17 大河の河口を渡る
「この河口の南側に渡る、馬車を運べる艀はありますか?」とミスティは船長に聞いた。
「エーベッヘ帝国の方に行くのかい?追い返されるかも知れないけど、河口を渡るだけなら少し上流に渡し船の停泊所があるぞ」と船長が教えてくれた。
「なら、艀を探しに行きましょう」とミスティは従者たちに言った。
「それはかまいませんが、アギンドラ王国の王宮には寄らないんですが?知らせが行っていると思いますけど」とココナが言った。
「そうねえ。・・・手紙に適当な理由を書いて、しばらくは寄れませんと伝えればいいんじゃないかしら」
そこでココナたちが艀を探しに行っている間、ミスティは馬車の中で手紙をしたためた。その文面は以下の通りだった。
「アギンドラ王国 国王陛下殿
ミスティリア・グェンデュリン辺境伯と申します。
私は父の跡を継いで先日グェンデュリン辺境伯になりました。そこで近隣の国にごあいさつに伺いたく、外遊の旅をしております。
貴国にも入国し、国王陛下のお目通りを願う予定でした。しかし思わぬ事態が生じてしまいました。
私のかつての婚約者であり、私に一方的に婚約破棄を申し渡したダンデリアス王国のジェラン王太子が私の後を追って来ています。その目的は不明ですが、婚約者でなくなったジェラン王太子とは二度と会いたくありません。
ジェラン王太子が貴国に入国すれば、同じように王宮に参上するでしょう。
そこで私は近隣を旅してしばらく時間を費やしてから、陛下にごあいさつに伺いたく存じます。
誠に勝手ながら、今しばらくご猶予をいただきたく存じます。
ミスティリア・グェンデュリン」
「この町に飛脚制度はあるかしら?あれば王宮へ送ってもらうわ」と言い、ティアやホムラたちとともに港町を歩き回った。
まもなく手紙・伝言の受付所を見つけ、ミスティは国王宛の手紙を託した。
その帰りに市場で魚や野菜、パンなどを買って帰った。
馬車に戻ると艀を探しに行ったココナたちが戻っていた。
「渡し船や荷物運搬用の艀が日に何往復も河口を横断していて、馬車を2台載せられそうな大型の艀の予約を取っておきました。夕方に桟橋を出ます」
「まだ少し時間があるわね。買った食糧は馬車に詰め込んでおいて、近くの食堂で遅い昼食を食べましょう」とミスティは言った。
食堂では魚料理が豊富にあり、海に棲む魚に似た獣の肉を使った料理もあった。ミスティたちは何種類も注文し、南への旅の前にお腹を十分に満たした。
艀が出航する時間になると、ミスティたちは馬車を動かして艀に乗せた。すぐに艀は桟橋から離れ、ゆったりした流れだが時おり海からの波が押し寄せる広い河口をゆっくりと進んだ。
ミスティたちが今出たばかりの桟橋の方を見ていると、ひとりの男が馬に乗って駆けつけ、馬を下りるとこっちの艀を指さしながら桟橋の管理人に何やらまくしたてている。
「乗り遅れた人がいたみたいですね」とエイラ。
気の毒ではあるが知らない人なので、しばらくするとミスティたちはその男のことを忘れた。
艀が河口のちょうど中央あたりにさしかかった時だった。突然海側の水面が大きく盛り上がり、巨大な口を持つ黒い怪物が顔を突き出した。
「バ、大鯨竜だ!何でこんな所に!?」と大声で叫びながらあわてふためく船頭たち。
大鯨竜とは口から尻までが太く、先端に体が裂けてできたような大きな口がついている海の怪物だ。大きな口には鋭い歯が何本も並び、小さな船など一噛みで砕いてしまうと言われている。海上からは見えないが、長いヘビのような尾があるらしい。
大鯨竜は口を大きく開き、まっすぐに艀に向かって来た。ミスティはその巨体の表面に黒いもやがまとわりついているのを見逃さなかった。
「影人の攻撃よ!動きを止めて!」と叫ぶミスティ。
「トアラ、凍てつかせろ!」とホムラが指示を出した。
「寒獄凍気!」トアラの両手から極低温の凍気が萌出された。
大鯨竜の海面上に出ている頭の部分が周囲の海面ごとすぐに凍りつく。そのため大鯨竜は艀からわずかに離れた海面で動けなくなった。
「周りから寄せて来る海の水で、まもなく解けそうだわ!」
「トアラの寒獄氷鏃で砕くか!?」と聞き返すホムラ。
「砕くと解けやすくなって、また黒いもやに戻ってしまうわ!」とトアラが注意した。ミスティたちは今までの戦いの経験から、黒いもやが凝り固まって兵士や巨人になることに気がついていたからだ。
「もやに戻るとすぐに大鯨竜の形に戻りそうね。凍っている間に逃げた方が無難だわ。船頭にすぐに向こう岸に行くように言って!」ミスティが叫んだ。
「せ、船頭たちがいません!」とココナが叫び返す。どうやら大鯨竜の衝突を恐れて河口に飛び込んで逃げたようだった。
「ミナラ、フワナ、波と風で艀を押して!」とホムラが指示を出す。
「水獄隆起!」ミナラが叫ぶと艀の後方の水面が大きく盛り上がった。水面の傾きで艀が前へ押し流され始める。
「風獄降竜!」さらにフワナが叫んで、水面の盛り上がりの後方に強い下降気流が吹きつけた。その勢いで水面の盛り上がりは艀の方に押し出され、艀はさらに前方に押し流された。
艀は揺れるものの、今までより速く河口の南岸に近づいて行く。
その時凍った大鯨竜の表面に亀裂が走り、黒いもやが噴き出して来た。
「炎獄溶弾!」ホムラが黒いもや目がけて灼熱の塊を放つ。炎獄溶弾は黒いもやを貫いて、空洞を作った。
「炎獄溶弾でもやが少しでも焼け焦げてくれれば、影人の力を弱められるはずですが」とホムラ。
いずれにせよ凍った大鯨竜の亀裂から漏れ出た黒いもやは次々と炎獄溶弾で消され(たように見え)、形状を変化させることはできないようだった。
その間にも艀は進み、まもなく南岸の桟橋にぶつかった。すぐにピデアが係留用のロープを持って桟橋に飛び移り、艀を固定させる。
「みんな、馬車に乗り込んで!」
従者たちが馬車に乗り込み、馬を操って進ませ始めた。まだ揺れている艀から桟橋に何とか馬車を進めると、ピデアも乗り込んで来た。
「さあ、先に進みましょう!」
河口の南岸には大鯨竜の出現に気づいた多くの人が見に集まっていたが、その群衆の間を馬車が進んで、河口から離れて行った。
しばらくすると大鯨竜の巨体は水中に沈み、艀から飛び込んだ船頭たちが徐々に南岸に泳ぎ着き、集まっていた人々に引き上げられた。
「こいつ、重傷だぞ!」と誰かが引き上げた男を見て叫んだ。
その男はなぜか体に大火傷を負っていた。息絶え絶えな男はすぐに近くの治療所に運ばれて行ったが、まもなく息を引き取ったという。
「国王陛下、ダンデリアス王国のジェラン王子が面会を求めて参りました」と侍従長がアギンドラ王国の国王に伝えた。
「ほんとに来たのか」とため息をつく国王。「ミスティリア殿の手紙の通りだな。彼女も苦労しているようだ。・・・とりあえず謁見の間に通せ」
「はっ」侍従長は一礼をして国王の執務室を出て行った。
「相手をされますのか?」と傍らにいた宰相が国王に尋ねた。
「ダンデリアス王国の王子だ。腐っても何とやらだから、会わないわけにはいかぬだろう。もっとも本音を言えば、グェンデュリン辺境伯に就任したミスティリア殿の方が、見た目も政略上も優っていろうがな」
そう言い捨てると、国王は渋い顔をしたまま宰相とともに謁見の間に移った。
国王が玉座に座って待ち構えると、入口の戸が開いて侍従長が入室して来た。
「ダンデリアス王国ジェラン王太子のお見えです」
侍従長の後からジェランが入って来た。一応顔に笑みを浮かべる国王。
「ダンデリアス王国より参りました王太子のジェランです。国王陛下、お目にかかれて光栄です」頭を下げるジェラン。
「これはこれは、はるばると我が国までようこそ。旅路は安寧であったか?」
「はい。おかげさまで」
「ところでジェラン王子よ、我が国へお越しの理由を訪ねても良いかな?」
「はっ。私は見聞を広めるべく諸国を外遊しております。公式の訪問ではありませんが、アギンドラ王国まで参りましたので、一度ごあいさつをと思って参上いたしました」
「そうか。余に対する気遣い、痛み入る」そう言って国王は侍従長を手招きした。
すぐに国王のそばに寄る侍従長。
「して、あの者は何か手みやげを持って来たか?」国王は侍従長の耳元に囁いた。
「いえ、何も。従者もひとりだけのようです」
「ダンデリアス王国の国王に追い出されたかな?」そう囁いて、国王は再びジェランを見た。
「わざわざ参られたのであれば、しばし我が王宮で足を休まれよ」
「お心遣い痛み入ります」頭を下げるジェラン。
「ところで、我が国の辺境伯が陛下を訪問されたでしょうか?」
「・・・確か、先代の辺境伯が最近亡くなって、その跡を継いだというご令嬢のことかな?」としらばっくれる国王。
「そうです。我が婚約者、ミスティリア・グェンデュリン嬢です」
「はて、最近貴殿との婚約を解消されたと風の噂に聞いたが?」
「その風聞は正しくありません。ちょっとした行き違いでミスティが・・・ミスティリア嬢が勘違いされただけです」
「そうなのか?」
「はい、そうです」
「ほお、人の噂は当てにならぬものだな」
「その通りです、陛下」
「残念ながらそのご令嬢はここへは来ておらん」と国王が言うと、ジェランは驚いて声を上げた。
「そ、そんなはずは!ミスティは無礼にも陛下を無視されたのですか?」
その言い方に国王は少しかちんときて、「この国に来られたのなら必ず余に謁見を申し込もうぞ。おそらく自領に戻られたのではないか?」と言い放った。
「そ、そんな馬鹿な・・・」
「一度国に帰られて確かめられると良いだろう。それはともかく、しばらくはこの王宮で体を休まれよ」
「・・・い、いえ、お言葉は嬉しいのですが、急ぎの用がありますので、これにて失礼させていただきます・・・」
ジェランの声が震えているのに気づいてほくそ笑む国王。
「そうか。それは残念だ。サダリオンⅥ世陛下にはよろしく伝えてくれ」
「はい、ありがとうございます。謁見をお許しいただきありがとうございました」
そう礼を言ってジェランは謁見の間を退室した。
「これでミスティリア殿と歓談できるな」とちょっと嬉しそうな国王。
「して、ミスティリア殿は今どこに?」と国王は宰相に聞いた。
「あの手紙を送ったのが大河の河口の北岸の町からだそうですので、そのあたりで隠れておられるのでは?」
「そうか。なら町の長に指示してミスティリア殿を捜し出させ、憂いはなくなったので王宮に参られよと使いを出そう」
「それが・・・」と言い淀む宰相。
「どうした?」
「河口に大鯨竜という海の怪物が出現し、騒動になっております」
「その怪物はどうなったのだ!?」驚く国王。
「はい。・・・既にいなくなり、大河の両岸の町に被害はないとのことです。ただ、辺境伯殿がその怪物を見て恐れられたなら、陛下がジェラン王子に仰ったように国へお戻りになられたのかもしれません」
「何ということだ!」と国王は頭を抱えて嘆いた。




