18 エーベッヘ帝国への道
ジェランは失意のまま王宮を後にした。ミスティがいなかったと聞いたゲンスランは、
「殿下、これからどうしますか?」とジェランに聞いた。
「ほんとうにミスティは辺境伯領に帰ったのだろうか?」
「ここまで来て王宮に顔を出さないのも妙ですね」とゲンスラン。
「ひょっとしたらミスティ様を追い越してしまったのかも」
「そうか!艀を降りてから急いでまっすぐ王都に向かったからな。ミスティはまだこちらに来る途中かも知れない!」
「そう言えば、大河の河口の方で何やら騒いでいたようです。王都に急ぐため確認しませんでしたが」
「何か事件が起こってミスティは足止めを喰らっているのだろう!急ぐぞ、ゲンスラン!」
ジェランに急かされ、ゲンスランはすぐに馬車を準備し、南方に向けて出立した。半日かけてようやく大河河口の港町についたが、町人はまだ騒然としているようだった。
「何かあったのか?」とゲンスランが通りすがりの町人に聞く。
「知らないのか?昨日の夕方、大鯨竜という海の怪物が河口に現れたんだ!」
「何だと?その怪物はどうなったんだ?」
「渡しの艀に乗っていたやつが魔法かなんかで水中に沈めたらしい。・・・大鯨竜の死体は見つからなかったから、死なずに沖合に逃げたんだろうな」
「そんな怪物が出現することはよくあるのか?」と聞くゲンスラン。
「まさか。大鯨竜がいるのはかなり沖の方で、これまで岸に近づいて来たことはない」
「なら大騒動だったろうな。港や町の人に被害はなかったのかい?」
「港は大丈夫だ。艀や船も沈んだものはない。ただ、対岸でひとり水死者が漂着したとの噂だ」
「それは気の毒にな」
「まったくだ」と町人は言って、首を振りながら去って行った。
ゲンスランは馬車を適当な宿の前に停めた。そして宿の中に入り、今夜の宿泊を頼んだ。
「殿下は宿の部屋でお休みください。私はミスティ様がこの町におられるか、聞き込みに行ってきます」
「ああ、頼んだ」とジェランは言って宿の中に入って行った。
休むまもなく町中に繰り出すゲンスラン。「バスティスがいてくれたら手伝ってくれたのに」と愚痴をこぼしながら。
ジェランは宿の部屋に入るとすぐにベッドに横になった。うとうとしながら時間を過ごし、暗くなってきた頃に空腹を覚えて起き上がった。そこへちょうどゲンスランが帰って来た。
「殿下、ミスティ様の一行は見つかりませんでしたが、先ほど話に聞いた大鯨竜と戦ったのが女性の一団だということで・・・」
「それがミスティたちか!?」
「格好や人数からおそらくそうかと。だとしたらミスティ様はこの大河の南岸に渡られたということになります」
「南へ渡ってどこに行くと言うんだ?まさかエーベッヘ帝国か?」
「かもしれませんが、今このアギンドラ王国とエーベッヘ帝国は国交を絶っているとの噂を聞きました。南へ進んでも帝国には入れそうにありません」
「なら、ミスティはまたここに戻って来るな?それまでのんびり待つか?」
「ここへ戻って来る保証はありませんぞ、殿下。大河の南岸を東に進んで国に戻られるのかも。一応後を追った方が良いと思われますが・・・」
「なら、そうするか。今日はもう遅いから夕食にしよう。明日、川を渡る手配をしてくれ」
「かしこまりました」とゲンスランは一礼して、二人で宿の食堂に降りて行った。
翌朝、遅めに起きたジェランが宿の食堂で朝食を摂っていると、外に出ていたゲンスランが戻って来た。
「殿下、例の怪物騒ぎの影響で今日は渡しの艀が出ないそうです」
「何だと?いつになったら川を渡れるんだ?」
「それがあまりはっきりしませんが、10日近く待たないといけないようです」
「それはしょうがないな。それまでここでのんびりするか」と気楽なジェランであった。
その頃、ミスティたちの馬車はひたすら南に向かっていた。徐々に周囲の樹木が減り、乾燥地帯になっていく。灌木や雑草がまばらに生えるだけになり、集落も少なくなってきた。
ようやくアギンドラ王国とエーベッヘ帝国の国境に着くと、いくつかの建物が並ぶ検問所があった。両国を結ぶ道路上に石積みの門があり、その内側と外側の地面にテーブルと椅子が置かれ、それぞれの国側で両国の国境警備兵が何人か座っていた。門の近くの建物は国境警備兵の宿舎や国境検問所のようだった。
両国の国境警備兵が常に顔を合わせる状況ではあるが、特に険悪な雰囲気はなく、ただ通行を制限しているだけのようだった。
ちなみに道路から少し離れると起伏の多い荒野となっている。荒野には国境を示す塀などはないので、徒歩であれば国境を抜けることは簡単そうだった。ただし、馬車では道路上しか進めないので、この簡素な国境の門でも十分に通行を規制できた。
ミスティたちの乗る2台の装甲馬車が国境の門に近づくと、まず、アギンドラ王国の国境警備兵が近づいて来た。
「この国境は封鎖されている。北へ戻れ」と国境警備兵のひとりが御者台にいるホムラに声をかけた。
「こちらに乗られているのはダンデリアス王国のグェンデュリン辺境伯だ。外交のため諸国を訪問しているところだ。エーベッヘ帝国にも書状を送っているはずだ」
「ならエーベッヘ帝国側に聞いてみよう。それまで待ってほしい」と言って、別の国境警備兵に何やら耳打ちすると、その兵士は国境の門に向かって行った
「ところでなんで国境を通ることが制限されてるんだい?」と国境警備兵に聞くホムラ。
「我々も詳しくは知らされていないが、我らが国王と帝国の皇帝との間で何か問題が生じたらしい。戦を起こすほどの大事ではないようだが、それでも関係がぎくしゃくして、当面の間は国交を断絶するそうだ」
「国民はお困りではないのですか?」と聞き返すホムラ。
「ああ、ここは交易の主要ルートだからな、特に旅の商人が困っていよう」
その話を聞いてミスティが馬車から顔を出した。
「私がグェンデュリン辺境伯です。私たちが通行することができれば、皇帝陛下にお目通りして、わだかまりを解くお手伝いができましょう」とミスティが国境警備兵に言った。
その兵士は一礼して、「辺境伯殿、そうなれば大変助かります」と言った。
その時、エーベッヘ帝国側に用件を伝えに行った兵士が戻って来た。
「辺境伯殿なら通行してもかまわないと帝国側は言っております」
「先方が良ければ、我々は辺境伯殿をお止めするつもりはありません。どうぞお進みください。そして国交再開の件は何卒よろしくお願いします」とミスティたちと話していた国境警備兵が言った。
「わかったわ。どうもありがとう」とミスティが礼を言い、ホムラが馬車をゆっくりと進ませた。
国境の門を抜けたところにエーベッヘ帝国の兵士が馬に乗って待っていた。
「馬上で失礼します、グェンデュリン辺境伯殿。帝都までご案内します」と馬上の兵士が言った。
再び馬車から顔を出すミスティ。
「私が辺境伯です。お心遣い感謝いたしますが、あなたがずっと案内してくださるの?」
「いいえ、途中の町で案内役を交代します。帝都までは数日はかかります」
「わかったわ、ありがとう」
ミスティが馬車の中に引っ込むと、案内役の兵士が馬を進めた。ミスティの2台の装甲馬車はその後をゆっくりと追って行った。
その10日後、ジェランとゲンスランはようやく艀に馬車を乗せて大河の河口を渡ることができた。
「今日は怪物は現れないみたいだな」とゲンスランは海の方を見ながら船頭のひとりに話しかけた」
「あんなのがそうそう出てたまるもんかよ!」と言い返す船頭。
「そういや、犠牲者が出たって聞いたが、船頭の仲間なのかい?」
「いいや、役人が身元を調べたが、この辺に住んでいるやつじゃないみたいだ。旅人じぇねえかな?」
「そりゃ不運なやつだな。商人だったのかな」
「それがどこの船頭に聞いても、そんなやつを船に乗せたことはねえって言うんだ。だからいつどこで川に落ちたのか、皆目見当がつかねえらしい」
「そりゃ不思議なことがあるもんだな」とゲンスランは答えながら、ふとバスティスのことを思い出した。
河口の港町の手前でバスティスとは別れた。世話になった男が犠牲者じゃないといいな、とゲンスランは思った。
ジェランの馬車が対岸に着くと、ゲンスランはさっそく御者台に乗って馬車を南へ進めた。港町の出口では警備兵が何人かいて、ゲンスランに気づくと近づいて来た。
「どこへ行かれるのか?」とゲンスランに聞く警備兵。
「南の国境まで行くつもりだが、何か問題があるのか?」
「今は一般人の国境の通過は認められていない。・・・お前はよその国から来たのか?」と、警備兵はゲンスランを見ながら聞いた。
「ああ、我々はダンデリアス王国の者だ」
「外国人といえども通行は難しいぞ」
「数日前に我が国の辺境伯がこっちに来たと思うが、知らないか?」
「若い女辺境伯か?それならエーベッヘ帝国に入国したと聞いたぞ」
「ほんとうか!?」馬車の窓から身を乗り出すゲンスラン。
「ああ。国境から王宮へ伝達に行った国境警備兵から直接聞いたから、間違いないだろう」
「そうか!」とゲンスランは言って、馬車の中のジェランに話しかけた。
「ミスティ様はやはりエーベッヘ帝国に行ったようです」
「そうか!なら僕たちも急ごう!」とジェラン。
「外交使節でもないと、入国は難しいぞ」と警備兵が言った。
「それなら問題ない。我々はダンデリアス王国の王宮の関係者だ。書状は送っていないが、帝都に行って皇帝陛下に謁見を頼もうと思う」
「それは先方の国境警備兵の判断次第だ。だめ元で行ってみるんだな」
「ああ、そうするよ、ありがとう」とゲンスランは情報をくれた警備兵に礼を言って馬車を早足で進めることにした。
何刻か走ってようやく国境の門が見えてきた。
石造りの門の手前にアギンドラ王国の国境警備兵が、門の向こう側にエーベッヘ帝国の国境警備兵が数人ずついて、近づいて来るジェランたちの馬車を見つめていた。
門に近づくとさっそくアギンドラ王国の国境警備兵が近づいて来た。
「この国境は封鎖されている。戻るがよい」と国境警備兵のひとりが御者台にいるゲンスランに声をかけた。
「この馬車に乗られているのはダンデリアス王国のジェラン王太子だ。外交のためエーベッヘ帝国に入りたい」とゲンスランは答えた。
「ジェラン王太子の馬車ですか?それなら帝国の兵士がお待ちしております。どうぞお進みください」とすぐに話が通じてゲンスランが操る馬車を門の方に誘導した。
「僕の勇名がここまで鳴り響いているのか」と、馬車の中から話を聞いていたジェランが満足そうに言った。
「さすがですな、殿下」と答えるゲンスラン。
「どうか我らと帝国の国交を回復してください」と国境警備兵がゲンスランに言った。
「どういうことだ?なぜ我らが頼まれるのだ?」といぶかしむゲンスラン。
「僕の交渉術が知れ渡っているのさ」と何の疑問も示さないジェラン。
門を通過すると、エーベッヘ帝国の警備兵がすぐに近寄って来た。
「ダンデリアス王国のジェラン王太子殿下ですな。皇帝陛下がお待ちです。帝都までご案内します」そう言って門の中に誘導する警備兵。
ジェランの馬車が帝国側に入ると、すぐに馬に乗った装甲騎士が来て、馬車の前方と左右を囲うように並んだ。そのただならぬ様子にゲンスランは不安を覚えた。




