19 エーベッヘ帝国の帝都
ジェランが帝国領に入る数日前にミスティはエーベッヘ帝国の帝都に到着し、さっそく皇帝に謁見することになった。
準備を整えたミスティは、エイラとピデアを連れて謁見の間に入った。その部屋はダンデリアス王国やパストール王国の謁見の間よりも広く、より多くの貴族たちが列席していた。
しずしずと皇帝の前に進むミスティ。ある程度近づくとミスティは跪き、皇帝に拝礼した。
「皇帝陛下、グェンデュリン辺境伯のミスティリア・グェンデュリンでございます」
「よくぞこの国に来られた、ミスティリア殿よ。顔を上げるがよい」と気さくな口調でミスティに話しかける皇帝。
「ありがとう存じます」ミスティが顔を上げると、50代くらいの壮健な顔つきの皇帝と目が合った。
「ミスティリア殿には会いたかったぞ」と皇帝。
「それはどうしてでございましょうか?」と聞き返すミスティ。
「失礼ながら、ミスティリア殿が最近ダンデリアス王国の王太子との婚約を解消したと聞いた」
「その通りでございます」
「お父上を亡くされた上にその仕打ち、さぞや傷心のことだろう」
「父上のことは残念でしたが、ジェラン王太子からは婚約を破棄されるだろうと予想しておりました。私は好かれていませんでしたから」
「そうか、お互い苦労するな」と言ってうなずく皇帝。
「お互い、ですか?」
「実は余の娘もアギンドラ王国の王子と婚約していたのだが、先方から一方的に断って来たのだ」
「それはひどい仕打ちですね。皇女殿下のご心痛、よくわかります」
「そう言ってくれて嬉しいぞ、ミスティリア殿。娘が王子より10歳年上で、見目が悪く、性格がわがままなだけなのに、ほかの女との間に子ができたからと言って勝手に婚約の解消を願い出て来たのだ」
「・・・そ、それでアギンドラ王国との国交を制限されたのですね」
「いや、あの王子のことは腹立たしいが、戦をしかけるほどの事態ではないし、商人の行き来を止めるのもあまり利がないので何も命じてはおらんが、国境方面を管轄する貴族や官僚たちが勝手に国境を封鎖してしまったのだ。・・・それを今さらなしにしようとも思わんがな」
「それならいい話がございます、陛下」とミスティは皇帝に言った。
「なんだ?」
「私との婚約を解消したダンデリアス王国のジェラン王太子ですが、どうやら国王から叱責をくらったみたいで、代わりの王太子妃を捜しているようです。この際、皇女殿下と婚約させてはいかがですか?さすがに今度はジェラン王太子も婚約解消など言い出せないでしょう。・・・私の元婚約者なので、失礼な申し出かもしれませんが」
「・・・なるほど。ダンデリアス王国の王室と親族になれば、パストール王国やアギンドラ王国との関係が悪くなっても、後方からにらみをきかせることができるな。悪い話じゃない」
「ジェラン王太子も外遊されているようなので、まもなく陛下を訪ねて来ることと思います」
「そうか!ならば国境で待ち構えて皇宮に招待しよう。いや、いいことを教えてくれた。ミスティリア殿、感謝する」
「・・・ところで私は外交のために来ましたが、さらに西の大陸まで足を伸ばしたいと考えております。この帝都の西にある半島から、かの大陸に渡ることはできますでしょうか?」とミスティは皇帝に聞いた。
「『さいはての大陸』に行くのか?やめておけ。魔物が徘徊する魔境だと聞くぞ。・・・半島の対岸には小さな国があると噂されているが、海峡の潮の流れが速く、向こう岸には容易にたどり着けん。我が帝国との国交はないので利はないぞ」
「そうですか。・・・せっかく貴国まで来たので、大陸まで渡ってみたいと思いましたが、どうするか少し考えます」
「考え直した方が良かろう。・・・ところでミスティリア殿の従者は魔法を使えると聞くが」
魔法ではなく異能だが、なぜ知っているのだろう?とミスティは思った。従者たちの異能については辺境伯領でも知る者は少ない。
「よくご存知ですね?」
「我が帝国の情報網をなめるでないぞ」と言って皇帝はにやりと笑った。
「だが、どの程度の魔法術師なのか、詳しくはわからぬ。帝都にしばらく滞在している間、余の魔法術師と試合をしてみる気はないか?」
「試合ですか?」
「もちろん模擬試合で、命の取り合いをするわけではない」
「・・・従者たちに聞いてみますが、お互い手の内を知らないと試合をしにくいでしょう。試合前にどのような魔法が使えるか、見せ合ってからでいかがでしょうか?」
「それでかまわん。追って日時を伝えるから、それまではのんびり過ごされるがよい」
ミスティがホムラたちが控えている部屋に戻ると、さっそく皇帝の申し出を伝えた。
「帝国の魔法術師との勝負ですか?それはおもしろそうですね」と乗り気になるホムラ。
「でも、帝国一の魔法術師となると、とんでもない魔法を放って来るんじゃないですか?」と心配そうなエイラ。
「けが人が出るような試合のやり方じゃないと思うけど・・・」とミスティ。
「破壊力から考えると、出るのは私かトアラかな」とホムラは話を聞かずに言った。
「相手の得意な魔法が火魔法なら私が、氷魔法ならトアラが、というように、相手の得意魔法で戦うのがいいかもね」
「土魔法が得意な相手なら私が出ますよ」とピデアが言った。ダンデリアス王国の王宮で岩兵を倒したときのことを思い出したのだろう。
「どんな試合になるかわからないけど、相手のメンツを潰さない程度に頑張ってね」とミスティは言い添えた。
翌日、昼過ぎに皇宮の城門に来るよう皇帝からミスティに連絡があった。ミスティたちが身支度を整えてから案内されると、城門の前に何台もの馬車が停まっていた。
「ミスティリア殿は皇帝の馬車に」と侍従に促されて一番高級そうな馬車に案内される。中に乗り込むと、既に皇帝が着席していた。
「これからどこへ参るのですか、皇帝陛下?」とミスティが聞くと、
「帝都の郊外の岩場に行くのだ。そこで試合を行う」と皇帝が答えた。
馬車が岩場に着くまで、ミスティは問われるままに辺境伯領から帝国までの旅路を説明した。大河の河口で大鯨竜に襲われたときの様子をミスティが話すと、皇帝は驚いていたが、ミスティの従者の力にとても感心していた。
「そのような従者たちか。それなら帝国随一の魔法術師、ジャランタ師といい勝負ができるであろうな」
「ジャランタ師はどのような魔法を使われるのですか?」
「ジャランタ師は古代魔法の名手だ」
「古代魔法?・・・それはどのような魔法ですか?普通の魔法術師が使う魔法と異なるのでしょうか?」
「約百年前に帝国領内の古代文明の遺跡で発見された魔法だ。意味がわからぬ古代語で書かれた呪文を正確に唱えると、他国で使われている魔法とは比べ物にならないほど強い威力が出せるという」
「意味がわからない古代語で書かれた呪文ですか?読み方もわからなかったでしょうに、唱えられるようになったのですか?」
「多くの魔法学者と歴史学者が何代もかけて研究し、最近ようやく再現できた魔法なのだ」
「そこまで苦労されたとは。・・・古代魔法とはそこまでして再現したい強力な魔法なのですか?」
「古代魔法には簡単なものから難解なものまであり、最上位の魔法は山すら砕くほどだという」
「そ、それはすごいですね。・・・そんな魔法が使えるようになったのですか?」ミスティはあわてて聞き返した。将来帝国と戦になったら、とてもかなわないと思ったからだ。
「さすがに最上位の魔法はまだ使えないのだ。いや、人間に使えるしろものではないのだ」と皇帝が言ったので、ミスティはほっと胸をなで下ろした。
「それでも今使える上位の魔法でもミスティ殿は度肝を抜かれることだろう」と皇帝は言って笑い出した。
やがて馬車が岩場に到着すると、皇帝に続いてミスティも馬車から降りた。とたんに皇帝を讃える大声援が響き渡る。
「な、何事ですか?」驚くミスティ。
「ジャランタ師が魔法を使うと聞いて、帝都や周辺の町村の臣民が物見に来たのだ」と皇帝は答えながら、声援を送る観衆に手を振った。
後続の馬車も続々到着し、中からホムラたちや、皇帝の侍従や騎士たちが降りてきた。その中にとても豪華な魔法術衣を着た老人がいるのにミスティは気づいた。
「あのお方がジャランタ師ですか?」
「そうだ。ミスティリア殿に紹介しよう」皇帝が手を挙げると、ジャランタ師はゆっくりと歩み寄って来た。
「ミスティリア殿でしたかな?お初にお目にかかる」と、頭が禿げ、白く長いあごひげを蓄えた老人がミスティにあいさつしてきた。
「グェンデュリン辺境伯のミスティリア・グェンデュリンです、ジャランタ様。どうぞよろしくお願いいたします」とミスティもあいさつを返した。
「ミスティリア殿の従者の騎士も変わった魔法を使われるとか。私も楽しみに参りましたのじゃ」
「どうぞ、お手柔らかに」
「ジャランタ師よ、今日の調子はどうだ?」と聞く皇帝。
「昨夜はよく眠れ、今朝はハチミツ入りの榠樝水でのどを潤して参りました。万全の状態です」とジャランタ師は皇帝に答えた。
睡眠やのどの調子が魔法を使うのに関係するのかな?とミスティは疑問に思ったが、高齢だからそういうこともあるだろうとミスティはひとりで納得した。
「皇帝陛下、本日はどのような試合になりますか?」と皇帝に聞くミスティ。
「お互いけが人が出ぬように、あれを標的として魔法を打ち合うのはどうだ?」と皇帝は言いながら遥か前方を指さした。そこには巨大な岩があった。
その岩の高さは体の大きい成人男性の2倍くらい、岩の周りは成人男性が数人手をつないでようやく囲めそうなほどだった。
「あれに魔法をぶつけるのですね?・・・ジャランタ様は炎の魔法を使われるのですか?それとも岩のような重い物体を撃ち出されるのでしょうか?」
「私が得意なのは、炎の塊のような物を撃ち出す魔法じゃよ、ミスティリア殿」
「わかりました。では、私も炎の魔法が使える騎士を出します」そう言ってミスティリアは皇帝とジャランタ師のそばから離れると従者たちを呼んだ。すぐに集まって来る10人の従者たち。
「帝国の魔法術師のジャランタ師は、古代魔法というのを使って、あの大岩に炎の魔法を当てるそうよ」
「それなら私がお相手しましょう」と微笑みながら前に出るホムラ。
「観客が大勢いるから、彼らに被害が及ばないように気をつけてね」
「わかりました。・・・それにしても古代魔法とはどのようなものでしょうか?聞いたことありませんが」
「よくわからないけど、古代文明の呪文を唱える魔法らしいわ」
「なら、呪文を唱える必要がない私たちの異能の方が有利ですね」
「問題は古代魔法の威力ね。早さ勝負じゃないからね」とミスティは注意した。
ホムラを連れて皇帝の元に戻るミスティ。
「皇帝陛下、私の方はこのホムラを出します。炎の魔法が使える女騎士です」
「そうか、わかった。ではさっそく始めるか」皇帝が侍従に合図を送ると、すぐにラッパ手が高らかにラッパを吹き鳴らした。
「これより、帝国が誇る魔法術師ジャランタ師と、グェンデュリン辺境伯の騎士との魔法勝負を行う!」大声で開会を宣言する侍従。観衆の声援が一段と高くなる。
「皇帝陛下の臣民は中央の大岩から離れて観覧されよ!」一斉に大岩の方を見る観衆たち。
「では、まずジャランタ師よ、あの大岩を滅せよ!」
皇帝の言葉に従い、ジャランタ師が前に出た。そして持っていた杖を大岩に向けると、呪文を唱え始めた。
「バルセドルウダガ・カンバラダウドズ・エグセクドバガド・ロベレヤダレドロ・ボンゴカラメレド・・・」
どんな意味があるのか分からない呪文を一気にまくしたてるジャランタ師。ミスティとホムラは、いや、皇帝を含めた観衆の全員が息を飲んでジャランタ師の詠唱に注目する。
「・・・モロパハダライス・ウポレカラマドズ・・・」
ジャランタ師が呪文を詠唱する間に、ジャランタ師が持つ杖の先端がオレンジ色に輝き出した。まばゆいだけでなく、離れていても熱気が感じられてくる。そしてジャランタ師が呪文を詠唱し終わった・・・。




