16 アギンドラ王国に入る
次の港町でジェランたちは艀から降り、宿に泊まった。ようやく胃の調子が戻ったジェランは、
「肉だ、肉が食いたい。肉料理を注文してくれ」と宿の食堂でゲンスランに注文した。
「この町でも主に魚を食べていてね、肉料理はないことないけど、少し高いよ」と宿の女将に言われるゲンスラン。
「高くてもいい。肉料理があればそれを一人前頼む。あと、この宿のお奨め料理を2人分頼む」
「あいよっ」と女将は言って料理の注文を厨房に伝えた。
例によってミスティの手がかりを聞きに行ったバスティスがまもなく戻って来た。
「辺境伯一行はこの町には寄ってないようです。朝早くダンガスを出たのなら、次の港町まで行ったのでしょう」
「ご苦労だったな、バスティス。ところでこの先の地理はどうなっている?」
「艀でならもう2、3日下ると、アギンドラ王国に入ります。アギンドラ王国は海沿いに南北に細長く広がる国で、この大河の河口付近はアギンドラ王国領です」
「ミスティの目的地はアギンドラ王国の王都なのか?そこに着いたら辺境伯領に戻るんだろうか?」とジェランが口をはさんだ。
「さすがに目的地まではわかりかねます」と答えるバスティス。
「しかし明日は陸の道を馬車で飛ばせば、辺境伯一行に追いつけるでしょう」
「いや、明日も船旅にする」とジェラン。
「それではいつまで経ってもミスティ様に追いつけませんぞ」とゲンスランが苦言を呈するが、ジェランは聞かなかった。
「船旅は思ったより良かった。何より揺れないのが良い。いいかげん尻が痛くなってきたからな」
「それでよろしいのですか?」とバスティスも聞き返した。ジェランのために動いているのに、いい加減なジェランに愛想が尽き始めていたのかも知れない。
「どうせアギンドラ王国の王宮に行けばミスティに会えるだろう。あいつも世界の果てまで行く気はないだろうよ」と気楽なジェランだった。
その頃ミスティたちは次の港町で、馬車を艀に乗せたまま町中の宿に泊まっていた。
「船頭に聞いた話では、アギンドラ王国との国境の港町で検問があるそうです。その際に私たちの素性を名乗れば、また王宮に呼び出されるかもしれませんね」とココナがミスティに言った。
「アギンドラ王国の王都は海に面しているそうだから、その間に外海に出る船を探しておいてね。馬車はひょっとしたら王宮で預かってもらえるかも」とミスティ。
「ダンガス以来、敵は襲って来ませんね」とホムラが言った。
「敵の本拠地に近づいているので待ち構えているのかと思いましたが、そこまで人数は多くなくて、同じ敵が追って来ているのでしょうか?」とトアラが聞いた。
「どうかしら?まだ敵の様子がわからないので何とも言えないけど、海の向こうの大陸にはたくさん影人がいるのかもしれないわ」
「海を渡って来たのなら、アギンドラ王国で待ち構えているのかもしれませんしね」とミナラも言った。
「いつ何時、急に襲って来るかも知れないから気を引き締めておきます」とエイラ。
「よろしくね、みんな」
「ジェラン王子は追ってきませんね。もうあきらめたのでしょうか?」と聞くフワナ。
「そうだといいけど・・・」ミスティは肩をすくめながら言った。
その2日後、ミスティたちが乗る艀は国境の町マルテに到着した。ここでの大河の川幅は、ダンガスの港町での川幅の2倍になっていた。見た目は大河というより湖のようだった。
艀は国境検問所の桟橋に係留され、アギンドラ王国の検閲官が艀に乗り込んで来た。検閲官たちは船頭としばらく話をした後、ミスティたちの方に近づいて来た。
「お前たちが入国希望者か?入国の目的を言いたまえ。ついでに馬車の中を改める」と検閲官はミスティたちに言った。馬車の中を調べるのは関税を払わずに商品を輸出入する荷抜けを取り締まるためだろう。
「この方はダンデリアス王国のグェンデュリン辺境伯のミスティリア・グェンデュリン様です」とココナがミスティを紹介した。
「王宮には先触れが行っていると思いますが、貴国への入国の目的は表敬訪問です。先日、辺境伯を継がれましたので、国王陛下にごあいさつに参りました」
既に連絡が行っているのか検閲官たちはあわててミスティに敬礼した。
「辺境伯殿、失礼いたしました。どうぞお通りください」
「馬車は調べなくていいの?」とミスティは聞き返した。
「必要ありません。一応、ご一行の人数だけお伺いしてもかまわないでしょうか?」
「私と従者10人よ。従者の中には侍女と、護衛の騎士がいるわ。全員女よ」
「承りました。アギンドラ王国にようこそ。このまま大河を下り、河口の港町から北へ少々移動したところに王都があります。王宮には早馬で連絡しておきます」
「それはどうもありがとう。よろしくね」とミスティが微笑むと、検閲官たちは恐縮して艀を降りて行った。
「船頭にはこのまま進むよう言ってきます」とココナが言って船頭の元へ歩いて行った。
その半日後の夕方にジェランたちが乗る艀が検問所の桟橋に到着した。すぐに検閲官が乗り込んで来て、ジェランたちに近づいて行った。
「お前たちが入国希望者か?入国の目的を言いたまえ。ついでに馬車の中を改める」と検閲官。
「こちらのお方はダンデリアス王国王太子のジェラン王子だ。見識を深めるために諸国を遊学中であられる。公式な外遊ではないが、入国を願い出たい」とゲンスランが説明した。
「ダンデリアス王国の王太子殿下?・・・それにしては供の者が少ないようだが?」と検閲官はゲンスランとバスティスを見て聞いた。
「遊学なので多くの従者は連れて来ていないのだ。貴国の王都で王宮にもあいさつしに行こうと考えている」
「馬車を改める。・・・それで問題がなければ通行を許そう」と不審そうな目で見る検閲官だった。
「どうぞご自由に」とゲンスランが答えたので、検閲官たちは馬車の中をのぞきに言った。・・・ジェランがいびきをかきながら昼寝をしていた。
「これがダンデリアス王国の王太子か?」と検閲官たちは思いながら、ジェランを起こさないよう気をつけて荷物を改めた。
「問題なさそうだ。通ってよし」と、馬車から戻って来た検閲官がゲンスランに言った。
「ところで我が国の辺境伯のミスティ様がここを通られたであろうか?」とゲンスランが検閲官に聞いた。
「他の入国者のことを話す義理はない」と突っぱねる検閲官。
その時バスティスがそっと近づいて、検閲官の手に何かを握らせた。
「辺境伯殿は昼前にここを通過した。王都の王宮に向かわれるそうだ」検閲官は独り言のようにつぶやくと、さっさと艀から降りて行った。
「金を握らせたのか?」とバスティスに聞くゲンスラン。
「ええ。こういうところでは権威をかざすよりこっちの方が話が早いんです」
「そうか。後で金を返してやる。」
その時ジェランが目を覚まして、馬車から這い出て来た。
「アギンドラ王国に着いたのか?」
「はい。今無事に国境を通過する許可を得たところです。アギンドラ王国側の桟橋から上陸して宿に入りましょう」
「今日も夕食は肉がいいな。昨日の夜は魚だったからな」
「このあたりでは海に棲む獣の肉が取れるようです。宿の食堂のメニューにもあるでしょう」
「そいつは楽しみだ」とジェランは舌なめずりをして言った。
数刻後、宿の食堂で肉料理をほおばるジェランたちにバスティスが話しかけた。
「旦那方、申し訳ありませんが、明日の朝、お別れさせていただきます」
「この先はついて来てくれないのか?」と聞き返すゲンスラン。
「はい。私はこの国はあまり詳しくないので、パストール王国に戻ろうと思います」
「そうか。いろいろ世話になった。旅立つ前に謝礼を渡すので、すぐに宿を出ないでほしい」とゲンスランは惜しみながら言った。
「ありがとうございます。それでは先に部屋に下がらせていただきます」そう言ってバスティスは、まだ夕食を食べているジェランたちから離れて行った。
「ずっと手伝ってもらったので、いなくなるのは残念ですな」とジェランに言うゲンスラン。
「この肉は初めて食う味だが、なかなかうまいな」とバスティスのことなどちっとも気にしないジェランであった。
翌朝、ゲンスランが謝礼を持ってバスティスの部屋を訪ねると、既に旅立った後だった。
「わずかな謝礼ぐらい受け取っても旅の邪魔にはならんだろうに」といぶかしむゲンスランだったが、謙虚な男だと思うことにした。
いつものように朝遅く起きてきたジェランにゲンスランは、
「この国の王都まで陸路で行きますか?ミスティ様に追いつけますよ」と言ったが、
「あいつにはほぼ追いついたし、行き先もわかった。船でのんびり行こう」と相変わらずお気楽なジェランであった。
数日後、大河が海に流れ込む河口の港町に着いたミスティたちは、久しぶりに馬車を艀から降ろした。
すぐには出立せず、港の様子を調べるミスティたち。特に海を初めて見る従者たちにとっては、果てのない広大な海に感動していた。
「こんなに水がある。・・・あの(水平線の)向こうはどうなってるんでしょう?何もないように見えますが」とヴェラが従者たちに聞いた。
「水平線の向こうに私たちの目的地である大陸、つまり広大な陸地があるのよ」
「でも、地面も山もまったく見えませんね」とフワナ。
「私は小さい頃に大人から聞いたことがある。海の果ては滝になっていて、海の水がざあざあと流れ落ちているんだって」とエイラが言った。
「そしたら海の水はすぐになくなっちゃうんじゃないの?」と当然の疑問を抱くミナラ。
「滝なんかないわよ」とミスティが過ちを正した。
「大地や海は平面じゃなく球面のように彎曲しているから、海の向こうの大陸が見えないだけなの。海の端は陸地で囲まれているのよ」
「ほんとうですか?大地が丸っこいのなら、うまく歩けないでしょうに」とミスティの言葉を疑うココナ。
「とても大きな球面だから、私たちがその丸みを感じないだけよ。船に乗って沖に出れば、その事実が目で見てわかるはずよ」とミスティは言い返した。
「それはともかく、この海を渡る船があるんでしょうか?」とホムラが言った。
「今日はこの町に泊まるから、買い出しをする組と船便を探す組とに分かれましょう。私は船を探す方に入るわ」とミスティは言った。
適当な宿を決め、その宿の厩舎に馬車馬の世話をお願いすると、すぐにミスティたちは町にくり出した。
ティア、ヴェラ、フワナ、トアラとミナラは買い出し組で、ミスティ、ココナ、エイラ、ピデア、ホムラとリュウレは港に行った。
「この海の彼方に向かう船?そんな無謀な船乗りはいないよ」と、2本マストの帆船の船長に言い返される。
「でも、この海の向こうに別の大陸があるんじゃないの?」と聞き返すミスティ。
「ここから南に下ると西に伸びる半島があって、その先端からさらに西に別の陸地があると聞いたことがある。陸地沿いに行けないこともないだろうが、まっすぐこの海を突っ切るなんて誰もせんよ」
「海岸沿いに南に向かう航路はあるのね?そっちへ行く船便はあるの?」
「南へ少し行くとエーベッヘ帝国との国境がある。以前は盛んに船で交易していたが、最近この国と帝国との間で何かあったらしく、今は海路でも陸路でも帝国まで自由に行けなくなっている。俺たちも困ってるんだが、そう言うわけで今は船を出すやつはいないよ」
「陸路でもですか?」
「道はあるが、国境警備が厳しくて、商人たちもなかなか通行できないようだ」
「夜中に船で沖合をこっそり進めば見つからないんじゃないですか?」
「それこそ見つかったら首が飛ぶぜ。・・・いずれ国交が回復するまで待つしかないのさ」
「どうしますか?」とホムラがミスティに聞いた。
「とりあえず馬車で南に進んで、国境で談判するしかなさそうね」




