1 婚約破棄
グェンデュリン辺境伯領領主が亡くなった。辺境伯令嬢ミスティリア・グェンデュリン(愛称ミスティ)は父の葬儀を荘厳に行うと、辺境伯の爵位を受け継ぐべく、宗主国であるダンデリアス王国の王都に向かった。
王都の屋敷で数日を過ごし、国王への謁見準備をすませたミスティは、喪服を着て王宮に馬車で乗り付けた。
王宮の侍従や衛兵たちに恭しく迎え入れられて謁見の間に進む。中に入ると正面の玉座に国王サダリオンⅥ世が座っており、その横に王太子のジェラン王子とその従妹のメラヴィスが立っていた。
謁見の間の両端には王国の貴族たちが勢揃いして立ち並んでいる。ミスティは侍女二人(ココナとエイラ)と、女騎士のピデアを連れて謁見の間を進んだ。ピデアは帯剣しておらず、かわりに長さ30セテル(約30センチ)の木製の警棒を腰に挿している。国王に謁見する際でも、この程度の武装?は許されていた。ミスティと侍女二人はもちろん武器は持っていない。
ミスティは国王のおよそ10メテル(約10メートル)手前でスカートを広げて跪いた。
「グェンデュリン辺境伯令嬢ミスティリア・グェンデュリンよ。顔を上げなさい」と優しく声をかける国王。
ミスティは顔を上げて国王の顔を見上げた。
「お父上の・・・グェンデュリン辺境伯の死を痛ましく思う。本日よりそなたを後継者として辺境伯に任ずる。これからも我が国のため尽くしてくれ」
グェンデュリン辺境伯はもともとは山間の独立国であった。先代の父が平原に広がるダンデリアス王国の国王と永久和平条約を結び、父は辺境伯の爵位をもらい、グェンデュリン辺境伯領はダンデリアス王国の属国となった。
しかし王国に隷属しているわけではなく、辺境伯領が王国の国境の一部を他国の侵略から守っている関係だった。
国王はミスティの父を信頼し、両者の協力関係は盤石だった。そしてそのひとつの証しとして、ミスティは幼少期にジェラン王子の婚約者となった。
しかしこの王子が難物だった。おのれを高める努力を嫌い、易きに流れる性格で、おだてられればその相手を優遇し、窘められればその相手を退けた。ミスティは早い時期に王子の本性を知り、この婚約を早く破棄したかったが、父と国王との関係ではそれも容易でなかった。
ジェラン王子が10代半ばの頃、従妹のメラヴィス姫(国王の姪)がすり寄ってきた。メラヴィスはジェランをほめ、ジェランに注意する者の悪口を吹き込んで遠ざけるよう差し向けた。ミスティは一応婚約者の立場から、ことあるごとにジェランに王子としての責務(勉学など)をまじめにこなすよう注意してきたが、それが聞き届けられるはずもなく、ジェランはメラヴィスとともにミスティの悪口を言い続けた。
いずれジェランの方から婚約を解消するよう言ってくるだろうと思っているが、彼らの婚約は好き嫌いで破棄できるような軽々しい契約ではない。よほどの理由がない限り婚約は解消できない。あの王子がどう出てくるか、ミスティは期待?して待っているところだった。
「お父上は毒を飲まされたと聞いたが、下手人は判明したのか?」と問う国王。
ミスティの父親は心身ともにまだまだ壮健だったが、晩餐時に何者かにワインに混入させられた毒で急死した。ミスティはその場におらず、どうすることもできなかった。
「いえ、まだ犯人は捜査中で・・・」とミスティが言いかけた瞬間、ジェラン王子が前に出て叫んだ。
「犯人はお前だろう、ミスティ!」
王子の顔を見る。怒っているのか顔が紅潮している。
「やめなさい、ジェラン」とすぐに窘める国王。
「父上、言わせてください。数日前にメラヴィスの盃に毒が入れられていたのです。こんなことをするのは以前からメラヴィスを嫌っていたミスティの仕業に違いありません。ミスティは邪魔なメラヴィスを亡き者とし、ついでに爵位を我がものとするために、父親までをも毒殺したのです!」そう言ってジェランはミスティを睨んだ。
「ミスティ、お前との婚約は破棄する!さらに辺境伯の殺人並びにメラヴィスの殺人未遂犯として捕縛する!」
これがジェランの婚約破棄の切り札かしら?とミスティは思いながらもジェラン王子を正面から見据えた。
「メラヴィス姫が私の父と同じ毒を飲まされたと仰るのなら、メラヴィス姫は毒に耐性を持っておられるのかしら?私の父はすぐに身罷りましたのに」とミスティ。
「幸いなことに口にする前に気づいたのだ。メラヴィスはワインをがっついて飲んだりしないからな」と今度はミスティの父親までも侮辱するジェランだった。
「私は王都の自分の屋敷におりましたのよ。辺境伯領にいる父にも、王宮内にいるメラヴィス姫にも、毒を盛るために近づくことはできませんわ」
「先日父上にあいさつに来たではないか!その時に忍び込んだのだ!お前の父親にいつ毒を盛ったかまでは知らぬ!」となおもミスティを糾弾するジェラン。
「なら殿下にお聞きします。私が毒を盛った証拠はございますか?」さすがにただの言いがかりでは通用しないだろうから、何らかの証拠を準備しているはずだ。あの頭でどんな策略を思いついたのか、ミスティは少し期待して返答を待った。
「証人がいる!侍女のユービスだ。お前はあの日侍女のような扮装をして王宮の台所に忍び込み、メラヴィス用のグラスのひとつに毒をなすり付けたのだ!ユービスはお前の顔と行動をはっきり見たと言っている!」
「私がわざわざ変装をして自ら台所に忍び込んだと?そんな面倒なこと、誰がするものですか。その侍女の見間違いではありませんこと?」
「見間違いであるものか!ユービスを連れて来い!証言させる!」
ジェランの言葉に王宮の衛兵がひとりの侍女を連れて来た。侍女ユービスはミスティとジェランの顔を見比べながらおどおどしている。
「ユービス!お前が見たままのことをここで言え!」
「は、はい・・・」恐れるような目でミスティを見る侍女。
ミスティは近くにいた侍女のココナに「お願い」と囁いた。
「はい。・・・吐露」とココナが小声で言った。とたんにユービスがわなわなと震え出した。
「わ・・・わだ・・・わたじば・・・・」言葉にならない声を発するユービス。全身の震えが増し、口からはよだれを垂れ流し始めた。
「わだ・・・わだ・・・」言葉を発せないままユービスはその場に頽れた。
「ユービス、どうした!?」叫ぶジェラン。衛兵が数人駆け寄るが、ユービスは意識を失っているようですぐに謁見の間から運び出された。
「私の異能と拮抗する力が働いています。精神魔法か薬物でしょう」とミスティに囁くココナ。
「その娘は禁忌の薬物でも飲まされて廃人になりかけているようね。薬の力で偽証でもさせようとしたんじゃないの?」とミスティはジェランに言った。
「そんなことをするか!お前が魔法で心を操っているのだろう!」
「ジェラン王子、私に魔力がないことはあなたもよくご存知のはず」
この世界には魔法がある。その種類は攻撃魔法や支援魔法、治癒魔法など様々だ。しかし実際にこれらの魔法を使える者はごくわずかである。ほとんどの人は生まれつき魔力を持たず、魔法を使うことができない。ミスティも魔法が使えなかった。
一方ジェランは水魔法が使える。しかしその威力は手の先からせいぜいコップ一杯の水を噴き出させるだけである。自分ののどを潤すにはいいだろうが、それ以上の実用性は乏しい。・・・普段から魔法の練習をしていれば、もう少しまともな水魔法が使えたであろうに。
「国王陛下、ジェラン王子からの婚約破棄のお申し出は確かに承りました。異存はございません。ただし、メラヴィス姫に毒を飲ませようとしたことは存じ上げませんので、これにて王宮から下がらせていただきます」
ミスティはそう言って作法に従った礼をすると、侍女たちを連れて謁見の間から出るために後ろを向いた。
「待て!毒殺犯を逃すな!」ジェランの怒号が響く。すると謁見の間の入口から十数人の衛兵が飛び込んで来た。あらかじめジェランが手配していたのだろう。こんな時だけ用意周到だ。
「かかれっ!」ジェランの指示でミスティたちに飛びかかろうとする衛兵たち。
その時侍女のエイラが囁いた。「防御」
その瞬間、ミスティたちの周りに淡く輝く半球形の盾が出現し、飛びかかって来た衛兵たちを弾き飛ばした。
すぐに起き上がって剣を抜く衛兵たち。
「陛下の前で抜剣するとは何事でしょう?」とミスティは言ったが、衛兵たちはかまわずエイラの盾に剣を振り下ろした。もちろん簡単に弾き返す。
かまわず出口に向かって歩き始めるミスティたち。エイラの盾も一緒に移動する。
「魔法術師を呼べ!」と叫ぶジェラン。
すると青いローブに身を包み、長い杖を持った魔法術師が現れた。
「岩兵!」魔法術師が叫ぶと、謁見の間の床が割れてその下から土と石が盛り上がって来た。
「謁見の間を壊すつもりかしら?」とあきれるミスティ。
床の下から盛り上がって来た土石はすぐに巨人の形になり、ミスティに迫って来た。
「どうだ!王宮随一の魔法術師が操る岩兵だ。お前の魔法の盾など片足で粉砕するぞ!」後先のことを考えないジェランの勝ち誇った声が響く。
「ピデア?」とミスティは囁いた。
「はい、お嬢様」そばにいた女騎士が答えた。
「道を開けて」
「はい。加速」
その言葉とともにピデアの姿がかき消えた。次の瞬間、岩兵の左膝が粉砕し、岩兵はその場に崩れ落ちた。
その先にピデアが立っている。右手に木製の警棒を持って。そしてまたピデアの姿が消え、次の瞬間、岩兵の首が分断されてその頭が床に落下した。
頭をなくした岩兵は全身が崩れ、元の土石に戻っていく。その光景にジェランもメルヴィスも、居合わせた貴族たちや衛兵も、驚愕して硬直していた。
「さあ、行きましょう」ミスティたちは茫然としている魔法術師の横を通って謁見の間を後にした。誰も追って来なかった。
王宮の正門を出ると、そこに他の従者たちが待っていた。
侍女のリュウレ、女騎士のホムラ、トアラ、フワナ、ミナラの4人、専属料理人のティア、庭師のヴェラの7人だ。ミスティと一緒に王宮内に入った3人と合わせて、この10人がミスティの手足となる従者たちだ。
「ま、待て!」そこへようやく王宮の中からジェランが出て来た。ミスティがいなくなったことにようやく気がついて、あわてて追いかけて来たのだろう。
「ミスティ、お、お前を逃がしてたまるものか!」
右手を上げるジェラン。すると王宮の正門に通じる左右の道から数十人ずつの衛兵が列をなして現れた。
「どうします?私が蹴散らしましょうか?」とミスティに尋ねる女騎士のフワナ。
「彼らは国王陛下の衛兵たちよ。陛下は私に良くしてくれたから、事を荒立てずに去りましょう」とミスティはフワナを諭した。
「お嬢様、屋敷の使用人たちは既に馬車に乗って退去しております」と専属料理人のティアが言った。
「なら、王都に留まる理由はないわね。領地まで一気に帰りましょう」
ミスティの言葉を聞いて侍女のリュウレが前に進み出た。
両手を開いて「羽衣」と囁くリュウレ。リュウレの両手から光が飛び出し、ミスティたち全員の体を包み込む。
その光は翼の形状となり、翼を得たミスティたちは一気に上空に飛び上がった。
ジェランが地上で何かをわめいていたが、その声はもう聞こえなかった。矢も攻撃魔法も届かないほど高く飛んでいたからだ。
王宮の上空を一周してからミスティは南西方向に向かった。異能を持つ10人の従者たちとともに。
グェンデュリン辺境伯領はダンデリアス王国の南西の端に位置する。周囲を峻険な山々で囲まれているが、その内部の盆地には山々からの清浄な水の流れが絶えず、農作物の栽培に適している。夏が暑く、冬は雪で閉ざされるのが欠点だが。
農業を営む領民の性格は温厚で、協力的だ。一方、兵士たちは山岳地域出身の剛健な者が多い。みな辺境伯領を愛し、先の辺境伯であるミスティの父を慕ってくれていた。
今後はミスティがそのような模範的な領主にならなくてはならないが、その前にやるべきことがあった。
領地の中央にある領都の屋敷の前に降り立ったミスティたちは、すぐに屋敷内の広い会議室に入った。既に侍従長と警備隊長が待ち構えており、ミスティはみなにテーブルに着くよう促した。
「私が父の後継ぎとして、辺境伯に任命されたわ。領内への布告の手配をお願い」とさっそく口を開くミスティ。
「わかりました。明日にでも領内全土に広まるよう手配しておきます」と答える侍従長ジュビテイル。口ではそう言っているが、この優秀な侍従長は既に手配し終わっているだろう。
「それからジェラン王子との婚約は破棄してもらったわ。これでしがらみはなくなったわね」
「それは誠におめでとうございます」と侍従長と警備隊長のガランカナンが口を揃えて言った。
「お父上はサダリオンⅥ世陛下を信頼しておられましたのに、その息子があれほどのぼんくらだったとは」と侍従長が愚痴った。
「ジェランのことはもういいわ。今後は関わることはないでしょう」とミスティは言った。この時ミスティはそう信じていたのだが・・・。
「とりあえず本題に入りましょう」とミスティは室内にいるみんなに話しかけた。
第2話は翌日午後10時に投稿します。
登場人物
ミスティリア・グェンデュリン(ミスティ) 主人公。ダンデリアス王国の南西の端にあるグェンデュリン辺境伯領の領主。17歳。
サダリオンⅥ世 ダンデリアス王国国王。温厚な性格。
ジェラン王子 ダンデリアス王国王太子。19歳。短慮でわがまま。
メラヴィス姫 ダンデリアス王国国王の姪。公爵令嬢。16歳。短慮でわがまま。
ココナ ミスティの侍女。吐露の異能を持つ。17歳。
エイラ ミスティの侍女。防御の異能を持つ。17歳。
リュウレ ミスティの侍女。羽衣の異能を持つ。17歳。
ピデア ミスティの女騎士。加速の異能を持つ。17歳。
ホムラ ミスティの女騎士。炎獄の異能を持つ。17歳。
トアラ ミスティの女騎士。寒獄の異能を持つ。17歳。
フワナ ミスティの女騎士。風獄の異能を持つ。17歳。
ミナラ ミスティの女騎士。水獄の異能を持つ。17歳。
ティア ミスティの専属料理人。清浄の異能を持つ。17歳。
ヴェラ ミスティの庭師。豊穣の異能を持つ。17歳。
ユービス 王宮の侍女。
ジュビテイル 辺境伯領の侍従長。実質は国務大臣。
ガランカナン 辺境伯領の警備隊長。実質は軍務大臣。