不穏な空気
相変わらずの訓練の日々。しかし今日は怜央も佐奈も拠点でゆっくりとしていた。これからの方針を決めようとしているのだ。
「剣術のほうも何とかさまになってきたし、そろそろ丈たちと合流を考えようか」
しのぶはいつもの緑茶のようなものを飲みながらそう切り出した。
「もうなのか? 俺たちまだ物を斬れるようになったくらいだぞ?」
「習うより慣れろ。それに訓練はまだやるつもり」
確かにしのぶの言うとおり、いくら訓練したところで実戦には追いつけない。しかしまだ訓練しておきたいのが怜央の正直な思いだった。
「万里奈、二人は最近何してるの?」
「丈様と縁寿様の二人は現在、要人警護依頼の真っ最中です。終えた依頼では遺跡の調査というものがありました」
「私も何か依頼やりたいな」
佐奈は机に突っ伏しながらぽつりと本音を漏らす。訓練ばかりなのは佐奈の性分には合わないらしい。しかし、その言葉は誰も反応せず、黙殺された。
「その調査依頼でひとつ妙な報告があります」
「妙な報告?」
怜央は思わず椅子に預けていた背中を離し、身を乗り出した。
「何でも奇妙な生物に襲われたらしいんです。詳しくはこの用紙に縁寿様が書いてくれました」
怜央はその紙を受け取り、眉をひそめた。その紙には絵が書いてあり、どう見てもそれは初めてログインしたときに襲われた大ムカデだったのだ。
怜央が眉をひそめたのは襲われたことを思い出したからであり、なぜこれが奇妙な報告なのかわかったわけではない。
怜央がずっとその紙を見ているので、乗り出すようにしのぶと佐奈は乗り出すように紙を覗き込んだ。佐奈はきょとんとした、しのぶは考え込むような、そんなそれぞれの顔をした。
「これって私が倒した大ムカデ?」
「佐奈もそう思うよな。それで、これの何がおかしいんだ?」
「そんな生物、この世界で知られていないんです」
それは確かに妙な話だった。怜央も佐奈も確かにこの世界でこの生物を目撃している。しかし、この世界の住人である万里奈は知らないという。それは確かに奇妙な報告だった。
「現在、国を挙げて調査が行われています。さすがに無視していい生物じゃないようですので」
怜央はこの生物に襲われているからわかる。間違いなく肉食生物だ。それも、人間を襲える大きさの。それなら警戒して当然だろうと怜央は考えた。
「しのぶ、本当にこの生物はこの世界にはいないのか?」
しのぶはこの世界の創造に一役買っている。ならば何か知っているのではないかと考えたのだ。
「僕は世界の基礎を作っただけだから、詳しいことは知らない」
「そうか……」
つまり、何があるのか中身まではしのぶも知らないという事だ。確かにそれなら製作者側でも楽しめるよなと思う。
「この奇妙な生物についてはこれから依頼が増えると思います。受けてみるのも面白と思いますよ?」
なんか本当にゲームみたいになってきたなと、怜央は少しわくわくしてきていた。
「それ以外に特には何もなかった?」
「はい」
そこで報告は終わりなのか、万里奈は飲み物を取りにキッチンに向かった。
「ま、二人がしっかりやっていてくれているようで何よりだよ」
「心配してたのか?」
しのぶの言い方がなんとなく子を心配する親のようで思わず怜央はつっこみをいれた。
「違うよ。ここを維持するためにもお金がいるから。万里奈の食費とかも考えると、依頼は誰かがやらないと」
そこまでリアルなのかと考えて、それは当たり前のことだと思い直して怜央は何も言わなかった。代わりに別のことを口にする。
「ところで万里奈って、ギルドの管理までやってるのか?」
怜央は戻ってきた万里奈をちらりと見ながら言った。先ほどまでの会話は常に丈と縁寿の行動を気にしていなければわからないことだと思ったのだ。
「そうだよ? 言ってなかった?」
よくよく考えればここはギルドの拠点。その拠点の管理をしているのが万里奈ならば、ギルドを管理していてもおかしくはない。
「ちなみに、万里奈は財務、拠点管理、依頼の管理、依頼報告をやってもらっているから」
万里奈って意外に仕事しているんだなと怜央は尊敬のまなざしを向ける。戻ってきていた万里奈はその視線の意味がわかったのかわからなかったのか、ただ恥ずかしそうに微笑んだ。
「怜央君、そういえば前に倒した大ムカデってどうしたんだっけ?」
ずっと黙っていた佐奈が急に口を開いた。どうやら今までずっと考えていたらしい。
「どうしたも何も、そのまま放っておいたけど……」
そこで怜央は思う。もしかしてこれは報告したほうがいいのだろうかと。
「怜央様、その見かけた座標は?」
怜央が思っている間に万里奈が動いた。
「そこの座標は……あったよ」
それに反応したのは佐奈だった。すぐにフォーアームの活動ログを開き、怜央にあった時の座標を万里奈に見せる。
「分かりました。では、私の方から報告しておきます」
万里奈はそう言うと奥に消えていった。
怜央はあまりの速さにあっけにとられていた。それと同時に、これがいかに大事なのかをなんとなく察した。そして、これだけでは絶対に済まないと、確信に似た予感を感じていた。
訓練はまだ終わってはいなかったが、ついに怜央と佐奈は丈達と合流することとなった。
しのぶが丈達と連絡をとり、まずは拠点に集合した。
先に到着していたのは丈と縁寿だった。
「あれ? 遅かったか?」
「いいや、そんな事はないよ。とりあえず座ったら?」
丈に促されて怜央と佐奈は椅子に座った。
丈と縁寿が、怜央と佐奈がそれぞれ隣同士に座り、向かい合う。そして万里奈がまるで議長の様にその間に座った。
「訓練は終わったのか?」
「とりあえず一通りは。この先もやってくことになってるけど」
怜央は肩をすくめながら言う。仕方がないこととはいえ、訓練が少し面倒になってきているのだ。
「じゃあ、今日は一緒の依頼を受けるのかな?」
「うん、そうだよ。やっと依頼が出来るよ」
佐奈はやっとできる依頼が楽しみなのか、待ち遠しさを隠し切れていない。
「それで、何の依頼を受けるんだ?」
怜央は唯一机を囲むように座らず、相変わらず壁際でフォーアームをいじっているしのぶに問いかけた。
「なんで僕に聞くの?」
「いや、今までの流れから行くと決めてあるのかと思って」
「今回は本当にないよ」
そうとなるとここからどうするのかが問題だ。今から決めに行ってもいいが、ほぼ初対面である丈と縁寿を交えて依頼をすぐに決められる自信は怜央にはなかった。
「依頼が決まっていないのなら、こちらはどうでしょう」
空気を読んだのかそうでもないのかタイミング良くそう言って万里奈が取り出したのは一枚の依頼書。
「依頼の内容は『新種危険生物討伐』です」
「それってもしかして……」
縁寿はその依頼題名だけで察したのか驚愕の表情で呟くように言った。
「はい。丈様、縁寿様が討伐された大ムカデと同種と思われる生物の討伐依頼です」
「思われる?」
そのわざわざつけられた言葉に思わずといった様子で丈が問いかけた。
「それについての調査も兼ねた討伐依頼です。ただ、分かっていることを報告すると、調査に赴いた三人の人が行方不明です」
つまり、本当に何も分かっていないのだ。なんでこれを新種と断定できたのかと疑問に思うほどだ。
「でもでも、面白そう」
「確かに。リベンジも兼ねてその依頼やってみたいな」
縁寿と丈は参加を表明した。それでも勝手に決めないのは、恐らく怜央と佐奈の意見を待っているのだろう。
「よし、やろう」
怜央のその一言に、三人が同時に頷く。
「分かりました。では、私が手続きをしておきます。皆さんはこの依頼書の場所に向かってください」
万里奈はそう告げるとどこかに出かけて行った。
「しのぶ、この依頼をどう思う?」
怜央はずっと気になっていたことをしのぶに聞くことにした。
「どう思うって?」
しのぶはフォーアームから全く目線を逸らさず答えた。
「なんで誰も確認していないのに大ムカデとか新種討伐とか依頼に書かれてるんだ?」
「さぁね。目撃談でもあったんじゃない?」
「もしくは見たこともない痕跡があったかだよ?」
つまり、本来はそれらしいことがあったから、調べてほしいという依頼なわけだ。討伐というのは万が一新種だった場合にという事の様だ。
さて、この依頼は鬼が出るか仏が出るか。怜央は久しぶりの依頼に心躍らせていた。