴なお考えで大丈夫ですか?パストール王国とアギンドラ王国を仲間に引き入れて攻めて来るかもしれませんぞ」
「その時はグェンデュリン辺境伯領の騎士たちが追い返してくれるさ」
「・・・ミスティ様がこちらにつけばの話ですが」
「だからミスティを追っているのではないか!ミスティはこの半島の先まで行って、西の大陸を見てみたいと言っていたそうだぞ!追いついたらすぐに婚約を取り付け、一緒にダンデリアス王国に帰ってもらうんだ!」
「・・・それにしては追いつけませんな。ミスティ様が半島の先から引き返して来たなら、出かけられた日数から考えてもうそろそろ出くわしそうですが」
「近くの漁村で聞いてみよう」とジェランが言い、休憩を終えた二人は再び馬に乗った。
「女性ばかりの一行の馬車が来られたかじゃと?」と、半島の先端に近い漁村にいた老漁師は言い返した。
「よくわからんが、先日2台の馬車がこの村を通り過ぎて、半島の先端の方に行った。帰ってきたのは見ていない」
「そんな!・・・じゃあミスティはどこへ行ったのだ?半島の先端で何日ものんびりしているのか?」とジェランは老漁師につかみかかって聞いた。
その時、小さな子どもが近づいて来て、「おいらはその2台の馬車がどこへ行ったか知ってるよ」と言った。
「どこへ行ったんだ?」と聞き返すゲンスラン。
「お駄賃をくれたら教えるよ」
「ほんとに知ってるんだな?」とゲンスランが確認し、子どもがうなずくと、財布から1枚の銅貨を取り出した。
「これでいいか?」
「やったー!」と喜ぶ子ども。すぐに銅貨を取ろうとするが、
「馬車の行き先を答えてからだ」とゲンスランに言われて渋々と手を引っ込めた。
「2台の馬車から翼が生えて、飛んで行ったよ」と子どもが言ってジェランが目を見開いた。
「そんなことがあるか!お前はお駄賃欲しさに嘘をついたな!」と決めつけるジェラン。泣きそうな顔になる子ども。
「待ってください、殿下。ミスティ様には魔法を使える従者がいます。婚約を破棄したあの日、ミスティ様たちに翼が生えて飛んで行ったのを見た者がたくさんおりました。馬車に翼が生えて飛んで行ったという話もあながち嘘ではないのかと」
ゲンスランの言葉に落ち着きを取り戻すジェラン。
「それでどっちの方に飛んで行った?」とゲンスランが優しく子どもに聞いた。
「ものすご〜く高く上がってから、日が沈む方に飛んで行ったよ。おいら、ずっと見てたんだから」
「西か?西には海がある。その向こうには何がある?」と漁師に聞くゲンスラン。
「ずっと先に陸地が見えることがあるじゃ。でも、潮の流れが速いし、海の化け物もたくさんいるので、その陸地まで行って帰って来た者はおらんのじゃ」
「我らを船に乗せて向こう岸まで行ってくれる漁師はいないのか?」
「そんな命知らずはおらん」と断言する漁師。
「どうしますか、殿下?これ以上先には進めませんぞ」
「二人で海を渡るしかないだろう。東に戻ればあの皇女が待ち構えているからな」
「ですから、どうやって?」
「この村の者から船を買おう。金とこの馬を渡せば、喜んで売ってくれるだろう」
「この馬は帝国の軍馬ですぞ。借り物なので返さねばなりません」
「我らの馬車が帝都に置いてあるから、それをくれてやればよい」
「それでは納得しませんぞ。軍馬の方が貴重ですから」
「かまうものか。それより早く船の交渉をしろ」
仕方なく漁師たちを呼んで船を売ってくれと頼むゲンスラン。最初はそんな無謀な真似はやめろと忠告されるばかりだったが、年をとってもう漁には出られなくなった漁師が小舟を売ることに同意した。
長さ10メテル(10メートル)の帆かけ舟だったが、船体はかなり傷んでいるようだ。
「これで海を渡れるのか?」とゲンスランが聞くと、
「大丈夫、大丈夫じゃ」とその漁師は安請け合いした。
「帆を張れば勝手に西の方に進んでくれるのじゃ。ただしの、海の色が濃い藍色になったら潮の流れが速くなるから、気をつけられよ」
不安を覚えつつも金と馬をその漁師に渡すと、ゲンスランは水樽や食糧を買い込んで小舟に積んでいった。
翌朝、日の出とともに出航するジェランとゲンスラン。村人たちが見送りに来ていたが、中には拝んでいるような村人もいて、ゲンスランは不安を隠し切れなかった。
漁師に教えてもらったように帆を張り、舵を取るゲンスラン。最初は何事もなく順調に西へと向かっていたが、陸地からけっこう離れた頃に海面の色が濃い藍色に変わっていった。
ゲンスランは小舟が北へ流されてしまうのを感じた。帆と舵では進行方向を変えられず、小舟はどんどん大海の真ん中へと流されて行く。
「どうした?」とのんきに聞くジェラン。
「舵が効きません。北へ流されています」
「なら、いったん東に戻るか。アギンドラ王国の海岸に着くだろう?」
「ですから、舵が効きません!潮に流されるままです」
「海は広いんだ。ずっと北向きには潮も流れんだろう」とジェランに言われて、ゲンスランは改めて空を見上げた。
既に昼過ぎになっていて、日は小舟の左前方に傾き始めていた。
「確かに、今は北西方向に進んでいますね!」
「そうか?なら、しばらく漂っていれば、西の大陸の海岸に近づくんじゃないか?」とジェランが気楽に言った。
その「しばらく」が何日なのかゲンスランにはまったく見当がつかなかったが、今さらどうすることもできない。このまま潮の流れに身を任せざるを得ないだろう。
翌日、大鯨竜が海面に現れて、その大きな口を開きながらジェランたちが乗る小舟に迫って来た。
驚愕し恐怖に震えるジェランとゲンスラン。しかし、大鯨竜が小舟を飲み込む前に横からより大きな大海竜が現れ、大鯨竜に食らいついた。
海面が激しく波打ち、ジェランたちの小舟は翻弄されたが、しばらくすると大海竜も大鯨竜も海中に沈み、静寂が戻ってきた。
「いや〜、今のは肝を冷やしたな」とジェラン。
「もうだめかと思いました」とゲンスランも言った。
「しかし天は我らに味方してくれているようだ。いずれ陸地に着き、ミスティに追いつけるだろう」とジェランは能天気に言った。
「しかし、もう水も食糧もありません!」
「水なら出せるぞ」と言って水魔法で少量の水を樽に出すジェラン。量は多くなかったが、ジェランの拙い魔法が初めて役に立った瞬間だった。
「食い物はそれで釣れ」と、ジェランは小舟の中に残されていた古い釣り竿を指さした。小舟の持ち主の老漁師が置いたままにしてあったものだ。
ゲンスランは海中に浮かんでいた海藻の気泡を針にかけ、海に投げ込んでみた。しばらくすると餌と勘違いした小魚が何匹か釣れた。こうして生き延びたジェランたちの小舟は確実に西の大陸に近づいていた。




